第38話・黄昏れるお嬢さま。かーらーのー?

 「結婚…結婚かぁ……ふふ、うふふ……うふふふふふふふ」


 昨日山のよーなダメ出しを出されてヘコみまくっていた、年下の友人とも呼べそうな少女は、翌日完全にぶっ壊れてた。

 具体的に何があったかというと。

 昨晩最後に見た姿が意気消沈したものだったので、今朝かかってきた電話にはワンコールで出た。

 その第一声が「仁麻さん仁麻さんわたしプロポーズされちゃったのぉっ!」というものだったので「は?」と反応し、昨日の一幕を思い出しとうとうヤベぇもんキメやがったかこのぶっ飛び娘、と思い、外で会う約束だけして時間より大分早く来てみたならば先に待ってて、この調子だった、という次第である。

 ちなみに職場である役所には「忌み日だから休みますぅ」と平安時代の官みたいなことを言って休みにしたのだが、念のため、今どきの公務員がそれで休めるわけがない。


 「な、何があったのかよく分からないけど…ご機嫌ね、篠ちゃん…」


いつぞや麻季と万千が額付き合わせて話し合いをしてた青葉台駅前のマックの二階で、ご機嫌どころか今ならチャバネゴキブリにすら愛を注げそうな勢いの篠の向かいの席に怖々と腰掛ける仁麻。


 「………うふふふふふ………あ、仁麻さん。おはようございます。奇遇ですね?」

 「奇遇も何もここに来いって行ったの篠ちゃんの方じゃない…うう、聞くのが怖いけど、何があったの?」

 「ええ~~~っ?こればかりは仁麻さんにも言えないですよぅ。でもですね。わ・た・し、幸せの絶頂なんですから何でも奢っちゃいますよ?!」

 「…マックは席に着く前にお金払うんだけどね…?いいけど。で、何も話せないなら帰ってもいい?仕事サボっちゃったからせめて有効に活用したいのでー」

 「あー、ひっどーい!わたしの幸せに付き合ってくれるのは有効な活用じゃないって言いたいんですかぁ?」


 まったくもってその通りなのだが、それを言うと話がややこしくなる。絶対。つまり、もうこの際仁麻も観念するほか無いわけで。

 いつまで経っても帰って来ないで、クソ面倒くさ…もとい、扱いに厳重な注意の必要なお嬢さまを自分に押しつけてる麻季を恨みながら、我ながら薄っぺらい笑顔を浮かべつつ「それでどおしたのぉ?」とか愛想を振りまく仁麻なのだった。


 「やん…それでどうしたって…もう、仁麻さんだから話すんですからねっ!」

 「うん、わかった。ウザイけど(ボソリ)。それで、何があったの?」

 「それは、ですねぇ……えーっと、やっぱり言わないとダメなんですか?言ったら麻季が怒ったりしないかなぁ……」

 「うん、まあ麻季ちゃんとの間で何かがあったのは分かったからね?いい加減にしないと、おねーさんにもガマンの限界っていうものがあるからね?」

 「えっ?!……いえあのその…わたし別に麻季のことだとかそんなこと言ってないですしぃ……やんっ!」


 くねくねと身を捩って身悶える篠の姿は、傍から見れば恋に恋する可愛らしい少女の姿、で、いーのだろうが、それも害が及ばない限りの話である。

 本人にそのつもりのない惚気話など、他人の結婚式で見せられる、新郎新婦の馴れ初めをまとめたパワポ並にタチが悪い。ましてや惚気の対象が身内である麻季なら尚のことだ。いや結婚話で一方が身内なら他人事なのではないだろうけど。


 「…プロポーズっていうんならね。実は昨晩麻季ちゃん家から連絡あって。わたし、今日の午後から麻季ちゃんとこに行かないといけなくなったの」


 要するに、家庭の事情だからと急遽とった半休を更に伸ばして一日休みにしだたけのことだった。流石に仁麻でも何も無い日に丸一日サボる度胸はない。


 「…え?麻季のとこに…?あの、麻季ってまだ帰って来られないんですか?」


 不穏な空気でも醸し出していたのか、にわかに不安顔になる篠。

 のぼせ上がってるよーでも、この子はこの子なりに不安と戦ってはいたんだろうなあ、と思うといじらしくならなくもないのだが、朝っぱらから砂糖を噛むよーな話を聞かされた報復くらいはしたくなる。

