第8話 オールドマン

 傷んだアスファルトの道を二人は歩く。

 緑の山々に囲まれ、空気が澄んでいる。

 サラは初めて見る景色、そしてアーロとまともに話すのも、ほとんど初めてだった。

「お茶でも飲んでいけよ」と、アーロの言葉は優しかった。

 無表情だが気遣っているのがサラにはわかった。


「……ねぇアーロ。どうして反撃しなかったの?」

「え?」

「あなた本当は強いでしょ」

 あれだけやられて平然としているアーロに、疑いの余地はなかった。

 彼は首を横に振り、「慣れっこだからさ」と言った。

 今度はアーロがく。

「君はどうしてそんなに強いんだい?」

 サラはう〜んとしばらく考えた後、

「パパとプロレス観るの、好きなの。基本の見取り稽古よ。空中殺法タイガーマスク最高!」と言ってサラは拳を前に突き出した。

 アーロは立ち止まって頭を下げた。

「うむ。でも……女の子に助けられるなんて、すまない」

「だーから違うって。ただ私とブルドッグとの決着の日だっただけ。私、猫派だから」

 ニャンと猫真似するサラを見て、アーロは笑った。

 それが彼女流の言い回しだった。

 男のプライドを傷つけてはいけないと思ったからだ。


「俺、爺ちゃんに言われてんだ。決して怒るなって。お前はまだコントロールが効かないからって……」



 オンボロ鉄橋を越えると村の集落があった。

 アーロの足の速さに遅れをとったサラが後を追う。

「ねぇ、私があなたの後をついてきたのは……」

「あの石だろ? わかってる。あれはどこにも売ってない。爺ちゃんが持ってる」



 アーロに案内され家の中に入ろうとした時、サラの肩先をまた一匹のトンボが過ぎた。

 振り向くとやはりあの時と同じように光の屑となって夕陽に消えた……。



 幾重にも塗り重ねられた白い壁と黄ばんだ窓ガラスに囲まれた狭い部屋。

 でも整然とし、清潔に保たれている。

 アーロはサラをリビングのソファーに座らせると、奥の部屋から祖父を呼んできた。

 立ち上がるサラに、アーロが紹介した。

「俺の爺ちゃんだ。爺ちゃんは村長むらおさなんだ」


 彼〝オールドマン〟は、中背でもガッシリと筋肉質で、深く刻まれた頬の皺と二重まぶたの大きな目が印象的だった。

 サラは緊張しながらきちんと挨拶した。

「こんばんは、サラ・プディングです。お邪魔してます」

「や、やあこれはこれは。わしがアーロの爺、オールドマンです。こんばんはぁ」

 彼は微笑んで返し、パッと目を見開いた。

「サラさん、あんたいい目をしとるのぉー。綺麗な青い瞳が二つ。それに姿勢が良い。アーロ、こんなお嫁さんをもらわないかんのぉー」

 アーロは照れてお茶を入れに行った。

「まぁ、座んなさい」



 穏やかな口調と温かい眼差しのオールドマンを、サラはすぐに好きになった。

 それからサラは学校のこと友達のこと両親のこと……いろいろ聞かせてあげた。

 オールドマンは嬉しかった。人一倍人見知りなアーロが初めて連れてきた友達。



「……だから私、ベスに言うんです。ボディガードで終身雇用よろしくね! ちょっと高くつくけどって」

「ホッホッホ。あんたなかなか面白いのぉ。実はそこが肝心なんじゃ。ユーモアがなければ生き残れん」

 横からアーロが初めてサラを『サラ』と呼んだ。


「サ、サラさん本当強ぇんだ。タイガーマスクみたいに」

 やっと呼んでくれたねという笑顔で、サラが応える。

「強いの。ブルドッグより」

 二人が笑うと、オールドマンもつられて笑った。


 ****


 オールドマンが美しい刺繍の襟元から覗かせていたネックレスを露わにした。

 サラは目を奪われる。

「サラちゃんこの石はの、わしらの御守りなんじゃ。この石は〝セイレイ〟という」

「精霊?」

「わしらリバ族のことを〝蜻蛉せいれいの一族〟と、聞いたことがあるかね?」

「……いいえ」


 自ずと輝いて見える碧い石。

 オールドマンのそれはアーロのものより大きく、トンボか竜を模ったプラチナに縁取られている。


「蜻蛉とはトンボのことじゃ。わしらにとって蜻蛉は神の使い。前にしか進まん縁起のいい勝ち虫でもある。まぁ、大自然の神の化身というかの」

 サラはキラキラと目を輝かせている。

「お爺様、私見たんです! 精霊……蜻蛉を、透明なトンボを! アーロが転入してきた日の朝も、さっきここへ入る時も」

「な、なんと!」

「ほ、本当なんです!」

 身を乗り出し、お茶をこぼす勢いのサラ。

「一瞬なんですけど、まるで妖精みたいに」

 真剣な眼差しのサラに、オールドマンは深く頷いた。

「わしと同じように蜻蛉もあんたを気に入ったんじゃろう。あんたは既に蜻蛉に守られておる」



 百年ほど前、リバ族はシュガーマウンテンから切り離された。

 政府軍の男たちがライフルやショットガンを持ってやって来た。

 リバ族もズマ族も戦ったが硝煙弾雨、文明の力には敵わなかった。

 彼らは狭く荒れた土地に追いやられ、シュガーマウンテンは国の所有となった。

 先住民の彼らは肌の色が違うとして蔑視され、過酷な労働も強いられた。


 リバ族のおさゴールドハートは家族、部族を守るため、法を学び法と戦った。

 その息子シルバは人権運動の指導者になった。

 その息子オールドマンは教師になり慈悲の精神を説いた。

 その息子ハーベィは都会で建築士に。

 しかしその息子アーロは都会の喧騒に馴染めなかった。

 そしてアーロは祖父オールドマンのもとでしばらく暮らすこととなった。


 アーロの母親は彼が幼少の頃、病いで亡くなった。

 アーロのネックレスは母親の形見だ。

 サラがそれを拾い渡してくれたことをアーロは一生忘れない。

 オールドマンはサラに友好と加護を願ってセイレイをプレゼントした。

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