第29話・姉には姉の、メイドにはメイドの、気苦労がある
梅雨の中休みのように、晴れた日の夕方のこと。
「…あ」
「…ども」
きっと両者がともに十代半ばだったら即座に流血騒ぎになっていたであろう再会は、仲立ちとなる人物に対する互いの立場により回避された。
一方が仕えるメイドで、もう一方が通う高校の担任教師にして半分血の繋がった姉、というのであれば当然だろう。
「別に緊迫する必要は無いんじゃないかしら」
当人がいれば尚のことだった。
普段は篠が帰ってくる頃には夕食の仕込みなど終えていて当然の麻季だったが、今日は「わたしが帰るまでごはんの支度は待ってて!」とゆー、お嬢さまの要請があったためにまだ用意はしてなかった。
帰ってきて何を食べたいのか尋ねたところ、一緒に買い物に行って何を作るか選ぼう、という話らしかったのだが、さてただいまびみょーな距離感を維持してる二人のとる行動としては適切だったものかどうか。
「…妹が世話になったわね」
「…こちらこそセンセにはいつもお嬢さまがお世話になってます」
それはともかく、社交辞令だけでカバーするにはいろいろとややこしい事情を、互いに知ってしまっているのは間違いない。
(…篠が告ったとかいうのがコレか…こんなヤンキーのどこがいいんだか。つーか、同性に懸想するような趣味がこの子にあったとはね…)
(…結婚…結婚…結婚……コレと結婚するような物好きの顔、一度見てみたい…)
「な、なんか急に寒くなってない?」
けして敏いとは言えない篠が、うそ寒さでも覚えたように身を縮こませていた。
会ったついでに、と篠は姉を部屋に招いて食事となった。
住み込みメイドは面白くはなさそーだったが、「…お苑って料理はさっぱりよ?」と耳打ちされると腕まくりして料理を始めたのだから、随分と単純なことである。
で、ご飯の時間になった。
「タケノコと身欠きニシンの煮物です。少し味は薄めにしてありますので、タケノコの香りがいいですよ」
「わたしの大好物なの」
「へ、へえ…」
「お客様とのことでしたので、ひと品増やしてみました。茶碗蒸しですが」
「麻季の茶碗蒸しはね、卵に穴あいてなくって滑らかでキレイなのよ。もちろん味も最高だけどっ!」
「そ、そう…」
「戻しておいたホタテを使って炊き込みごはんにしてみました。タケノコも良い感じですよ」
「きたぁっ!んもー、最後にこれ出してくるなんてさすが麻季よねっ!」
「や、やるじゃない…」
ニヤリ。
強がってはいたが、明らかに料理に圧倒されている既婚者の姿を見て、麻季は勝ち誇っていた。
見た目ヤンキー、というか中身もその筋を思わせ、テキトーなカレーとかスパゲティとかいった男臭い食事しか作れないかと思ったら、味付けも栄養バランスも極めて適切な和食である。普段旦那の食事にも自分の食事にも手をかける時間がなく、それを言い訳にして家事の手を抜いている兼業主婦としては、見えないように歯噛みしてしまうのも無理はない。
「まあまあ。あたしはこれが仕事でやってんすから、威張るよーなこっちゃねーですよ。センセもお仕事がお忙しいでしょうから、なかなかこうはいかないでしょうね。さささ、今日はそんなこと忘れてパーッとやってってくださいな」
ざーとらしく両手で捧げ持ったヱビスの缶を傾けて、苑子の手に握られたグラスをビールで満たす。
これくらいで言い返せなくなる苑子もだらしがないが、いい気になってニヤニヤし通しになる麻季も大概大人げなかった。
そして食事の時の会話ときたら、麻季がどれくらい家事万能で篠に尽くしてくれているかという、苑子にしてみればほとんど惚気みたいなもので満たされていて、脂っ気の強い料理など無かったにもかかわらず、食後は胸焼けに悩まされたとかそうでもなかったとか。
「未成年のいる家で煙草とは感心しないわね」
「…ヤンキーの嗜みッスよ」
そんなもんは捨ててしまった方がいいのだろうが、同じく元ヤンとしては苦笑して親指中指を立てるしかなかった。
苑子は食後も篠のモーレツな惚気話に付き合わされ、そのまま帰るのも面倒な時間になってしまったため、泊まっていくことになった。来客用の部屋はあっても寝具が無く、そこは姉妹水入らずの夜、ということになるのだろう。
そして篠が風呂に入っている間、麻季が日課の就寝前の一服を喫していたところに、邪魔が入ったのだ。
「…何すか」
「一本ちょうだい、よ」
「吸うんすか?」
「ヤンキーの嗜み、なんでしょ?」
お互い現役じゃねえハズなんすけどねえ、と苦笑しながら麻季もポケットに入っていた箱とライターごと投げ渡した。
隣の篠の部屋のバルコニーへ、仕切りを跳び越えた二つの物体は、苑子の手に収まって早速用を足し始める。
「…ん、サンキュ」
どこかで雨が降っているのだろうか、湿気の多い夜風に煽られて火を付けるのに多少難儀したようだったが、それでも苑子は慣れた手付きで火を付け、深呼吸か、というくらい深く煙を吸って吐き出した。
「軽いわね」
「未成年の家なんで遠慮してんスよ」
「煙草そのものを遠慮したらどうなのかしら」
自分だって吸ってるクセに、とは言わず、麻季はさして星も見えない夜空を仰いで言う。
