第20話・メイドvs.女教師
「もういいでしょう、親父様もバカバカしくなって怒ったりしないわよ。後のことは任せてとっとと部屋を引き払いなさい」
薄々勘付いてはいたけれど、この一言で麻季は完全に理解した。
このオバは…もとい、おねいさまは篠のメイドとしての麻季を全く認めていない。
その一事で麻季にとっては他人事ではなくなった。
勝手にひとの職場を潰すんじゃねー、と。
「あンさ、ひとつ訊きてェんだけど」
ゆらり、と幽鬼のよーな所作で立ち上がる。
体と首と顔はヤンキーのフォーマットに則った角度をキープし、見る者に威圧感と理由の分からん原始的な恐怖を与える効果を最大限に引き出している。
「え?あ、あの……麻季?どしたのヒドい顔…じゃなくて怖い顔して」
それは標的にはなってない篠にも伝わるのか、いくらか腰の引けた篠が、忠実なメイドの豹変にどう反応していいか分からないようだった…その割には怖いもの知らずな発言が途中混じってはいたが。
そんな暴言も意に解さず麻季は、おじょーさまはすっこんでてください、とこそ言わなかったが、言外にそんな意を含ませて立ち上がると、担任教師は怯えを見せ…
「アァン…?なんだテメェ、ちっとは気合い入ったツラしてんじゃねェか」
…るどころか麻季と大して変わりないドスの利いた低音の声で、ヤンキーメイドを睨み付けていた。というか三白眼の分、麻季よりも凶悪さにおいて数段上回っていた。
「…なんかさっきから気に食わねェと思ったらご同輩かヨ。ウチのおつむの足りねェ妹に取り入って、なァんかやらかしてくれてるみてェだな」
「ご同輩だァ?テメェのようにいい歳こいて現役ブってるババァと一緒にすんじゃねェ。年寄りは棺桶のサイズでも測ってろ。サイズが合わなけりゃあ、折り畳んでやっからよ、安心して死ねや」
「はン、ガキがいきってんじゃねェよ。こちとら現役はとっくに引退したけどヨ、ハマの紅サソリの名で鳴らしたもんサ……どこのクソ田舎のチンピラか知らねェが、ションベン漏らす前にとっととお家に帰んな。帰り道覚えてるくらいの脳ミソがあンならな!」
「ケッ、誰が知ってんだかも分かんねェような昔の名前に縋ってるようじゃァ、やっぱババァはババァだな」
「ンだとォ…?!」
「ヤんのかテメェ!!」
気がつけば二人は額がくっつくくらいの距離になり、顔面を歪ませて斜めの視線を互いに睨め付けあっている。いわゆるガンの付け合い、というやつだった。
そして両者の共通の関係者であるところの篠はと言えば。
「……ね、そんなに顔をひん曲がらせて疲れない?っていうかさ、麻季もせっかくの美人が台無しになるからそんな顔するのやめよ?ね?」
と、軋むよーな空気をさっぱり読まず、麻季の腕をとりながらなんとも呑気なことを言っていた。
「…あのおじょーさま。少しは当事者の認識持ってもらえませんかね?こっちは失業の危機なんで」
「さっき退職願の用紙買うとか言ってなかったっけ?」
「…自分から降りるのと他人におンだされんのとはちげーんですよ」
「ふーん………」
軽口を逆手にとられてやりこめられて、取り繕うようにしたテキトーな反論を、篠はツッコミもせずにじーっと麻季の顔を見ていた。
「じー」
というか声に出してた。
「圧」という感じで。
まあここまでされれば麻季とて理解はする。むしろ察しは良い方なのだし。
「……分かりました、降参ですってお嬢さま。えー、まあ自分からやめるつもりはねーんで、お嬢さまもあたしの職場は守ってください。できれば」
それで篠は納得いったのか、ヤブニラミの顔を笑顔に改め、麻季の背中をポンポンと二度叩いて腕から手を離した。
「そういうわけなので。わたしはあの部屋出るつもりはありませんから、先生」
