第2話 対面

 八代凛。その名前は学校で知らない人はいないほどの有名人な彼女であるわけだが、正直彼女のことはよく知らない。


 周りの人と関わりを持たないということは、他の人からも彼女の話は聞けないということ。

 せいぜいのその美貌と冷徹な性格しか耳にしたことはない。


 舞達と別れ一人で歩いていた放課後の帰り道、そんな八代さんが歩道でしゃがみこんでいた。


 風に揺れるその薄い黒髪は、煌めきながら風痕を示す。見えた横顔はやはり端正で誰もが見惚れるほどに美しい。

 もし柔らかく微笑むようなことがあれば、今以上に多くの異性を惹きつけることだろう。

 儚く幻想的で、ただしゃがんでいるだけなのに、絵になるような美しさがそこにはあった。


 明らかに目を惹くその容姿は遠目からもよく目立つ。

 何をしているのかと思っていたが、近づいてみるとどうやら猫と戯れているらしい。


 家の庭に猫がいたようで、八代さんは歩道にしゃがみ、柵を隔てて猫と向き合っている。

 赤い皮の首輪に鈍い金色の鈴をつけた猫が白い柵の向こう側にいた。


 どこから取ってきたのか、猫じゃらしを使い、右に動かし、左に動かし、時たまに上に動かす。

 それに釣られて、茶色の猫のココアは楽しそうに追いかける。


 ふと、八代さんが猫じゃらしを動かす手を止めた。そっとこちらを向く。


「なんですか?」


 俺の足音に気付いたのだろう。八代さんは吸い込まれるような澄んだ瞳に警戒心を滲ませ、眉を寄せる。

 整った顔の女子が凄むと、それだけで怖い。


----やっぱり苦手だ。


 これまでに八代さんほど誰かに警戒されたことはない。好意的な態度で接してくれる人がほとんどだった。


 その一因は自分の容姿にある。幸か不幸か見目が良いようで、そのおかげで初対面であっても、ある程度好意的な態度で接してくれる人が多かった。特に異性は。


 もちろん、その分だけ周りからの注目は浴びるので面倒ごともある。そちらに気を遣わなければいけないし。


 そんなわけで、八代さんの態度は非常に慣れない。少女漫画なんかだとそれが新鮮で、面白いやつ、とかなるらしいが、普通に不快なだけだ。


 誰だって自分に好意的な人の方が居心地が良いし、話しやすい。そして扱いやすい。好き好んで嫌われにいく奴はいない。


 久しぶりに話した彼女の言動に、愛想笑いは耐えられず、思わず眉を顰めてしまった。


 八代さんはしゃがんだままこちらを見上げ、首を傾げる。


「なんですか? ナンパですか?」


「見ていただけでナンパ扱いするんじゃない」


 勘違いも甚だしい。少し見ていただけなのに酷い言われようだ。


 大体ナンパするならもう少し愛想が良いだろ。どう考えても今の俺の表情でナンパする奴はいない。


 訳の分からん言い草に、なんなんだ、こいつ、と見返す。八代さんは、ぽんと、右手の握り拳で左手の掌を叩いた。


「なるほど。では、告白ですか? ごめんなさい。お付き合いする気はありません」


「え、まだ何も言ってないのになんで俺、振られてる?」


 人生で初めて振られてしまった。まだ告白もしたことないのに。謎すぎる。

 もはや意味が分からなさすぎて、不快を通り越して、気が抜けた。


 もうどうでも良くなってきたが、それでも告白の勘違いだけは嫌なので、そこは否定しておこう。


「告白じゃないから。変な勘違いをするな」


「では、なんですか? あまり人のことを勝手に見るのは失礼だと思いますが。不快なのでじろじろ見るのはやめてください」


 顔を顰めて目を細める。鋭く見つめるその瞳には、さっきよりもさらに警戒が強く光っていた。


 八代さんの言い分は理解できる。大して親しくもないクラスメイトがこんなところで自分のことを見てきたら警戒するのは頷ける。

 立ち止まった以上に何かの用事があるのかと思うのも分かる。


 もちろん、俺だってただの通り道だったら見て見ぬふりをしただろう。わざわざ苦手な奴と関わる気はない。

 知らぬ存ぜぬと、しゃがむ彼女を脇を通り過ぎていた。


 それをしなかったのには理由がある。


「ここ、俺の家だから。じゃあ」


「……え?」


 さっきまで彼女が戯れていた猫がいる庭付きの家を指差して、玄関へと向かう。何か言われる前に退散するとしよう。


 そそくさと足早に逃げて、家の中へと入る。扉を閉めて、その扉に体重を預けた。


 まさか、あんな顔をするとは。素っ気ない表情以外の初めて見た表情。

 別れ際のぽかんと目を丸くして固まる八代さんの姿を思い返す。それは少しだけ面白く、抱えていた溜飲は下がった。


 


 





 


 

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