第12話 ジャック・パインド

《――午後七時のニュースです。今日午前五時三十分、メルシティのリンベル孤児院正門脇に現金百万ニーゼの入ったセカンドバッグが置いてあるのを院長が見つけ、警察に届けました。バッグには『必要なことに使ってください。子供たちのために』とだけ書かれた手紙が添えられており、院長のリンベル氏は「この方に是非お礼を言いたい。感謝します。有難く、使わせていただきます」と述べられました。こうした孤児院や災害被災地などへの寄付は全国各地で――》



 キッチンのテーブル。

 クリシアとサラは頷きながらテレビを見ていた。

 一息、サラはミルクティーを口にする。

「すごいよね〜 ママ」

「ランドセルを送る人もいたね。心温まるニュースだわ」

「寄付した人ってどんな人だろう……知りたーい」

「きっと素晴らしい人よ」

「私もいつかこんなことできたらなぁ」

「サラは優しいね」

「とりあえず、大金持ちにならなきゃね」

 二人は微笑んだ。クリシアは言う。

「ラジオで聴いたことあるわ。世界中の人たち皆に等しくお金も物も同じように行き渡れば争いは起きないって。持っている人と持てない人の差があまりにも激しいのよ」

 サラは腕を組み、

「そっかぁ。じゃあ私が大金持ちになったらダメね」と言ってクリシアを笑わせ、立ち上がった。

「今日もミルクティー美味しかった。ありがとうママ。じゃ、お風呂入るね」



 ……ジャックも言っていた。

 温かいミルクティー。

 口に含むとまたあの日のジャックが蘇る。

 大好きだったクリシアの兄、ジャック。

 憎んだこともあったが、やっぱり大好きだった。

 あれは最後に会った、冬の夜のレストラン――。


 ****


 一九六五年。

 約束の時間より一時間過ぎて、ジャックが現れた。

 生成りのコートにサングラス、肩にはギターのハードケース。

 彼はクリシアを見つけると、「よっ」と陽気に手を挙げた。

 そしてクリシアの向かい側にドカッと座り、ニカッと笑う。


「あっれー、なんだなんだ膨れっ面でぇ〜 美人さんが台無しだぞぉ〜」

 口を尖らせたままのクリシアは言う。

「人を心配させといて何よ! 呑気なものよね」

「すまんすまん」

「お兄ちゃんいつからミュージシャンになったのよ。何なのそれ」

「ん? あ、これか? そう、いつかエルヴィスを超えようと思ってな」

「無理よ。お兄ちゃん音痴だから」

 ハハハと笑ってジャックはミルクティーを注文した。



「元気そうだなクリシア」

 サングラスを外すジャック。

「お兄ちゃんこそ相変わらず……人の心配、気にも留めてないし」

「そーんなことないさ」

「で今どこにいるの? 何してるのよ」

「電気工事」そう答えて今度は鼈甲の伊達眼鏡をかける。

 クリシアの眉間に皺が寄る。

「嘘。……やっぱりリッチーさんたちと?」

「いや、違う。一人だ」

「それも嘘。ねえ、ブリウスを巻き込まないで」

「え?」

「わかってるのよ! 彼時々いなくなるから」

「お前が怒りすぎるからじゃないのか?」

「怒るわよ!」

「もう怒ってんじゃん」

 ふぅ〜うと溜息をついてジャックはミルクティーを啜った。

「ウヘッ、マズ! うっわ〜 やっぱお前が作ったのがいいや」

「フン! 機嫌とろうったって」

「いや、本当だ。お前のがめっちゃ美味い」



 ジャックは窓越しに外の動きをちらちら警戒してる。

 眼鏡越しに鋭い目が光るのを、クリシアは怖れた。

 そして不安に涙を湛えながら彼女は言う。


「私、信じてるから……だから、早く帰ってきて」

 ジャックは身を乗り出し、クリシアの耳元で囁いた。

「いいかクリシア。運命は変えられるが、宿命は変えられないんだ」

 彼女は大粒の涙を零した。濡れる頬を指で拭ってあげるジャック。


「クリシア。……お金に困ってないか?」

「え?」

「このギターケースにはお金が入ってる。困った時に使うんだ」

 クリシアはジャックの手を払い除け、立ち上がった。マフラーを巻き、レジへ向かう。

「クリシア!」

「お兄ちゃんお勘定は私が済ますから」

「待てって!」

「私はただ! お兄ちゃんに帰ってきて欲しいだけよ!」

 大声でそう言って、クリシアは店を出て行った。

 ジャックはソファにもたれ、煙草に火を着けた。

 しばらく宙を見つめた後、静かに呟いた。

「……すまん」



 クリシアは泣きじゃくりながら夜道を帰った。

 凍てつく北風に吹かれながら夜道を帰った……。



 ――〝変えられない宿命〟って、いったい何だったの?

 写真の中で微笑むジャックを見つめた後、クリシアはまた家事に戻った。

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