第三章-2

 しばらくすると、遠くに家が見え始めた。家の周りは田んぼが広がっている。ソラは速度を落とし、木の裏に隠れた。

「着いたぞ。ここからはお前だけで行け」

「え、何で? もっと近くまで行ってあげようよ」

 リエが驚いて聞き返す。

「俺が行くと目立つ。リエには分からんだろうが、人間は俺のような獣を恐れるんだ」

「え? でも、この人も全然怖がってないよ」

「おい、気づいてなかったのか。そいつは人間じゃねえぞ」

 リエは思わずふりかえった。彼はえへへと笑う。

「いやあ、実は私、狸でして。商売が好きでこうして人間に化けているんです」

「人間を騙すことで有名な奴らだ。泥でできたものを高く売りつけたりする」

「他の狸と一緒にしないでくださいよ。商品は本物ですよ?」

「……まあ、偽物の臭いはしなかったな」

 彼はぴょこんとソラの背から降りた。

「さて、そろそろ私は歩きましょうか。皆さんはどこへ行かれるんです? 食べ物をたくさん袋に詰めていましたが」

「世ノ河の源流だよ」

 リエが答えた。

「随分遠いですね。それだと、途中で森を通りますよね?」

「うん」

 笑顔から一転、化け狸は神妙な顔つきになる。

「悪霊がうろついてます。知り合いも何匹かやられました。どうかお気をつけて」

 彼はぺこりと頭を下げた。そして家が立つ方へ歩いていく。その背中を見送り、ソラは再び走りだす。

 世ノ河の両側に、田んぼが広がる。金色の稲穂が風にそよそよと揺れる中、人々が腰をかがめて稲を刈っている。

(バア様や里の人も、あんな風に暮らしてたのかな)

 バア様は、瑞木の森から出られないリエに、たくさんの絵巻物を見せて、森の外のことを教えてくれたものだった。

(どうしてるんだろう。無事だと良いんだけど……)

 バア様が病で苦しむ姿が脳裏を過ぎる。手足が動かなくなり、腕があがらなくなり、やがて立つこともできず、死んでいく。嫌な汗がリエの背を伝った。

 日は少しずつ西へ傾き、空の色は少しずつ変わっていく。木々の影が長くなり、肌寒くなる。

「そろそろ、どこか眠る場所を探さないとな」

 ソラが言った。ヒナリは尋ねる。

「陸の生き物はどこで寝るの?」

「俺はその辺の木陰で寝るが、人間は屋根の下で寝る」

 遠くに明かりが見える。ちらほらと人間もいる。

 ソラは道の外れにある、薮の陰で止まった。

「里に行って、飯でも食って一晩寝てこい」

「ソラはどうするの?」

「この辺で寝る。朝になったら戻ってこいよ」

 リエとヒナリは背中から降りた。その途端、足に力が入らず、膝から崩れ落ちる。

「どうした? 大丈夫か?」

「う、うん」

 身体が重い。背中に捕まっているだけなのに、すっかりヘトヘトだ。隣ではヒナリも、地面に膝をついていた。

「はあ、思った以上に疲れちゃったね。リエちゃん、早く里へ行って、休んじゃおう」

 残った力を振り絞って立ち上がり、二人は明かりへ向かって歩く。

「おや、おなご二人でどうしたんだ?」

 クワを担いだ農夫がリエとヒナリに気がついた。

「どこか泊まれる場所を探してるんです」

「泊まる? なら、俺ん家に来いよ。宿屋をやってるんだ。ほら、こっちだ」

 農夫の後ろを、二人はついて行く。

 道の両脇に、古びた板の壁でできた家が並ぶ。リエより一回り小さい子ども達が家の中に駆けていく。入り口からは温かい光が漏れ、窓からは美味しそうな匂いが漂ってくる。

 農夫は、一軒の家の前で足を止めた。他の家より大きく、二階建てだ。

 中は広い土間だ。横に長い机と椅子が並び、奥に台所がある。かまどの前で女の人がしゃがんでいる。

「よう、ただいま」

 彼女は振りかえった。笑みを浮かべてやってくる。

「お帰り。おや、その子達は?」

「客だよ。泊まれる場所を探してるんだと」

「ああ、ちょうど一部屋空いてたの。運がよかったわね」

 ヒナリは、真珠を一粒取りだす。

「これで泊めてもらえますか?」

「あら、素敵ね。いいわよ。ちょうど、奥の部屋が空いてるの。少し待ってて」

 女主人は土間を一段上り、板張りの廊下の奥へ歩いていった。少し待つと、帰ってくる。

「こちらへどうぞ」

 草履を脱ぎ、冷たい板張りの廊下を歩く。一番奥まで行った先は、小綺麗な部屋だった。

「わあ!」

 ヒナリは歓声をあげる。

「お二人さん。夕飯はまだ?」

 リエははい、と頷く。

「そうかい。じゃあ、今から作るからね。少し待っててね」

 彼女はそう言ってにこりと笑うと、部屋を出ていった。

「ここが人間の部屋かあ。この白いのは何?」

 ヒナリは足元の真っ白な布を指さした。

 ヒナリはごろりと布団に寝転がる。

「それ? 布団だよ」

「ふとんって、何?」

「そこで寝るんだよ」

「寝る?」

 目をパチクリとさせるヒナリ。リエは布団の上に横になる。

「ほら、こんな感じで寝るんだよ」

「へえー、人間ってそうやって寝るんだね。私達はゆっくり泳ぎながら寝るの」

「泳いで寝る? どうやって?」

 今度はリエが目をパチクリとさせる。

「どうやってって言われても……なんかこう、出来ちゃうんだよ。海の生き物はみんなそうやって寝るの」

「泳ぎながら寝るって、すごいね。私、そんなこと、できないよ」

「私も寝転がって寝るなんて初めて。今日、ちゃんと寝れるかなあ」

 ヒナリは、ごろごろと布団の上を転がる。そのまま板張りの床も転がっていき、壁にぶつかる。そして、またごろんごろんとリエの足元まで戻ってくる。

「ねえ、明日は里を見てまわろうよ」

 リエは大きく頷く。

「いいよ。行こう行こう」

 リエも、里の暮らしというものを知らないので、興味がある。

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