第37話・あたしのさがしもの

 主が生活能力の件でフルボッコのダメ出し食らっている頃、メイドの方は、というと。


 「…長年ほったらかしにされ、帰って来いと言われて帰って来て、一週間もなんだかんだで待たされて、何があるのかと聞かされてみりゃあ…婿養子を取るから結婚しろ、だぁ?親の都合だけで勘当したり解いたりすんじゃねェよ!振り回されるこっちの身にもなってみろ!」


 場所は、旦椋家に今もある父の部屋。単身赴任の割にはほいほい帰って来るせいか意外に生活感がある、いかにも書斎という感じの和室で、麻季は一週間引き留められていた理由を、知らされていた。


 「いや、そうは言うがな、麻季。親にしてみればこれまで散々娘の行状に振り回されてきたわけだしな。ここらで帳尻合わせてもらいたいと思うのが、人情ってもんじゃないか?」


 説得するつもりの全く無さそうな声色で言われると、麻季も怒る気が失せる。真面目に取り合うのもバカバカしいというか、今の父の話も自分をからかってるだけじゃないのか。

 そう思って、目の前の胡座に座った、甚平姿の中年男性を見た。

 旦椋嘉心あさくらかしん。背丈は麻季よりわずかに高いだけの小柄な男だが、和装の胸元からのぞく胸板は、分厚い筋肉に鎧われている。

 これで立ち上がるとがに股・低重心の伝統的日本人体型なのだが、上半身の筋肉はきっちり下半身にまで及び、見るからに古強者、という外見なのだった。

 当然、麻季が何度突っ掛かっても敵いっこない。幼少の頃の、自分の修練の思い出に父の姿が少ないのは、単に自衛官として全国を飛び回っているからなのだが、さて自衛隊で何をしているのか。格闘技の教官、みたいな話を聞いたこともあるが、麻季にとってはどうでもいいことだ。


 「振り回された、ってんならこっちが言いてェっつうの。なんだよ、家業を継ぐ決心をして必死にやってみりゃあ、もうそんな時代じゃねえ、とかで投げ出された身にもなれっつんだ。挙げ句の果てには本人の意志を無視して結婚しろ、だと?あたしは死ぬまで親の道具にならなけりゃなんねえのかよ。ここは世界のどこで今は何時代だ。ああ?」


 まあ、親が親で言うことがあれば、娘は娘で文句も積み重なっている。

 そういうものを解きほぐすための一週間だった、と考えてガマンはしてきたが、流石にコレは麻季も腹に据えかねる。


 「うん、まあな、お家のために堪忍自重の時代じゃねえってのは承知してるわけだ。だから無理強いをするつもりはねえんだがな。こんなガサツな娘でももらってくれる、っつう男がいるんならホイホイ乗ってしまうのも親ってもんだろうがよ。あのな、麻季よ」

 「ンだよ」


 そろそろ殺気すら伴いつつある目線で、父の眉間を射貫く。ガサツで悪かったな余計なお世話だ、と。


 「お前は昔っから、いろいろ雑で粗野な性格だったが、ひとの面倒見がよかったりと根っからの悪人なんかじゃあ、ねえ。それは俺も淑子も分かってる」

 「……何が言いてェんだ」

 「だからな、そういうお前の良いところを理解して、一緒になってくれる相手がいるってんなら、別に家と旦那を押しつけたりはせん。養子の話は事実だが、別に婿に迎えると決まったわけでもない。元々本家からの申し出だしな」

 「話がなげぇよ。さっさと終われや」

 「要するにだな。お前、そろそろいい相手とかはおらんのか?こないだの電話の具合では満更でも無さそうだったが」


 色恋絡みで親にからかわれて満更でもない、なんてェキャラじゃねーよあたしは、と言いかけて止めた。篠のことを思い出して顔が赤くなっている。自覚出来るくらいに。この有様でそんなことを言ってしまったら…何だか色々と察せられてしまいそうだ。


 「……ま、そう深刻にとらえるな。要らん心配だったとしたらそれはそれで結構なことさ。とにかく、明後日には先方もこっちに来るという話だしな。詳しいことは淑子に聞いてくれ。俺は細かいことは知らん」

 「そのくせ余計なことはキッチリ口にしやがるんだもんな、てめーは」

 「親に向かっててめえ、はなかろうが不肖の娘」


 叱られるかと思ったが、嘉心は相好を崩して、部屋を出て行っただけだった。

 麻季の横を通るとき、頭をくしゃっと一回撫でていったのが…無性にムカついた。

 それが、いつまでも子供扱いしやがって、という本心からだとは気付かずに。少なくともこの一週間、繰り返された対話は、親と娘という錆び付いていた関係に油を差すだけの効果があったことを、麻季はまだ自覚していないのだった。




