第36話・君去りし後、なんて言ってる場合じゃない
「お嬢さま、作り置きの総菜は二日分っすからね。間違っても明後日には食べないでくださいよ」
「分かってる」
「あと洗濯は無理にしなくてもいーすからね?簡単そーに見えて洗濯って難しいすからね。特に下着洗う時は…」
「分かってるってば。どーせわたしに出来るわけないんだから手出しなんかしないって」
「…あーもー、心配っすよ…あの、もう一度言いますけど、冷蔵庫の調理済みのは明日中に食べてください。いーですか?絶対、三日目に食べたらダメ…」
「分かったってば。そんな心配、麻季が予定通りに帰ってくればしなくて済むじゃない。あのね、夏休み中は一緒に泳ぎに行ったりとか、花火見に行ったりとかいろいろ考えて楽しみにしてるんだからね。あ、そうそう麻季。あなたパスポート持ってる?」
「どこまで連れ回すつもりなんすか、お嬢さま…」
そんなやり取りの末、篠の見たことも無い「普通の格好」で、麻季は帰省していった。ヤンキースタイルに拘りはなかったのだろうか。
いや、実家に帰る、ということについて、麻季にも思うところがあったのだろう。そうとでも思わないと、この部屋から出て行ったのが本当に麻季だったのかが疑わしくなる。
「…そりゃないんじゃないかな、しのしの。一週間前に出て行ったのがまきっちじゃなかったら、こんなに部屋汚れてないっしょ」
「………」
なんというか、「ごっちゃり」という態のリビングの有様を眺めながら、万千は保育士みたいな表情と口調で言う。
…そう、麻季が帰省しに行ってから、今日で一週間が経つのだった。
その間、炊事に関しては…麻季が残していったペヤングの空カップと、コンビニ弁当の空き容器を積み重ね、洗濯については最悪の場合を考えていた麻季が信用出来る宅配クリーニングの連絡先を書き残していったため助かったが、掃除だけはいかんともしがたい。食事の方はなんとかなっても、食べた後片付けや溜まっていく一方の部屋のゴミは、麻季がいないと篠も徹底的に冷房の利いた部屋でだらけるばかりだから尚のこと。そして夏場のこととてベッドのシーツも頻繁に替えなければいけない。
昨日などは、若い娘にあるまじき匂いをたて始めた布団に耐えかねて、ベッドごと買い換えようとして万千に止められたことなど、記憶に新しい出来事だったりする。
で、その万千ともう一人を呼び出し部屋に招き入れて、何事かをたくらむ、篠。
「に、しても麻季ちゃんも何してるのかしらねー。電話くらいしてるんでしょ?」
「それは…してますけど」
縦にしたダイソンの掃除機の握りのトコにアゴを乗せながら聞く仁麻に、篠は何やら浮かない顔をして答える。
「どしたの?早くも倦怠期?」
「倦怠期って…わたしと麻季は別にそういうのじゃ…」
口ごもる篠を、何やら温い目で見る仁麻。
一方、どしたどした何ごとだー?と寄ってきた万千は、くらぁい顔をした篠を、珍しいものでも見たようにしている。
「…電話は、それは毎晩してますけど…。でも麻季ってばひどいんです。最初の夜なんかは今すぐにでも帰ってわたしの顔を見たい、って言ってたのに、次の晩に、『明日は帰ってくるんだよね?』って聞いたら、すごく済まなそうに、でしたけど少し遅くなるって言い出して」
はあ、と気の抜けた相鎚をうつ万千と、ふむふむそれでそれで?と身を乗り出す仁麻。
「その次の晩に、明日こそ帰ってくる、って答えてくれると思ったら、親に引き留められてもうしばらくかかるって……それから毎晩電話してるのに、麻季はなんかだんだん素っ気なくなってきて…ご両親と仲直りしたのだとかならいいんですけど、里心がついて帰って来たくなったんじゃ……それとも昔の男友達とかと意気投合してなんかそういうあれとかこれとかになったり……」
なんだかマンガでよくある、ひょろひょろした縦線を背負って落ち込んでいく篠だった。