「先生、じゃないでしょうが。仕事の時間は終わってんだから妹らしく振る舞いなさい」
「そっちこそ少しは姉らしく振る舞ったらどうなんですか。親権者の手先になってかよわい子供をやり込めるなんて、大人のやることじゃないです」
「あーのー」
で、早速やり合う姉妹?の姿を見て、麻季は片手を肩の高さに上げて問うた。
別に自分は関係者でもないが、かといって放置されてケンカを始められても面白いことなど一つもないのだし。
「さっきから事情がさっぱり読めねーんすが」
「部外者は黙ってなさい」
「なんてこと言うのよ、バカお苑!麻季はわたしの自慢のメイドなんだからね!」
「あー、お嬢さま?親しく接して頂くのはありがたいんですが、あたしも職を失うかどーかの瀬戸際みたいなんで。もーちょい事情の説明を」
「わたしが守ってあげるから麻季はそんなこと気にしなくてもいい!」
「おじょーさま、もう少し立場とかそーいうものを考慮してくださいってば。本来ならメイドのあたしがお嬢さまを守る立場でしょーに」
「…でもっ!」
普段なら、メイドとしての麻季の諫言は、不承不承だったり半ば喜んでだったりにせよ、篠はきちんと聞き入れる。
言葉で確認したわけでもないが、二人ともそれが「お嬢様」と「メイド」の正しい関係だと思っているからだ。
「お嬢さま、聞き分けてくださいって。このまま怒りっぱなしでいても何一つ話は進まねーんですから。翻ってあたしも失業してお嬢さまから引き離されるのはイヤですんで。ね?」
「…うー、麻季ぃ……」
だから、篠はこの場では麻季にメイド以上の何かであって欲しくて、けれど麻季はお嬢さまのメイドであろうとしていた。篠はともかく麻季はそのように自負して、この場にいる。
「…まったく、立派な使用人根性だこと。育ちの悪いヤンキー娘をそこまで手懐けた手腕は確かに親譲りのようね。本当、私などよりもよっぽど親父様の娘だわ、あなたは」
「性根でやってるわけじゃねーですよ。これは、仕事をしてる時のあたしのプライドです。最後まで教師の顔を保てなかった誰かさんとは違うんすよ」
「………」
言葉の内容と違い、特段煽る風でもなく淡々と麻季は言ったのだけれど、篠はまた顔を歪める睨み合いが始まるのかと思ううちに、言われた方は眼鏡のズレを右手の人差し指で直して、こう言った。
「…悪かったわ」
と、麻季の方を見ずに、けれどバツの悪そうではあったから、麻季と篠は顔を見合わせて、どこかホッとしたように肩から力を抜いたのだった。
「篠、悪いけど今度時間をちょうだい。いろいろ伝えないといけないことがあるから。いい?」
「………うん」
その一方で、失業の危機はまだ完全に去ったというわけではなさそうだったけれど。
「……で、お嬢さまの事情は聞かせてもらえるんでしょうね」
「……なんのことかしら?」
学校からの帰り道、篠が提案してたようにケーキなど食べに来ている。
その席で、麻季は胡乱げにお嬢さまをそう問い詰めたのだが、お嬢さまの方は暖簾に腕押し、というよりはもう少し気まずそうに顔を背けていたのは、さて。
(…ま、お嬢さまの顔が赤いのも、夕日のせいってことで)
「お嬢さまの事情によってはこっちも次の職のアテを探さねーといけねーんです。当面その心配があるか無いかくらいはハッキリしてもらいますからねー」
「あ、そんなことより麻季ぃ?あの品の無い顔はもうしないようにね!」
うっさいですね、あれはお嬢さまの姉とかいってたひとに合わせただけっすよ、と言いかけて飲み込み、まあなんとも厄介ごとを抱えていそうな雇用主が話をごまかすのに付き合う、忠誠心高めのメイドなのだった。
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