【あなたと寄り添う夜の末】

きむ

【あなたと寄り添う夜の末】



人に言えない恋がある。

もちろん世界中で誰にも言えないわけじゃないけれど。

それでもこの小さな小さなコミュニティでは、きっと誰にも打ち明けられない。

友達に言えない。

職場で言えない。

身内に言えない。

誰を愛しているかなんて、誰にも。



そろそろお前もいい歳だろう。

久しぶりに帰省したGW、何気なく叔父に言われた私は今年で31になる。

背中がひやりとした。やな感じ。

31なんてまだまだこれからよと笑って麦茶を飲み干す。

「でもそろそろ見つけておかないとな、好い人」

悪気のなさが私の罪悪感を悪戯に煽る。


帰省なんてするんじゃなかったとぼやけば、彼女はテレビから視線を移して優しい目をして笑う。

「結婚なんて紙切れ一枚のことじゃない」

私たちには関係ないわと肩を抱かれたので、そのまま身体を預けて目を閉じる。

彼女は笑うかもしれないけど、私にはそんなふうに信じきれない夜が来る。

紙切れ一枚に縋りたくなる夜があるの。


だって私たち、ふたりで寄り添うことしか出来ない日があるでしょう。

親兄弟に言えないことをふたり重たく抱えたまま、息を止めたい夜があるでしょう。

酔った私を迎えにきてくれたあなたに、ありがとうのキスを贈れない金曜の夜も。

ひらひら揺れる左手を握ってあげられないデート中も。

いつだって私たち、この古びた2DKに帰ってきては言葉も交わさず所在なさげに寄り添ったでしょう。

あなたは無意識なのかもしれないけれど、言葉に出来ない気持ちを抱えて吐き出すことすら出来ない私は、自身への不甲斐なさで死んでしまいたくなるときがあるのよ。

私ほんとはいつだって、泣いてなにかに縋りたいの。決して消えないなにかに。誰もが認める覆りようのないなにかに。

そんなもの、何処にもないってわかってるのにね。


「ねぇ、同窓会のことって覚えてる? 」

不意にそう言えば肩を抱いていた腕に緊張が走った。目を閉じていたって、ほんの微かな力の入り具合までわかるほど、私たちは愛し合っているというのに。

「もちろん、覚えてる」

不安にさせないようにと細心の注意を払っているのさえ分かる彼女の声。



普段は行かない同窓会に顔を出せば、好きだったひとが手持無沙汰にしているのが見えた。

「久しぶり」

声を掛ければ夏の向日葵のように笑う。名前を呼べば秘す花の様に恥じらう。

愛らしさを具象化したらこんなふうになるのだろうと彼女の話を真剣に聞くふりをしながら、そんなことを考えていた。

「ヨシミとはこないだ会ったよ。って言っても去年の6月だけど」

記憶にあるセーラー服姿の彼女の口から聞き慣れた名前が飛び出た。

「あ、仲良かった子でしょ……えっと、田中さんだ」

そう言いながらも姿かたちは曖昧だった。

「もう田中じゃなくて藤岡だよ」

そう聞いたとて、想いを馳せるのは田中さんだか藤岡さんだかの晴れ姿ではなく、式に出席したであろう彼女のワンピース姿だった。

「へぇ、結婚したんだ」

ふと周りに目をやれば、左手薬指の輪っかもちらほら見える。そんな歳になったのかとグラスを傾けながら他人事のように鼻で笑った。


「私はまだ中塚だよ」


彼女は言った。

思わず泡を飲むのに喉が鳴る。

「あんたが貰ってくれるまで、ずっとずっと中塚だよ」




昔話もそこそこに交わった。

どこが好きで何が好くてどうしたいか、どうされたいか。

身体を重ねながら心が離れないようにと執着するようなセックスをした。

事後、頬に小さく零れた涙を拭いもせずに眠りにつく彼女を尻目に、無力な自分を責めた。何にもならないと分かっているのに。

いつか、彼女の苗字を変えることが出来る未来に想いを馳せた。

いつか、彼女が当たり前のように夢見た瞬間を叶えてやれる日に想いを馳せた。

あとどれだけ涙する彼女を見て心を潰せばいいのか。

あと幾度、役立たずな自分を罵れば世界は進むのか。


私とあなたは女だから。

想いを身体を体温を共有しても、苗字を共有結婚することは叶わない。


「独りで泣くのは無しよ」

気づけば彼女は瞼を開いていて、無駄のないシンプルな言葉で私を優しく慰める。

ここで私がつらいといえば、投げ出していた手を強く握って愛を語ってくれるだろう。

「つらくはないの。ただ少し、」

何て言おうか迷って、彼女の空いていた手を私から優しく握る。離れないように。

「少し? 」

些か強く握り返された。指先が白くなる。急かされている合図。

「不安になるの」

不安という言葉が正しいのかどうか分からない。

自然と眉が下がってしまう。それを見た彼女は可笑しいのかいつもの調子で笑顔になった。

「不安に? どうして」

分かってるくせに。

体温を確かめるように肩を抱かれた。

「どうしてって……」

どうしてか、なんて言葉に出来るほど利口じゃない。

「このおんぼろアパートじゃダメ? 」

違うの、問題は場所じゃないの。

「婚姻届を持っていけないこと? 」

違うの。――確かに後ろめたさは感じているけれど――さっきあなたも言ったじゃない。所詮それは紙切れ一枚のことなの。

「じゃあ大丈夫。不安なことなんてなにもないよ」

彼女にはきっと分からないふりをしてくれている。

それでも良かった。だって私、誰になにをされたって。

それこそ国がどう動いたとしても。

どうしたってこのひとから離れることなんて出来ないもの。

「明日は映画に行こうね」

私の髪にゆびを通して彼女。

いいねと私もようやく笑えた。



どんなに禁止されようと、彼女から離れることはない。

誰に言えなくてもほんとのほんとは構わない。

彼女に好きだと伝えられればそれでいい。

例えこの古びた2DKの中でだけだって。

不安なんてなにもない。正直それは嘘っぱち。

それでも、夜は必ず明けるもの。


「まぁ正直、指輪くらいなら貰ってあげてもいいわよ」


茶目っ気たっぷりに笑う彼女を愛せずにはいられない。



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【あなたと寄り添う夜の末】 きむ @kimu_amcg

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