「んー、何があったのか知らないけどさー。まきっちってずっと実家に帰ってなかったんしょ?しのしのが言うみたいに里心が付いたんじゃないのー。それに、確かに男友達とかいう線も無くはな…」
「なんてこというのよこのおバカっ?!」
「わっ」
麻季(かける)篠(いこおる?)…とか考えてた仁麻も思わず掃除機を取り落とす勢いの、篠だった。
「麻季に限ってそんなことあるわけないでしょっ!こないだわたしと………」
「ふむふむ。しのしのと?」
「………なんでもない。それより今日呼んだのは他でも無いの。いい?」
あからさまにごまかしにかかる篠。流石に、余人に聞かせるよーな話ではない、と気がついたのだろう。
仁麻と万千は、これが初対面とは思えない程の意気投合っぷりを発揮し、「これいじると面倒なやつだ」という結論に達したため、今の話を全面的にスルーすることにした。
「まあ麻季ちゃんにも何か考えがあるんでしょ。何ならわたしからそのうち連絡しておくから。篠ちゃんがさみしがってるよー、って」
「そんなあ…わたしが寂しがってるとかそんなこと…ありますけどでも麻季は何て言うか…」
「ほら、しのしの。よく分からんけど考えすぎはよくねーってば。で、あーしらを呼んで何させるつもりなん?大体想像はつくけど」
そ、そうね、と今さらながら自分の醜態には気がついたらしい。
コホン、などといかにも取り繕うよーな咳払いなんぞをして、まず二人に、豪華なディナーを振る舞う約束をする。
もちろん、美味い話にはウラがある、ということなど百も承知の、捻くれた二人だ。せいぜい篠の心象を悪くしないよーに、上っ面だけで喜んでみせ、普段に無く浅はかだった篠はその姿にご満悦の様子で、続けてこう言った。
「それじゃ、払うもの払うんですから、やることやってもらいましょうか。掃除は後でも構わないわ。そうね、まずは洗濯から。レディ、ゴッ!」
奢りと引き替えに、部屋の掃除をさせるつもりなのだった。
「れでぃごー、じゃないっしょ、しのしの。あんたも、やるの。自分の部屋でしょーが」
「篠ちゃんが生活能力皆無なのは大体想像はしてたけど、想像をはるかに越えてたわねー。そりゃメイドさん雇わないとやってられないわけだわ。麻季ちゃん来る前ってどーしてたの?」
「………」
篠は黙ってそっと目を逸らしていたが、麻季から聞いていたので実態は想像がつく。ただ一言、虚ろな声で「三日間…」と言っていただけだが。
「ええい、うるさいっ!帝国ホテルのインペリアルバイキングを奢るって言ったでしょうっ!しかもディナーで!」
「お金にもの言わせるのって高校生の行状としてはどーかと思うよ、しのしの」
「篠ちゃぁん、大学の学生連中に下請けに出していい?あいつらならむしろ自分からお金払って掃除してくれるわよ。お嬢さまJKの部屋の掃除って言ったら」
「おー、それいいね、におっち。いっそネットでオークションにかけてみよか?しのしのー、目線隠しとくからサイトに掲載する写真撮らせてー」
これが初対面のはずなのになんでこんなに意気投合してるのか。
麻季と違って全然甘やかしてくれない万千と仁麻のコンビに掃除の仕方を指導されながら、あてが外れて結局大半を自分でやる羽目になったのだった。
「ねー、におっちー?ハウスクリーニングサービスとか紹介しといた方がいんじゃない?」
「しーっ!この機会にちょっとは掃除すること覚えさせないと、近い将来とんでもないダメ人間が出来ると思うの!」
「…既に充分ダメ人間だと思うんだけどー」
えらい言われようなのである。
そしてその評価に相応しく、さして成果も出なかった夏休みの一日が終わる頃。
麻季からかかってきた電話での話に篠は、混乱した。
「…あの、お嬢さま…?そのー………結婚…に興味って……あるっすか?」
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