第39話・うぇい・とぅ・ばーじんろーど!
やると決めたその日の篠の行動は早かった。
「群馬の伊勢崎までわたしと友だちひとり乗せていけるだけの車用意してっ!場所はうちの部屋の前、時間は九時でっ!よろしくっ!」
姉は子供が産まれた時に備えて…とかいって、八人乗りのミニバンを買ってあるのを知っての依頼だったが。
ちなみに車を買ったのは、結婚した直後のことである。気の早い話だった。
翌日。
朝の九時に待ち合わせの場所にやってきた万千は、段取りを篠から聞かされて不思議に思ったのか、こんなことを言った。
「それはいーんだけどさ。よくもまあ登藤センセが言うこときいてくれたねぇ。元ヤンでしょ?怖くないの?姉妹だっつーのは聞いたけど」
「そんなの簡単よ。お苑相手ならこう言うだけで充分。『あのこと、義兄さんにバラすわよ?』って」
「うへぇ…こわいこわい。つか、それで言うこときいてくれるセンセもけっこー可愛いとこあんのな」
「そう?…まあ確かに義兄さんにはべた惚れっぽいけど」
でなくて、そーいうことで妹のおねだり聞いてくれるとこなんだがな、とは言わなかったところで、件のミニバンが二人の前に滑り込んできた。
後席のスライドドアが自動的に開いたので、早速乗り込む二人。
篠のマンション近く、時間ぴったりだった。
「センセ、おはよーございます。今日はよろしくお願いシマース」
「おはよう、鹿角さん。出来れば今日の出来事は忘れてもらえると助かるわ」
先に乗り込んだ万千が軽口を叩くと、運転席の苑子は能面みたいな顔をして、万千にそう言った。普通に今の姿を知られるのが愉快ではないらしかった。
そりゃまそうか、と思いつつシートベルトを締める万千の隣に、篠が乗り込む。
「お苑、頼んだもの持ってきてくれた?」
「持ってきたけど…アンタ、これ一応私にとっても大事な物なんだから、丁寧に扱いなさいよ」
「分かってる、ありがと」
と、助手席に置いてあった何か取り上げ、運転席との間から篠に渡す。
そこそこ大きな箱だが、中身は軽いものなのか片手で寄越されていた。
「しのしの、なにそれ?」
「え?…うーん、まあどっちにしても分かるしね」
少し考え込んだ篠だったが、割に軽い手付きで箱を開けた。
その中にあったものが最初何かは分からなかった万千だが、篠がそれを取り出して見せられると。
「………あほだ、こいつ…」
と、友人付き合いを根本から考え直しした方がいいんじゃないかと、思ったのである。
そして車は国道から環八通りを経由して関越道に…ではなく、わざわざ中央環状と外環道を経由して関越道に入った。
山手トンネルを通りたい!と言った万千と、ナニソレと興味を抱いた篠の要求に従ってのことだったのだが、トンネルに入って三分後、「景色変わんなくてつまんないわね」「ねー」という後ろ座席からの勝手な言い草に元ヤン教師が怒りに震えてたとかなんとか。
そりゃーまあ、高速料金払ってる身としては文句も言いたくなることだろう。
「んで、しのしのとしてはどーするつもり?」
「さあ?出たとこ勝負よ。どうせ麻季が何考えてるんだか分かんないんだし」
所沢も過ぎ、車の流れも大分落ち着いてきた頃、車窓の外の風景にも飽きたのか、万千はそんな話題を振る。
それはそうなのだろうが、あまりにも考えなし過ぎないだろうか。一応内通者もいることなのだし、とりなしくらいは求めた方がいいと思うのだが。
「仕方無いじゃない、仁麻さんだってあれから電話出ないんだし。でも麻季のこと押さえておいて、ってお願いはしてあるから大丈夫でしょ」
「つってもねえ…センセ、センセ。妹さんがあまりにも考えなし過ぎる点について、何かコメントは?」
「知らねえわよ。わたしゃ今日はただの運転手だから、荷主の要望に基づいて荷物の運搬するだけだわ」
「…妹さんが住み込みメイドとねんごろになっている件については?」
「………口出し出来る立場じゃあないけど。うまいことやれれば、それでいいわ」
うまいこと、ってのはどんな状況なんだろなあ、と思ったのだが、そこの点については明確な答えは無かった。
何にしても、立場によって思うところはいろいろあるのだろう。ただの傍観者のハズの自分にしたって、澄まし顔の友人が今日帰る頃にはどんな顔してるのか、くらいには興味があるのだし。
「…なに?」
「んや、しのしのは女の顔になったねぇ、ってさ」
「ありがと。褒められたと思っとく」
