第30話・母、襲来
旦椋麻季はメイドである。彼女を雇ったお嬢さまは、世界制覇を企む悪の秘密結社…では別にないが、かといって旦椋麻季が善良無害な一般人に見られているかというと。
「…相変わらずだらしない格好をして。もう二年以上経つというのにまだそんな真似をしているのですか、麻季」
「………」
くそぶっさいくなツラを晒してそっぽを向いた麻季に対して、これ以上ないくらい苦々しい顔を向けている女性には、全く思えないようなのだった。
「もう成人した歳の女に家の恥、などと言うつもりはありません。ですが他人様に見られて恥ずかしくない振る舞いすらも出来ないというのであれば…もう縁を切ることも吝かではありませんよ」
「………」
(………だーらとっとと義絶しろ、っつってんだろうが、ババァ)
勤め先にして寝起きする場でもある、篠のマンションからはきっちり離れた西川口の、店主の愛想が極めて悪いことで有名な、古いだけが取り柄の喫茶店を指定して待ち合わせた相手に、麻季は口に出さずに毒づいていた。別に口にしても構わない、とも思ってはいたけれど。
「仁麻に聞きましたよ。住み込みで働かせてくれる親切な方の世話になっているとのことですが、あなたのような礼儀知らずが迷惑をかけていないかと心配で心配で…それで、麻季。今からそのお世話になっている方のところへ伺います」
「ぶ────っ?!………お、おいババァ、今なんつった…?」
別に水を飲んでいた、というわけではないが、こーいう時のお約束的に麻季は吹いた。ついでに咳き込んでみたりしない辺りに余裕の無さがうかがえるというものだろうか。
「ばばぁ、ではありません。私はあなたの母でしょうが。正真正銘のばばぁは今頃体育館で薙刀を振り回していますよ」
「あっちのババァもクソ元気で結構なこったな!…で、世迷い言はそれくらいにしとけっての。どこの世界にハタチ過ぎた娘の職場訪問する親がいンだよ、恥ずかしい真似すんじゃねェよ!」
「…まったく背ばかり伸びて人間らしい振る舞いが身につかない子だこと。いいからあなたの雇用主のところへ案内しなさい。不肖の娘がどんなご迷惑をかけているのかと思うと母ももう、眠れない日々が続く毎日で…」
「ウゼェからいい歳こいて泣き真似とかすんじゃねェよ、クソババァ」
とうとうクソまで付けるに至り、よよよ、と顔を覆う麻季母も愛想を尽かすかと思いきや、けろりとした顔に戻って、麻季に向き直り言った。
「あなたが案内しないというのであれば仁麻にさせますが。それで良いのですね」
「ケッ、その手には乗らねーよ、勝手にすればいいだろ。あたしゃ買い出しの途中なんでね。これで失礼するわ。精々達者で長生きしろよ、ババァ」
麻季は伝票を引っ掴んでレジへ向かった。
豆をケチってないだけが取り柄の、苦みばかり強いコーヒーの味を思い出しながら、一杯七百五十円というブレンドの値段に舌打ちをする。ニコリともしない店主に消費税込みの値段を告げられて苛立ちを募らせ、ドスドスとした足取りで店を出た。
そのままゆっくりと歩いて次の角を曲がると早速スマホを取りだして、ここ三ヶ月で最も回数多くかけた相手に繋ぐ。
「あー、お嬢さま?申し訳ねーんですが今日は外で食事をしませんか?……え、今日は外出したくない?…あーいや、その、そうは仰いましてもー……あの、スミマセン、三日ほどお休み…え、ダメってそれは…あ、じゃあ有給休暇……え、三ヶ月ではまだ有休は無いって、そりゃそーでしょうけどそこは後生ってもので…あのー…………ハァ、分かりました…今から戻ります…」
力なく通話を終えると同時にイヤな予感が押し寄せる。
結果。
それは的中した。
空気が重苦しい。
麻季がそう思うのは当たり前のこととして、どーしてお嬢さままで神妙な顔をして麻季の隣に正座しているのか。
というかソファにテーブルの完璧な応接セットが揃った部屋の中で、何故正座しているのか。
分からないことだらけで混乱した頭を振ることすら許されないよーな雰囲気の中、まず篠が口を開いた。
「あっ、あの。はじ、初めまして。浅居篠と申しますっ。麻季っ、麻季さんと同居してっ、さしぇていただいてまふっ!」
いや、なんであなたが噛むんすか、という顔でお嬢さまの横顔をチラ見すると、俯いて真っ赤になっていた。だからなんで緊張すんだ、結婚のあいさつに来たわけじゃあるまいに、余計なことを思ったら察知されてしまったのか、俯いたまま横目で睨まれた。半分涙目だったのが、とてもかわいい。