 そこで、このクソかったるい時間をさっさと切り上げるため、仁麻は最後の切り札を切った。


 「…麻季ちゃんね。お見合いするんだって。帰省もそのためだったみたい」

 「………は?新手のギャグですか?仁麻さんには似合わないですよ、そういうの」

 「…いや、ギャグとかじゃなくてね」


 全く信じてもらえてなかった。

 いやまあ、確かに普段の麻季のナリと行動で見合いとかいうても、檻の中でトラと体面するようなものだろうけど。見合い相手が。

 けれど、仁麻が伯母の淑子から聞いた話では間違い無くその通りで、慌てて電話をかけた麻季も、彼女らしくなく戸惑った様子で「どうしよう、ニオ姉…」とか言ってたので、関係する登場人物うちの少なくない人数が混乱していたのは、間違いのないことだろう。

 で、きっと関係者のうちで最も混乱してるのは。たぶん。


 「麻季が見合いとかするわけないじゃないですか。だって、わたしのものになったんですよ、麻季は。わたしとキスして、好きって言ってくれて、わたしも好きだって言って。昨晩だって、わたしに結婚に興味ある、って聞いてきて。それってわたしとの結婚も考えてる、って意味ですよね?それが、わたしをほっといて見合いとか……するわけ、ないじゃ、ないですか…?」

 「………(ゴクリ)」


 仁麻は、篠の剣幕…いや、据わった目でこちらを睨め付ける顔に恐怖を覚えた。

 ぶっちゃけ、チビリかけた。

 というか、いつの間にか麻季と篠がデキてることが、前提になっていた。


 (やっばぁぁぁぁぁっ……このコそーいえばヤンデレの気質あったんだっけ……あうあう、麻季ちゃぁぁぁん……恨むわよぅぅぅ……)


 「まっ、待って待って篠ちゃんっ!たし、確かにわたしも麻季ちゃんが篠ちゃんほっといてそんなことになったりするとか思わないけどねっ?!」

 「……ですよねー」

 「(ほっ)」

 「というかどこの泥棒猫ですかわたしの麻季を奪ったりするとか許さない許さないぜったいに許さな」

 「ストップストップっ…!他のお客さんが引いてるってばっ」


 それはまあ、美少女と充分言える篠がやにわに立ち上がって暗い顔でブツブツ言うのである。別に話が耳に入っていなくても周囲に様子が気になる他人がいても仕方あるまい。

 増して、他人でなければなおのこと。


 「…あれ、しのしの?どしたの朝っぱらから。ああ、あーしは朝飯よねん。どうせなら昨日の働きに応じた朝飯たかろうと思ってきたんだけど空ぶっちゃってさー。いやいやいいところで会いましたー、ここの支払いもってくんない?……って、どしたの?」


 空気を読むとか雰囲気を察するとか、そーいうことが一切出来ない少女の登場だった。

 ちなみにトレーにのっていたのは、ソーセージマフィンの、単品だった。




 「あー、あー、あー…そおいうことだったか。なるほど納得ー。しかし友人が百合っ子だったとはねー。あ、心配しなくてもいーよー。可愛い女の子はあーしも好きだし、あんまそーいうのに抵抗ないし。つーかぶっちゃけまきっちなら、しのしのが惚れても仕方ないやんねー。男前だしねー」

