第三章-3

 部屋の戸が開き、宿の女主人が夕食ができたと告げる。リエとヒナリは、土間へ向かった。すでに他の旅人が座っていて、汁椀を片手に喋っている。二人が空いた椅子に座ると、旅人たちは興味津々な目で話しかけてくる。

「女子二人だけかい?」

「ううん──」

 ソラもいます、と答えようとして、リエは彼の言葉を思いだす。

「──んっと、はい。二人だけです」

「そうかあ。変わってるなあ。この辺は悪い奴はいないが、それでも危ないぞ」

 料理がやってきた。芋の汁物とおむすびだ。

「アチッ」

 汁物に口をつけ、思わず器を落としそうになるヒナリ。

「大丈夫?」

「う、うん。少し冷ましてから飲もうかな。こっちの白いのは?」

「おむすび。お豆が入ってるよ」

 一口食べたヒナリの目が輝く。

「おいしい!」

 あっという間に平らげるヒナリ。おかわりも貰い、もぐもぐ食べる。

「なあ、二人はどこから来たんだ?」

 向かいに座ってる旅人が尋ねた。

(どう答えたらいいんだろう? 私は瑞木の森だけど、ヒナリは竜宮からだし)

 迷っていると、ヒナリが答えた。

「すごく遠いところですよ。多分知らないんじゃないかなあ」

「ふうん、そうなんか。どこへ行くつもりなんだ?」

「山ですよ」

「山のどこだい?」

「源流です。火守の里に行くんです」

「何かお願いしにいくのかい?」

 二つ隣に座っている女性が気遣わしげに尋ねる。

「呪いを解きにいくんです」

「呪い? 何をしでかしたんだ?」

 旅人達は血相を変え、さっとリエから距離を取る。

「え? えっと、何もしてないですよ?」

「そうそう。変な化け物に騙されて、呪われちゃったんだよ。火守の里へ行けば何とかなるって聞いたから、向かってる途中なんだよ」

「そ、そうか」

 旅人達は椅子に座り直した。しかし、先程までの暖かな空気は吹き飛んでしまった。旅人達の視線がリエ達に突き刺さる。

(呪いのことも、言わない方が良かったのかな)

 目の前に小皿が置かれた。小さな団子がちょこんと乗っている。見上げると、女主人が微笑みを浮かべて立っていた。

「私の曾祖父さんが行ったことがあるらしいわ。火守の里に」

 彼女の声音は優しい。

「曾祖母さんの病気を治すために、河の流れに沿って、山をひたすら登ったらしいの。色んな不思議なものを見たそうよ。山の中にいるはずなのに、怖い幻を見たり。それでもめげずに進み続けていたら、里の人に出会えたそうよ。その人達は、なんと羽根が生えているらしいわ」

「おかみさん、それ、本当か?」

 旅人が訝しげに女主人を見る。

「失礼ね。私が今ここにいることが何よりの証拠よ。その人達が曾祖父さんに薬を渡してくれたから、曾祖母さんの病気が治って、お祖父さんが生まれたんだから。嬢ちゃん達、気をつけてね。その団子を食べて、体力をつけるのよ」