しかし、こうなるんだったら素直に事情を話して連れ出しておけばよかった…いや、それも間に合わなかった可能性すらある。
何せ、麻季が慌てて部屋に戻って着替えを済ませ、対策を練ろうとしたらドアベルが鳴って、まさかと思って扉を開けたらそこに母が立っていたのだから。無表情だったのが余計に癪に障った。
多分この場所を教えたであろう仁麻に対し、上京して以降最大の決意で復讐を誓いつつお嬢さまに許可を求めると、これまた寸前までダイニングのテーブルに溶けていた篠は豪速で身だしなみを整え…ようとして失敗し、来客を迎える主の威厳とかそーいうものをどこか彼方にうっちゃった身なりと態度で来客の待つ応接間に、メイド服姿の麻季を伴って入ったのが五分前の、ことだった。
「…お初にお目にかかります。
三つ指ついて深々と頭を下げた母は、そー言ってなんか携えてきたでっかい風呂敷包みを解いて中から菓子だかなんだかを取りだし、篠の前に差し出した。
それを見ながら麻季は、喫茶店でこの風呂敷包みの存在に気がつかなかった我が身の迂闊を呪ったのだった。見つけていれば斯くあることは容易に予想出来たであろうに。
「あっ、あのその…こっ、これは結構なものほいたらき…あっ、ありあり…ありがとうございまふっ?!……うう…」
一方、来客と一度も目を合わせられないでいるお嬢さまの方はダメダメの極みだった。噛むわどもるわで加えて自分のダメっぷりをヘタに自覚しているものだから、余計にドツボにハマってる。
まあそれで目の前の、麻季母の心象が悪くなるかというと。
「お若いお嬢さんですのに、丁寧なご挨拶を頂き痛み入ります。娘にも見習わせたいものですわ」
などと柔和な顔でお為ごかしを口にしてるのだから、内心何を考えているのか、娘の麻季でも想像つかなかったりする。
で、その間麻季の方は何をしていたか。
「……あの、ちょっと…麻季?せっかくお母さまがお見えになっているんだから……表情くらい変えたらどお?」
とまあ、一言も口を利かない麻季を怪訝に思った篠がこんなことを言うくらいには、無表情なのだった。
いや実のところ焦りまくってはいるのだ。
予想を遥かに超えた早い来襲に先手を取られ、対応する手立てを考える隙もなく、何を考えてここまで来たのか皆目見当もつかないのだから無理も無いのだが、それ以上に気まずいというか逃げ出したく思う理由というのは。
「………ふん」
こう、正面に相対する母が、麻季の頭の先から正座した膝のとこまで何度か視線を往復させた時に感じる、「何て格好してるんだこの娘は」とゆー視線の圧によるのである。
それはそうだろう。実家にいた時分の幼い頃こそお人形さんのように着飾られた覚えも無くは無いが、長じて長い反抗期に突入して以降は、着崩した学校の制服以外は絵に描いたよーなヤンキースタイルしか親には見せていないのだから。
それが今はどうだ。実用も考慮されているとはいえ、コスプレ半歩手前の完璧なゴシックメイドスタイルである。こうなると、ヤンキーの象徴のようだった金髪もメイド服と調和して、可愛く有能なメイドさんのいっちょ上がり、てな具合である。
過去の姿を知っている身としてみれば、母でなくとも「誰だこれ」と思わすにはいられない、というものだろう。
「………何が言いてェんだ」
それも黙っていれば、の話だが。
ただ、母親の方はそんな暴言にも慣れた顔で、むしろ煽るような口調で言う。
「なにも。ただ、我が娘ながらかわいらしい姿だけは、本当に立派になったものねえ、と思っただけですよ。ああ、死んだお父さんが見たら泣いて喜ぶことでしょうねえ…」
「え、麻季お父さん亡くなってるの…?」
「ピンピンしてますが。むしろ殺しても簡単には死なないんじゃねーですかね、あのオッサンは。つか、このババァは何かにつけてダンナを死んだことにして話作るんで、まともに取り合わねー方がいーすよ」
「そ、そう…」
理解が及ばない、みたいな顔で頷く篠と、その忠実なメイドを交互に眺めていた母だったが、何事か得心いったように一度肩を落とすと、居住まいを改めてこう言った。
「…ま、外面だけは立派に育ちました。それに免じて勘当は解いてあげます。麻季、家に戻りなさい」
息を呑んで隣に座る使用人の手を握るお嬢さま。
一方麻季は、「なんかつい最近同じようなことを言われた気がする…」と考えながら、母親にメンチを切っていた。
その対照的な姿に、淑子はやっぱり、何を考えているのか分からない澄ました顔のままだった。
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