 「そ、そう…?よく分かんないけど…ありがと。あ、朝ごはんそれだけだと足りなくない?話につきあってくれたお礼に出してあげる」

 「おー、ありがたくゴチになるよー」


 前後の流れはともかく麻季が褒められたという認識はあったので、篠はあっさり機嫌を直し、万千のトレーの上にはドリンクとハッシュポテトが追加された。


 「…んと、ゴチでした。そのうちなんかお返しするよ。で、しのしのは何を悪魔みたいなオーラ出してたん?におっち完全にビビってたじゃん」

 「…うー、それなりに技も極めた自覚はあったのに…いざってときにホント役に立たないぃぃぃ…」


 技が役に立たないのは修練が足りないせいではなく単に仁麻自身の性格の問題で、麻季より先にその道を投げ出したのもそれが理由なのだがそれはさておくとして。


 「まきっちが、結婚んんん………ありえなくね?」

 「結婚じゃなくて見合いだってば。とにかくわたしをほっといて見合いとか許さない許さないゆるさ…」

 「ひぃっ?!」


 またもや黒化した篠に、ひきつけみたいな声を出して震え出す仁麻。最早これはトラウマレベルの出来事なのではなかろうか…。


 「いや、それはえーから」

 「いたっ」


 まあ空気を読めない万千に通用するものでもないのだが。


 「…なにするのよ」


 チョップを食らった頭を押さえながら、向かいの席に座った万千を恨めしく睨む篠。


 「いやさ、まきっちがモテるー、なんて話聞いていちいち暗黒面に落ちてたら身が保たないっしょ。あのとーりまきっち美人で格好いいし、蓮っ葉に見えて面倒見はいいから、男からも女からもひくてあまただろーし」

 「うう…その通りなのよぅ…しかも麻季にその自覚が…多分ないのが一番の問題でぇ…」

 「あー、自覚なさそーだねぇ…確かに。まあでも、ほらさ。しのしのは自分に自信無いの?」

 「自信?なんの?」

 「まきっちにいっちゃん愛されてる、っちゅう自信がさ。自覚というか」

 「…そんなのあるわけ……だってだって、今だってわたしのことほったらかしにして一週間も…ほんとにわたしのことが一番好きだったらもうすぐにも帰ってくるはずじゃないのよぉ……」


 ダメだこりゃ。

 処置なしとばかりにお手上げの構え、なのは、仁麻だけである。

 万千の方は…頬杖ついて、対面の友人の顔をにやにやと見つめながら、その額を指で突いて言う。


 「まきっちはさー、しのしののためにやろーとしてやってるんじゃないの?ていうか、まきっちは好きでひとの世話やいてるんじゃないかな。でなけりゃあさ、しのしのみたいな破綻生活者、とっくに見放してると思うんよ」

 「はっ…はたんせいかつ…そこまで…」


 いっちょまえに衝撃を受ける篠。

 そこまでショックなのならいろいろと直せばいいと仁麻などは思うのだが。


 「んー、まあでもね。まきっちだってダメ人間に尽くすのが最上の歓びー、なんてドMな性格してるわけじゃないと思うんよね。あンひとはさ、こお、しのしのみたいなダメ人間をさ、お世話して、面倒見て、だんだんとよくなってくことがとっても好きなんだよ、きっと。だからしのしのみたいな、生活能力向上の伸びしろがおっきいご主人さまなんて大好物なんじゃないかな。きっと」


 それは現時点では限りなく生活能力がマイナス、という意味なのだがそこに篠は気付かず、「そ、そうかな…」とかなんとなく、気をよくしてたりする。きっと麻季がいたら、「そんなチョロいことで大丈夫ですか、お嬢さま」とか言い出しそうな光景だった。


 「だからさ、しのしのもいーかげん…」

 「でもでもっ!……それなら、やっぱり…麻季なら、わたしよりも生活のーりょくに欠けたおとこのひととかに惹かれてしまうんじゃ…」


 それじゃただのダメンズ好きだろう、とかツッコもうとして仁麻は止めた。折角万千が全部引き受けてくれてるのに、自分が矛先になったのではたまったものではないし。最年長者の考えることではないだろうが。


 「…まあさー。話の最初を聞くと、まきっちがしのしのに、結婚に興味あるか?って聞いたことじゃん。なんでそこからプロポーズされたー、なんて話になんのさ」

 「だって、麻季が結婚したい、とか言うならわたし以外となんかあり得ないし…」


 あり得ないのは同性で結婚する、ってとこだろーが、と一人を除いて二人は思った。


 「まあそれでしのしのが機嫌良くなるのはいいよ、別に。で、におっちが言ったのはさ、まきっちが見合いするよー、ってことでしょーが。なんでそれであんたが青くなったり黒くなったりする必要あんの」