やっぱり澄ました顔でへーぜんと言ってのける篠は、昨日ダークサイドに堕ちかけていた少女と同一人物だとは思えないなー、とこれまた失礼な感慨を抱く万千なのだった。
「もらった住所が正しいならココだけど…?」
利根川沿いの、割と古そうな住宅街のなかにその屋敷はあった。
ごくごくフツーの、お金はかかってはいるがよくある一軒家で育った苑子や万千には少しばかり気後れするサイズの、日本家屋である。
車を玄関と思しき門の近くに止めて、苑子は助手席側の窓の向こうにある屋敷を見て言う。
「古武道の家っていうから仰々しい道場でもあるのかと思ったけど…いや、あるのか」
あるのである。
それほど大きいものでもないが、しっかり手入れされ、瓦の葺かれた屋根に戸板で覆われた、いかにも道場っぽい建物が外からも見える。
「つーことは間違い無くまきっちの家だね。しのしのー、準備いいー?」
「ちょっ…待ってってば、これ意外にてまどっ…あっ」
「あ、って何よあっ、って!大事に扱いなさいって言ったでしょうっ?!」
慌てて振り向いた苑子と目が合った篠は、普段にない化粧なんぞをしているせいで、別人のように見える。
「…悪いこと言わないからもう少しそのケバいファンデ落としておきなさい。若いんだから」
というか、衣装に引っ張られて無駄に派手な顔になってる妹を気の毒そうに見ていた。
「ほーらだから言ったじゃんー。しのしのは元がいいんだから化粧はおとなしめでいいってー」
「…面と向かって顔がいいとか言われても反応に困るわよ」
「そだね。そういうのはまきっちに任せとこ?んじゃ、いこか」
「おーけー。出陣よっ!」
まあ、若い娘が出陣を叫ぶには確かに似合いの格好かもしれねぇけどなあ、と姉たる身のドライバーは思い、ただし口では「いってら。夕方にまた来るからそれまでには済ませときな」と事務的な言葉だけを残し、走り去ってしまった。
「…あ、しまった。あーしもセンセと一緒に車に乗ってけばよかった」
「ちょっと。それじゃわたし歩くことも出来なくなるじゃない。ほら、ちゃんと裾のとこ持ってよ。いくわよ」
「しゃーねーかー。ほいじゃ…たーのもー」
「道場のあるお家に向かってするかけ声じゃないでしょそれっ?!道場破りに来たんじゃないんだからっ!」
「しのしのは肝心な時にヘタれるなー。そんな格好で道場破りに来たとか思われるわけないっしょ」
「…そりゃそうかもしれないけど」
とはいえ、確かにここに来て腰が引けてるのも事実なのである。
門を潜り、玄関の前にまではどうにかやってきたが、篠は戸を開けることも呼び鈴を押すことも出来ずにたたずんだまま、後ろの万千に振り返り、気弱な声をかける。
「ね、ねえ…やっぱり一度出直さない?」
「おいおい、しのしの。女は度胸って言葉知ってる?ここで引き返したらぜってー後悔するって。ほら、愛しのまきっちがすぐそこにいんだから、覚悟決めて突撃しよ?ね?」
「ね?じゃないわよ突撃ってなによ突撃って!わたしはケンカ売りに来たんじゃなくて…」
「…だーら、あたしはイヤだ、っつてんだろがっ!」
前向きと後ろ向きのベクトルがちょうど拮抗して身動きとれなくなった二人の耳に、聞き慣れた声が聞こえた。
「…この声って」
「…まー、まきっちのだと思うけど?」
「いーから麻季ちゃん覚悟を決めなさいって…あうあう、おばさぁん!麻季ちゃんこの期に及んで秘められた力とかに目覚めちゃった感じかもぉっ!」
「…っ、テメこの仁麻ッ!裏切りやがって!あたしはこんな家出てってやるッ!!」
言い争う声はどったんばったんという賑やかしと共に近付いてくる。
閉ざされた玄関の向こうで何が起こっているのか、それは分からないが、麻季がピンチに陥っていることだけは理解した。
「麻季っ!」
それで充分。大事な自分のメイドの危機に手をこまねいていては、お嬢さまとしての立場が廃る。
篠は最後の三歩を飛び出し、慌てた万千がスカートの裾から手を放してしまったのも構わず玄関の戸をがらりと開けて、愛しいメイドを迎え入れんとする。
「麻季ぃっ!迎えに来たわ………よ?」
「お嬢さまぁっ?!………え?」
そして、そこにいた麻季の格好を見て凝固した。
「…あ、あのお嬢さま…?………その、なんつー、カッコしてるん…すか?」
「…それはこっちの台詞よ。麻季、なんなのその格好は?」
一週間ぶりに対面した主従は。
等しく、ウェディングドレスに身をつつんでいたのだった。
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