 「麻季。ちょっとこちらにいらっしゃい」


 なんだかよく分からない気分を抱えたまま父親の部屋から出て縁側をドスドスと音高く歩く。そして、やたらと広い居間の前を通りがかったとき、声をかけられた。

 一体誰が、などと考えることもなく、声の主に胡乱な目を向ける。目が合うと、言われた。


 「母親に対して向ける顔ではありませんね。こちらに来て座りなさい」

 「………」


 七秒迷って意を決し、言われた通りにする。

 居間には他に誰もおらず、隣の仏間との間にある襖は開け放たれいて、風が通るようになっていた。夏の真っ昼間にしては涼しく感じて少し気分を直した麻季は、気が緩んだ隙にか胡座の自分の後ろにまわった母の姿にギョッとなる。


 「じっとしていなさい」


 振り向こうとした頭を押さえられ、何が始まるのかと首をすくめていたら。


 「…だいぶ痛んでますよ。女の子なのだから髪は大事にしなさい」


 すっ、すっ、とよどみのない手際で髪を梳かれた。ブラシなどいつ持っていたのか分からないが、時折髪が引っかかって頭が引っ張られる感覚すら、不思議と気持ち良く感じる麻季だった。


 「…うるせえ。髪のことで親にごちゃごちゃ言われたくねぇんだよ」

 「言えた義理ではない、というのでしたら返す言葉もありませんがね」


 あともう女の子って歳でもねえよもうすぐ二十一だよ、という重ねての文句は呑み込んだ。母の言がそれくらいには意外だったからだ。

 そのまま黙って、麻季はされるがままに。母は…というと、麻季からは顔が見えないので何を考えているのか想像も出来なかったのだが、手付きがひどく優しく感じられてしまい、この時間を心地よく感じられる自分を「くそったれ」と罵って、絆されそうになる胸中を抑え込んでいた。

 そして好きなようにされているうちに、こめかみの辺りがぐいと引っ張られるような感触があった。

 痛ぇよ、と文句を言おうにもそれを許さないような気配が後ろからして、自分で修めたわけでもないのに武家の娘として生まれて育った母の、凄味のようなものを覚えて、なんとなく背筋が寒くなる麻季なのだった。


 「はい、終わりましたよ」


 顔がつっぱるような感触は残ったままで、終了は宣言された。

 一体何をされたのかと後ろ頭に手を回すと、髪が後頭部の高い位置にまとめられている。いわゆるポニーテールという形にされていた。


 「懐かしいでしょう。あなたがこの家にいた頃はよくこの髪型にしてましたね」

 「……してたけどよ。よくもまあ、今になってこの形にする気になるもんだ」


 修練の時は、邪魔っけな髪をこんな風にまとめていた。それをしてくれたのは母だったから、余計にそう思える。


 「…お父さんから聞きましたよ」

 「何をだよ」


 そうして、懐かしいようなどこかくすぐったい感触に戸惑っていると、背中から声をかけられる。

 あのクソ親父が何を言ったのかと思っていたら。


 「何やら好い人が出来たそうですね。今度連れてらっしゃい」

 「まてまてまてっ!話がぶっ飛びすぎだろうがよ、おいっ?!」


 今の親子関係では一番空気読まない内容だった。

 流石に背中越しに出来るような話でもなく、麻季は慌てて体を反転させたのだが、母は存外にしれっとした顔でいた。


 「意外な話でもなんでもないでしょうに。婿養子を用意したから家に帰ってこい、でも実は娘には思い人がいました。今しないでいつするというのですか、そのような話。それとも見合いの場でいきなりぶち上げようとでもいうのですか?将来を誓ったひとがいるので、この話は無かったことに、と」

 「…例えが極端過ぎるぞ」

 「そうかもしれませんね。ですけれど、旦椋の家として…いえ、あなたの親として、娘が帰って来る場所は今でも用意しているつもりはあります。麻季、あなたは余計なお世話だと思うのかもしれませんし、この家を飛び出した時の経緯を思えば…勝手な親だとも思うかもしれません」


