第四章-6
夜。
大きな岩を背に、リエは座っていた。
そこは大小様々な大きさの岩がゴロゴロしている谷だった。リエのいる場所は、背中と右側に大きな岩が、互いに寄り添い合うような格好で、地面に鎮座していた。
暗くて見えないが、小川も流れている。絶え間ない水音が、聞こえてくる。
リエの視線の少し先に、小さな焚き火がある。リエは焚き火を見ながら、山芋を一口かじった。先ほど、焚き火の灰で焼いたものだ。
リエは、里芋の残りを笹で包んだ。
ここにいるのはリエだけだ。仲間は全員隠れている。リエは囮なのだ。正直な話、怖くてたまらないが、そんなことを言っていられる余裕はない。それに、この作戦を立案したのは、他でもない、リエだ。
化け物は、悪霊を使ってリエを捉えようとしている。だから、悪霊が現れるとしたら、リエの可能性が高いのだ。
もちろん他の誰かを襲うかもしれない。その時は、リエは、身体が石化しなければの話だが、その人をできる限り援護する。
からくり仕掛けの弓矢を手にとる。岩に立てかけた板切れに向かい、リエは矢を放つ。ドス、と矢が板に刺さった。最初よりも、狙った場所に当てられるようになってきた。
(ちょっと、コツのようなものが掴めてきたかも)
手元の矢が無くなると、板へ歩いて回収する。そしてまた打つ。これも作戦の一つで、足音や矢を放つ音で、リエが石化していないことを、隠れている仲間に教えているのだ。動けなくなったら、奴が近くにいると分かる。
リエは黙々と練習を続ける。練習に集中すると、少しばかり恐怖心が薄らぐからだ。
月がのぼる。空の高い場所から、リエ達を見下ろす。分厚い雲が月を覆い隠し、辺りが真っ暗になる。
足の感覚が消え、リエは転んだ。腐敗臭が、鼻をつく。
遠くに、悪霊がいる。燃える赤い目が、リエを凝視している。距離は遠い。リエはまだ動く両腕で後退り、背中を岩にピッタリつける。
悪霊は岩の影から影へと動き、ゆっくりと近づいてくる。リエは悲鳴を上げようとしたが、口が石化してしまい、声は出ない。
とうとう、焚き火の手前まで悪霊がやってくる。目も石化しつつあるのか、姿はよく分からない。ただ、ソラと同じか、それ以上の巨体に見える。
悪霊がまた一歩、リエに近づいた。とうとう目も石化し、リエはどんな夜よりも暗い闇に閉じこめられる。
その瞬間、地面が崩れた。
地面の下に、悪霊が消える。そばの焚き火も、一緒に落ちていった。穴の底から、凄まじい怒りの声が聞こえてきた。枝葉の燃える臭いがする。
矢のように悪霊が穴から飛びだす。全身火だるま、ではなかったが、腐った肉体のあちこちに燃えた枝葉が突きさっている。
悪霊は、火を消そうと小川に向かおうとした。だが、その瞬間、全身に泥を塗りたくり、臭いを消したソラが、岩陰から飛びだした。
地を蹴って大きく跳び、悪霊の背へ躍りかかる。足で悪霊を押さえつけ、首に噛みつき、穴へ突き落とす。悪霊はもがいて鋭い前足の爪で、ソラの目を潰そうとする。しかし、狭い穴の中ではうまくいかない。ソラは全く動じず、攻撃をやめない。腐った足を千切り、腐った臓腑を引きずりだす。
燃えたことで化け物の力が弱まったのか、リエの石化が部分的に解け、目が見えるようになる。リエと、小川の近くに潜むヒナリ、少し離れた岩の上で見張り役をしているシグレは、二頭の死闘を見守った。
罠は、シグレと色々話しあったが、一番簡単な落とし穴に決定した。穴の中を乾いた声だと葉で埋め、土を被せて穴に蓋をする。そして上に焚き火を置いておく。悪霊がやって来たら、焚き火と一緒に穴へ落ちるという寸法だ。
その話をしたら、ソラがいい場所を知っている、とこの谷に連れてきた。大きな岩がゴロゴロしており、落とし穴に使えそうな窪地がいくつもあったのだ。
一番深い窪地を選び、四人で手分けして枝葉を運んだ。湿った枝葉は、ヒナリが術でカラカラに乾かし、それをシグレが穴へ入れていった。
それから、相手が燃えていても火傷せず戦えるよう、ソラの全身に泥を塗った。あとは、悪霊が来るのを待った。
悪霊の怨嗟にまみれた吠え声は、だんだん小さくなっていった。完全に聞こえなくなった頃、リエの石化は完全に解けた。穴からソラが出てくる。
ソラは、泥と燃えた枝葉と、血でどろどろになっていた。どこがどう怪我しているのかも、よく分からない。
「ソラ、ソラ! 大丈夫?」
「……ああ、平気だ」
ソラは小川へ歩いていく。息は荒いが、足取りはしっかりしている。リエは少し安心し、ソラについていく。
リエの身体が石化した。
ソラが異変と気配に気づき、振り返る。
ドス、と音がした。
落とし穴のへりに、太い矢が刺さっている。矢は、身体が崩れかけている悪霊に深く刺さり、悪霊を地面に縫いつけている。
悪霊が矢から抜けだすよりも早く、ソラが動く。地を蹴って走り、悪霊の頭をぐしゃりと踏み潰す。そして、上を見る。
岩の上にはシグレがいた。顔面蒼白で震えているが、しっかりと弓矢を構えている。
「火を」
ソラが言うと、シグレは岩を滑りおりた。腰の巾着から火打ち石を取りだし、落ちていた枝に火をつける。それを、悪霊に放りなげた。
リエの石化は解けた。また石化しないかと身構えるが、何も起きなかった。
夜が明け、谷を陽光が照らす。
三人は見た。四本の足で立つ、傷だらけの白い狼。焼けて消し炭になった一本の矢。砕けてボロボロになった動物の骨を。
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