「あ、ありがとうございます」

 リエとヒナリは団子を食べた。団子は、とても柔らかい。ほんのりとした甘さが、身体に染みる。

「あ、そうだ。もう一つおむすびをください」

「まだ食べるのかい? 食いしん坊さんだね」

「えっと、夜中にお腹が空いたら食べる用に」

 女主人は手際良くおむすびを握ると、笹の葉に包んだ。

「はい、どうぞ」

 リエはペコリと頭を下げる。

「ありがとうございます。それじゃあ、あの、おやすみなさい」

 二人は部屋に戻った。ヒナリが戸を閉めると、リエは窓を開けた。

「ソラくんの所に届けに行くの?」

「うん」

「普通に玄関から出たら良かったんじゃ──あ、そうか。ソラくんのことは秘密なんだもんね」

 窓から宿を出る。

 外はすっかり夕暮れだ。もう夜が近い。

「ねえ、夜になると、化け物が来るって……」

 リエの顔が青ざめる。

「今は気配がしないし、大丈夫だよ。でも、そうだね。結界をはっておこうか」

 すると、ヒナリは地面にしゃがみ、土をほじりはじめた。真珠を一つ地面に埋めた。宿屋の角に一つずつ、全部で四つ埋める。

「さ、これで大丈夫。ソラくんのところへ行こう」

 星明かりを頼りに、二人は来た道を歩く。

「陸は夜も綺麗だね」

 星空を見上げ、うっとりとするヒナリ。

「クラゲとはまた違う光で、素敵」

 ソラのいる藪までやってくる。ガサゴソと音がし、ソラが薮から顔を出す。

「どうしたんだ?」

「おむすびを持ってきたよ」

 笹の葉の包みを開き、地面に置く。ソラは一口で平らげた。

「うん、うまい。ありがとな。だが、別にわざわざ持って来なくてもいいんだぞ」

「お腹空いてないの?」

「ああ、大丈夫だ」

 ヒナリは薮の周りにも、真珠を埋めた。その作業を終えるとごろりと草むらに寝転がる。

「星が綺麗だね。名前とかあるの?」

「あるよ」

 リエも空を見上げる。

「あの星が朱星で、あの北の星が柄杓星」

 ソラはリエの隣に座り、前足の上に頭を乗せ、目を閉じる。

「気が済んだら、早く帰って寝ろよ」

 それきり、ソラは何も言わなかった。

 リエはヒナリに星の名前を教えながら、星々に願いをかける。

(呪いが無事解けますように。里の人やバア様が無事でありますように)

 薄い雲が、夜空の高みを流れていった。



 真夜中。

 ヒナリは眠れなかった。

 宿に戻ってきて、リエはすぐに眠ってしまった。布団でぐっすりと。一方、海の中でうつらうつらと眠るのが普通なヒナリには、陸地で眠るのは難しい。

 寝返りをうち、天井に目を向ける。天井の木目が、こちらを睨みつける顔に見える。ヒナリはギュッと目を瞑る。

 背筋がゾクゾクする。部屋の空気が冷たくなったようだ。誰かの視線を感じる。

(来た)

 そっと目を開けた。暗い天井、横で眠るリエ。すべすべした板の壁。

 その向こう側から、唸り声と足音が聞こえてくる。結界の存在に苛立っているようだ。

「……ヒナリ」

 リエが、か細い声をあげる。

「どうしたの?」

「動け、ない」

「え?」

「足も、手も、動かなく……なったの」

 ヒナリは布団から起きあがり、リエの手に触れる。温かい皮膚ではなく、冷たく固い石に変わってしまっている。

「大丈夫。あいつらはここには入ってこれない。この程度じゃ、結界は破れないよ。朝になれば化け物も消えて、身体も元に戻る。気を強く持って」

「ソラは……」

「化け物が狙ってるのは、リエちゃんだよ。ソラくんの方には行ってないと思う。それに、向こうにも、ちゃんと結界をはってるよ。だから大丈夫。このままゆっくり、朝を待とう」

 結界の中で、二人はじっと夜を耐えしのんだ。



 薄明の光が、地表を照らす。化け物は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。常闇の気配が、嘘のようにあっさりと消える。同時に、リエの手足の感覚が戻り、自由に指先が動くようになる。

「動くようになった?」

 ヒナリが微笑んだ。

「うん。大丈夫そうだよ」

「そっか、良かった」

 そう言うと、ヒナリは布団に突っぷした。ほどなくして、寝息が聞こえてくる。

 リエは、まだ冷や汗が止まらない。

 化け物の唸り声、叫び声がまだ、リエの耳の奥で反響している。奴らが迫り来る中、リエは逃げることすらできない。

(ヒナリとソラがいなかったら、本当に死んでた。私の呪いを解くための旅なのに、私は何もしてない)

 恐怖とは別の、苦い思いが胸の内に渦巻く。

(悔しい)

 部屋の隅に置いてあったズダ袋に目が止まる。あの中には、確か弓矢があった。リエは袋の中から弓を取りだそうとして、やめた。持ったところで、どうしようもない。化け物が近づけば、リエは石化してしまう。弓を引くことすら叶わない。

 袋の横に座ったまま、気づけばリエは、うつらうつらと眠っていた。

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