 「だって!…だってその、麻季のことならみんな好きになるだろうし、麻季だって満更でもなかったというか…その……」


 そなの?万千が目で問うて来たので、仁麻は篠の様子をうかがいつつ、小声で答える。


 「…んー、どっちかっていうと麻季ちゃんは、どーしたらいいかわかんない、って感じだったと思うー」


 なるほど。

 万千は得心して、頷く。空気は読めないが、得た情報から話を作る…ではなくて、望んだ方に相手を操縦する…でもなくて、とにかく話を理解してどーにか前向きな方向に持ってくことにかけては、篠の周囲では随一といって良い。


 「んじゃあさ、自分で確かめるしかないんじゃね?」

 「え?」


 相変わらず暗い顔をしたまんまの篠が、顔を上げていた。


 「だからさ。しのしのはまきっちに一番愛されてる自信があるのかー、とかさ。しのしのは誰よりもまきっちを愛してる自信があるのかー、とかさ。直接会って、確かめてみればいんじゃね?帰ってくるまで待ってたらヤバいってんなら、会いに行けばいーんだろし。ね、におっち?」

 「…うー、まあ麻季ちゃん家を教えるくらいなら構わないけど…」


 というか、まず仁麻には麻季の母に篠の家を教えてしまった、という負い目があるのだ。篠からそんな依頼があったら逆らえるはずもないのだが。


 「あのその、ただね、でもね、わたしが一緒に行くのは…その、無理なの。それは分かってっ!」

 「…なして?」

 「あのその、なして、とか可愛く言われてもー…」


 「いいですよ、別に」


 「え?」

 「お?」


 いかにも弱みを握られたー、という顔の仁麻と、それに気付かない天然丸出しの顔をしていた万千の二人が、急に気ざっぱりした顔に変じた篠を見て、怪訝な顔つきになる。


 「いいですよ、一緒でなくても。仁麻さん、麻季の家の場所教えてください。わたしはわたしで、やりたいようにやりますから」


 そ、そお…ならあとでメールしとくわね、と、勢いの削がれた顔で仁麻は承諾する。


 「ありがとうございます。あ、そういえば…見合いっていつなんですか?」

 「えーと、たしか明日って言ってたと思う。わたしに何させようかっていうと…なーんか、麻季ちゃんが逃げ出さないように捕まえとくってとこなんじゃないかしらねー」

 「そうですか。なら、わたしが行くまで麻季を押さえといてくださいね」

 「…?麻季ちゃん、何をする気?」


 篠の顔が、妙に血色よくなっていることに二人は気付いた。

 仁麻よりは付き合いの長い万千は、「あ、こりゃ悪いこと考えてんなー」と看破してたが、巻き込まれるのを怖れて黙ってた。


 「万千?わたしを煽ったんだから、きっちり付き合ってもらうわよ」

 「…結局そうなるかー」


 無駄だった。


 「あの、篠ちゃん?なにをする気なの?」

 「なにって。決まってるじゃないですか。見合いなんか、ぶっ潰してやります。映画『卒業』の時代からクライマックスは花嫁の略奪って相場は決まってんですっ!」


 見合いと結婚式は違うしそもそもキャスティングの性別とか人間関係とか登場人物の立場とか何一つかすってもいないんだけどなー、と仁麻は思ったが、諦めた。

 どうせ自分の居ない場で事態は悪化…もとい、進行するのだし、何よりもその方が…面白そうだ。


 「におっち、悪い顔してんなー」


 呆れ顔の万千の指摘にも、篠は「そう?いいと思うけど」と意にも解さなかった。

 そして、思い込み百パーだった時と同じような含み笑いを、その時よりは大分明るく、且つ悪く。

 「ふふふ」というよりも「ククク」といった趣で洩らし。


 「…見てなさい、麻季。あなたがどういうつもりか知らないけど…わたしの知らないところで結婚だの見合いだのさせて、たまるもんですかっ!」


 両手の拳を握りしめて立ち上がり、宣言したのだった。

 そしてその背後に波濤の飛沫を見たと、同席していた二人は後に語ったとか語らなかったとか。

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