「戒めみてーなもんですかね。前にこれで職を失ったんで」
「そういう手前勝手な縛りで体に悪いって分かってるモン続けるってのは感心しないわ…って、何?」
「…いや、なんかそういうとこお嬢さまによく似てンな、って。姉妹だからっすかね」
目を瞬かせて見られると、苑子も居心地悪く思うのか、目を逸らしながら答える。
「…似るほど一緒に暮らした覚えはないわ。あの子が家に連れて来られると同時にほとんど家出同然に外に出たし」
「…センセも苦労してますなァ」
「ケンカ売ってんのかテメェ」
煙草を挟んだ指を突き付け睨む。その先にあった麻季の顔にニヤニヤした笑みでも浮かんでいればそのまま根性焼き合戦でも始まりかねない雰囲気だったが、あいにくと苑子の目に映る麻季は、ひどく自嘲的な姿をしていた。
「…あたしも似たようなもんなんで、センセをとやかく言える立場じゃあ、ねっスね。…ところでお嬢さまが家出した理由って…」
「さあね、あの子に聞けば?…と言いたいとこだけど、ま、家出の理由については解消したようなもんだしね。これまで親には冷たくあしらわれてきたと思っていたところに、親の方がいくらか態度を軟化させて、その変化と自分の思い込みやらこれまで親に向けていた態度やらとの間で、折り合い付けられなくなっていた、ってとこでしょ」
「自分の意地でやってたつもりのモンが、実は何の根拠もない独りよがりだった、ってワケっすか。そりゃ家出したくもなるでしょーねェ…」
篠の事情に呆れた、というよりは自分の行状を嘆いた、という風に苑子には見えたから、特に怒ったりはせず、代わりに思ったことを言う。
「…そんな顔してるとこを見ると、まるであの子の母親みたいね……って、なんで落ち込むワケ?」
「…いや、最近そーいう話が出てきて自信無くしかけてたトコなもんで…」
「不満でもあんの?」
「不満っつーか…若い身空でじょしこーせーの母親みたいと言われて喜ぶわけねーと思うんスが」
そりゃそうだ、と苑子は肩をすくめる。ふと見ると、大分煙草は短くなっていた。
「灰皿は?」
尋ねたら、しゃがみ込んだままの位置から携帯灰皿が飛んできた。そこそこ勢いはあって、危うく弾いて取り落とすところだった。
「危ないじゃない。下に落ちたらどうすんのよ」
「…さーせん」
立ち上がり、返された灰皿に自分も吸い殻を片付けた。火は既に消えていたから、床にでも押し当てて消してあったのだろう。あまり行儀のいい真似ではないが。
そのまま、バルコニーの仕切りを挟んで並び、夜景を眺める。
高層マンション、というほどではないが、近隣ではそこそこ高い建物だから新宿方面の夜景はよく見えていた。
「………」
「………」
まーそこで女二人、片方は旦那持ちの女教師、もう片方は金髪ヤンキーのメイドとなるとロマンス溢れる会話が始まるわけもないだろうが…。
「で、好きなワケ?」
「は?」
そこそこ強引に始めることも、可能でなくもないようだった。
「…何が、っすか?」
「いや、さ。篠がアンタに告ったー、みたいな話聞かされてどうなるか心配はしてたんだけど、あの子の今日の様子見てたら、好きっていうより母親に甘えてるみたいに見えてさ。ま、それでアンタが悪くも思ってないンなら問題は無いだろうけど、どーもねー…」
「………お嬢さまをオカズにするくらいには好きっすけどね」
「妹が同性のズリネタにされてる、ってなァ結構ヘビーな話だわなァ……」
どう反応したらいいのか分からない、みたいな渋い顔になる苑子だった。
ただ、そこに性愛が存在するのであれば、姉としては放っておくわけにもいかない。
「襲ったりすんじゃないわよ」
「しませんて。あたしはこれでもこの仕事にプライド持ってんす。仕えるお嬢さまを傷つけるような真似はぜってぇしませんし、お嬢さまを傷つけるような存在があンなら、全力でお嬢さまを守ります。そこんとこは信用してもらって構いません」
どこが、とか、何を根拠に、とか聞かれると困るが、苑子はなんとなく、この風変わりな使用人の言うことは信じられるような気がした。
お嬢さまを危険から守るのがメイドの仕事か、というとなんだか違う気もしたが、それも含めて今のところは見守っていよう、という程度には好意的になりつつある。
「…ま、そう願うわ」
と、憎まれ口のようなことを言って麻季を苦笑させはしたけれど。
「あーっ?!二人してなにやってるのよっ!」
篠の部屋の方から、声がした。
言わずと知れた、苑子の妹で麻季の雇用主である、この部屋の女主人のものだ。
「ちょっとお苑っ、麻季をいじめてたんじゃないでしょうね!」
それがツッカケも履かずにバルコニーに出てきて、姉の胸ぐらを掴まんばかりの勢いでいる。
一方的に糾弾される方は不満たらたらな顔で。擁護された方は困ったような顔で。
まあそれでもこの場にいた全員は、互いを想ったり想われたり。そしてそういう関係を厭うような者はいなかったのだから、そういうことで、いいのだろう。
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