第五章-1
縄を掴み、下を見ないようにしながら、リエは崖を上った。ソラは、滝を挟んだ反対側の、ゴツゴツとした、急斜面を当たり前のように登り、リエ達を待つ。
リエは、瑞木の森で何度か小さな崖を登ったことがあった。しかし、これほど高い崖は、今まで見たこともない。ヒナリに至っては、身体の動かし方すら分からない。海の中で崖に登ったことはないし、そういう概念も無かった。
「どうやって登るの?」
「両手で縄を掴んで、身体を上へ持ちあげるんだよ。それで、また縄を掴むの」
言うは易く行うは難し、リエも中々登れない。二人で四苦八苦し、へとへとになって登りきる。一度休憩し、世ノ河に沿って山道を歩く。斜面が急なので、ソラの背中に乗って移動することはできない。ゆっくり、確実に、自分の足で登る。
時々、人がいた跡が見つかる。古い焚き火や、朽ちた立て看板や縄。ずっと前、誰かが源流を目指して旅していたのだ。
夕暮れ時、古い焚き火跡に再び火を灯し、それを囲む。
(ここで休んだ人達は、ちゃんと火守の里まで行けたのかな? それとも……)
リエは、隣に座っているヒナリの顔を見る。
「ねえ、この山にも精霊はいるの?」
「いるよ。どうしたの?」
山に住む精霊に尋ねてみようか、とリエは思った。しかし、不意に背筋がぞくりとする。旅人が源流に辿りつけなかった場合どうなるか、想像するだけでも怖い。
「……何でもないよ。聞いてみただけ」
リエは首をふる。そして、尋ねる代わりに、自分の安全と里の人々の安全を強く祈った。
その日の夜も、化け物はやってきた。ただ、今までとは違っていた。
「リエ、リエ」
結界の外の暗がりから聞こえるそれは、バア様の声そのものだった。
駆けだしたくてたまらない。バア様にすがりつきたくて、たまらない。
(でも、そんなことしちゃ駄目だ。こんな所に、バア様がいるわけない!)
リエは歯を食いしばって耐えた。ヒナリとソラは、リエにぴったり寄りそっていた。
次の日も、そのまた次の日も、山を登る。
「試練って、どんな試練なのかな」
少しでも化け物のことを忘れたいリエは、そう呟いた。
「竜王は、幻を見せられると言ってたな」
「どんな幻かな? ヒナリだったらどうする? 竜宮にやって来る人に、幻を見せて試すとしたら」
ヒナリは少し考えこむ。
「私だったら、怖い幻で怯えさせたり、逆に優しい幻を見せて、違う道へ誘導するかな。ほら、ここ最近の化け物みたいにさ。優しい声で誘きよせるの」
「火守の里の人も、あんな意地悪いことをするの?」
バア様の声ですら、リエはこんなにも心を動かされる。バア様の幻を見てしまったら、試練など突破できる気がしない。
「自分の意志を信じれば、試練もきっと乗りこえられるよ。リエちゃんなら、きっと大丈夫」
ヒナリは笑ったが、リエは笑えなかった。
登れば登るほど、坂は急になり、岩は大きくなり、川幅は狭くなる。坂道も急になり、両手両足を使って登る場所もでてきた。
「なんか、寒くなってきたね」
両腕をさすりながらリエは言った。
「ああ。高く登れば登るほど、寒くなってきてるな。そういや、お前達には毛皮がないが、寒くないか?」
「まだ平気だよ」
「私も大丈夫」
一頭は軽々と、二人はふうふう言いながら、岩を乗りこえて前へ進む。
景色は更に姿を変える。高い木ばかり生えていたのが、ポツポツと背丈の低い木が生えるばかりの、荒地になった。河は平地の太さが嘘のように細い。数歩歩けば対岸に渡れそうだ。
山を登るのはどんどん辛くなる。身体が重くなり、足を思うように動かせない。落ちていた長い枝を杖代わりに、ゆっくり、ゆっくりと歩く。
(きっと、もう少しで……)
霧がうっすらと出てくる。しかし、薄い霧は瞬く間に濃霧へ変わる。
「あれ?」
リエはきょろきょろと周りを見まわした。
いつの間にか、ソラがいない。ヒナリもいない。手を伸ばしても、空を掴むばかり。
「ソラー! ヒナリー! どこ?」
リエは力の限り叫んだ。
返事はない。
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