18 先輩と不買運動

 自分の作った音楽は、他人から見たら面白くないのだろう。


「あー、わかんね……」


 ナギがどんなに楽しく、自分の才能に驚きながら、何度も直し、何度も壊し、何度も作りを繰り返してできた作品だったとしても、誰かにとって価値があるとは限らない。結局それを「好きになるかどうか」でしかない。好きという不安定の要素を乗りこなしてはじめて、作品は生きる。

 大変と言うよりは理不尽だ——とナギはヘッドフォンを投げた。


 外のカラスが濁った声で鳴いていた。


「なーにが売れる作品だ……あたしは別に、好きでやってるだけだもんね……」


 休日、大学はない。

 ヒダリも家に来なかった。

 部屋にはナギしかいなかった。


 久しぶりのひとりの時間だ! と音楽を作り始めたが、これがいけなかった。


「楽しければ、それでいいもんね……」

 

 楽しいことには楽しい。

 だがそれと同じぐらいの苦痛がやってくる。

 ひとりで作る音楽は、人と作るものとまた違った苦しみがある。

 ソロプレイヤーは何かと大変なものだ。


 夕陽が海に沈み、茜色が乱反射していた。

 影と太陽だけの世界に、ナギはあくびをした。


「やめだやめだ。飯を食おう」


 冷蔵庫には食べられそうな物はなかった。

 腐ったものを捨てていったら、調味料と飲料水しかなくなった。

 どうして食べ物は腐ってしまうのだろう?

 

「買い行くかあ……」


 クロックスを履いて外に出る。

 空気が湿っていた。

 これから雨が降りそうなので、急いでスーパーに向かった。


「ベビベビ〜、ベビベビ〜、きみを抱きしめていたい〜」


 近所のスーパー。

 値段が安い。

 夜遅くまでやっている。

 そしてタンスの奥のような臭いを除けば、完璧だ。


「な〜にもかもが〜かがやいて〜手を振って〜」


 ナギはカップ麺と野菜、半額の豚肉をカゴに入れた。

 買い物は迷ってはいけない。無駄なものを買わないため、スピードが大事だ。


『あっ、御船ちゃん!』


 スナック菓子を買おうか迷っていると、声をかけられた。

 振り返ると、ツインテールの小柄な女性が手を振っていた。

 ゲッ、とナギは内心でこぼした。


「ひさしぶり! 入学式以来、だよね。げんきぃ?」


「はは、元気になりたかったですよ、先輩」


 女性——サラは「そりゃ大変じゃ!」と両手をバタバタしていた。

 

 ナギは思い出す。

 サラはいわば、ナギの負の象徴だった。

 軽音サークルに行った時のことを思い出しかけて、頭を振った。

 思い出したくもないことを、脳はなかなか忘れてはくれない。


「もー、御船ちゃん。いつサークルに入ってくれるのさ〜。新入生もいっぱい来たよ。新入生ライブの準備も始まっちゃったよ〜」


「だから、入らないって言ったじゃあないですか……」


「いや、違うね! 御船ちゃんは求めてるよ、音楽!」


「求めてるとしても、あそこには入れませんって」


 どーしてー、とサラは悲しそうな顔をする。

 これが演技であることは、ナギにもわかる。

 女の顔は柔軟に出来ているものである。


「ウチはずっと待ってるからね、御船ちゃんの爆音!」


「あー、いつか行きますねいつか」


「そー言う人は絶対来ないんだからー!」


 騒がしい先輩だ、とナギは思う。


「あっ、このお菓子、おいしいよ!」


「そーすか」


「でもカロリー高いから困っちゃうんだよね」


「へぇー」


「御船ちゃん、お菓子買ってあげるから軽音楽入ってよぉ」


「いやです」


「その豚肉も買ってあげる!」


「金で解決できることじゃありません」


「たしかに……ぴえん」


 あざとい。演技のくせに徹底されている。

 こういう女に男はころっと騙されるのだろう。


「雨降りそうなんでいきますね」


「あ! ウチ、傘あるよ! 相合い傘しようよ!」


「愛ないんで、失礼します」


 うぇ〜んと泣き真似をするサラを無視し、ナギはレジを通った。

 買い物に来ただけなのに、ぐっと疲れた。

 外に出ると、ぽつぽつと雨が降っていた。


(もう、あそこは使えないな……)


 近所のスーパー。

 値段が安い。

 夜遅くまでやっている。

 そしてタンスの奥のような臭いと、思い出したくもない軽音部の先輩に会うことを除けば、完璧だ。


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