 本当に勝手なことだと、何度も何度も、目指す道を定める前から思ってきたことを、また思う。

 麻季にとっては親も、周囲の大人もその意味では同じようなものだった。

 家の気風がそうだったから、というだけの理由で習った技は、自分の本当にやりたいことには何の役にも立たなかった。

 それでも続けたのは、そうあるべく期待されたからだった。

 もうそんな時代じゃ無いから、というだけの理由で向けられた期待は霧散した。

 やっぱりそれでも続けたのは、家族が頑張っていたからだ。でも、その頑張りが何の意味も持たない理由の一つに、自分のこの髪のことがあったと思った。

 だから、家族の重荷を下ろそうとして自分も降りた。

 それなのに。


 「……だったら、なんであの時あんなこと言ったんだよ。あたしの髪が、こう産まれてきたことを苦しみみたいに言ったんだよ。あたしは、それが、それだけが許せない。例え許せる時が来ても忘れねぇ。絶対に」

 「そうですね。何かのせいにしたかった、それを我が娘に向けてしまったことはわたしたちにとって生涯負わなければならない咎なのでしょう。だからといって甘くしようとは思いません。麻季、旦椋の家を保ち続けなければならない義務を持つひとりの人間として、娘たるあなたに無理を強います。結婚して、この家を継ぎなさい」

 「…………」


 お慕いするお嬢さまのことを思った。

 誰かのために、自分が出来ることをやる。それは幼い頃から持ち続けた麻季の矜持だ。

 麻季は自分がそんな大それた人間だ、などとは思っていない。日本中を、だとか世界の人を、だとかは考えられない。自分が出来るのは、せいぜい隣にある何か、自分が好きになった誰かのためになることをするだけだ。

 そして、それが自分のしたいこと。

 ここにいてはそれが出来ないと思ったから、家を出た。


 そう思ったら、全てが腑に落ちた。

 自分が今したいことが何なのか、納得がいった。


 「…家は継がねえ。親の用意した婿もいらねぇ。あたしはやれることを探すために家を飛び出して、それを見つけた」


 俯いて母の話を聞いていたが、今はもう胸を張って言える。


 「なんかいろいろ振り回されてた気はするけどな。お袋、あたしはもうあんたらや本家の大人連中の期待に自分のしたいことを上乗せしてたガキとは違うんだと思う。親離れした、なんて自分で言うつもりはねぇけどよ、それはいつかやらなけりゃならねぇことなんだ。だったら…自分がそうなれると思った今から始めたっていいじゃねえか」


 一度も目を逸らさず言い切るまでの間、母も麻季から目を離さなかった。

 この一週間、家族であることを取り繕ったような関係でいたが、やっと言いたいことを言えた気がする。

 それで何かが変わるとは限らないし、麻季も、きっと両親もそこまで能天気でもないだろう。

 まあそれでも、向き合って言葉を交わさないと変われないだろうし、元に戻るも関係が変わるも選べはしないのだろう、きっと。


 麻季が背中を押して、血の繋がった父と繋がらない母と向かった篠のことを思う。

 あるいは彼女も、今の自分と同じような道を辿った…いや、親がこちらを向いていた自分などよりもよほど、強い想いはあったのだろう。


 (帰ってきたときののーてんきな顔見ると、とてもそうは思えないけどなぁ)


 苦笑がもれたのか、母が怪訝な顔でこちらを見ていた。


 「…いいじゃねえか。どうせどちらかが死ぬまで親と娘って関係は消えねえんだ。お互い不本意かもしれねーけどよ、時間かけて親子やっていきゃあいいだろ。あたしの言いたいことはそんだけだ。そっちにはまだあんのか?」

 「………そうですね。明後日のことはどうするのです?」

 「まだそれに拘んのかよ。まあいいぜ。会うだけは会ってやる。その場がどんなことになるのかは知らねえけどな」


 自棄になったというよりは、面白い見世物を心待ちにでもするかのような笑い顔で答えた。


 「それで誰が来んだよ。あたしの知ってるヤツか?」

 「宇治の祥平が来ますよ。歳も同じですし、お似合いでしょう」

 「………おい」


 それは、本家に連れ回されていた時に顔を合わせ、不思議と意気投合した同い年の少年…いや、今は青年の名前だった。

 どうせ顔も知らないヤツが来るのだろうと高を括っていた麻季は、「結婚」という単語が急にリアルに感じられてしまい、篠の顔を思い浮かべて焦りのようなものが胸中に浮かび上がるのだった。




 そしてその晩。

 不安にかられた麻季はお嬢さまに電話をかけて、とんでもないことを口走ってしまう。


 「…あの、お嬢さま…?そのー………結婚…に興味って……あるっすか?」

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