17 学食と視線

 時間は昼休み。

 場所は食堂。

 テーブル席でひとり、ナギは座っていた。


(おい……)


 スマフォの時計は「12:34」。

 午前中の最終講義は12時に終わる。


(遅くないか……?)


 連絡先を交換しておけばよかったが、ヒダリが携帯を触っていた記憶がない。

 文庫本と定期券、それだけだ。


 ヒダリを待つ間に、ナギには数々の試練が降り注いだ。


「あ、御船さん。ひとりで食べてるの?」


「あ、ううん……人を待ってるんだぁ」


 こんなことや。


「お姉さん、ひとり?」


「あ、いえ……これから人がぁ」


 そんなこと。


「女子バレー部、どうですか? あなたの身長、マジで国宝級なんです」


「あ、えと……潔癖症でボールに触れられないんですぅ」


 なんとか乗り越えるものの、ヒダリはまだ来ない。


(早く来てくれ……コミュ障にこれはキチぃ……)


 イヤホンを持ってくればよかった。

 原始に戻ろう、とナギはテーブルに顔を伏した。「寝てるなら席譲ってくださいよ」という言葉が来ないことを信じて。


 しかし……ヒダリはこんなにも約束にルーズな性格だったとは。

 いつもナギが帰宅した時には、必ず家の前にいるくせに。


(……ほんとうに大学生なのか?)


 『幽霊美女』とは、本当にヒダリのことなのかもしれない。

 

 ナギの推理はこうだ。

 佐野ヒダリは大学生ではない。

 つまり、高校生。

 高校をサボり、暇を持て余して大学に遊びに来た。

 そこでナギと出会ったことで一緒にいる。

『幽霊』なのも、大学生でないからずっと居られないだけ。

 身長が低いのも高校生だから。

 そんな偏見に満ちた推理だった。


 寝たままスマフォの画面に触れる。「12;40」。

 いくらなんでも遅すぎる。

 

(めんど……もういいか……)


 なんであいつとの約束なんか守ろうとしてんだ、と思う。

 ナギはおもむろに顔を上げた。


 目の前には、ヒダリが座っていた。


「い?」


「あ、やっと起きた」


 遅れて来たのになんだその態度は!?

 そんな言葉をナギはぐっと飲み込む。


「こんにちは、ナギ」


「こ、こんこん……」


 どもったナギの言葉に、ヒダリは片手でを作った。

 こんこん、と言いながらナギの腕をつんつんと突いてくる。


「ごめんね、遅くなった」


「別に、待ってないし……」


 超絶級に待っていたが。

 周囲を見ると、学生たちはヒダリを盗み見していた。隣の席の男子四人があからさまにヒダリの話をしていた。通り過ぎる女子が二度見していた。四方八方から視線を感じる。

 ヒダリはそんな視線も気にせず、無邪気にナギの腕をくわえている。


(可愛い友達を持つと、こんな優越感があるのか)


 S N Sで美女とのツーショットを上げる女性の気持ちが、少しわかった。


「ね、ご飯食べた?」


「いや、まだだけど」


「一緒に食べようよ」


「次の授業あるのよ」


「サボっちゃおうよ」


「サボっちゃうの?」


「休みも大事だから」


 意地の悪そうな笑みを浮かべるヒダリ。

 ナギは授業をサボったことがなかった。

「仕方ないわね」と言いながらも、内心ワクワクしていた。


「じゃあ、行こっか」


 ヒダリは隣の男子たちに「荷物、見てもらっててもいいですか?」と一声かけた。ハイ、と嬉しそうに言う男子たち。ヒダリは案外、見られていることを利用する鋭さがあるらしい。無意識かもしれないが。


「ここのカレーがね、おいしいんだよ」


「食べたことないわ」


「天ぷらうどんもおすすめ」


「けっこう食べてるのね」


「ごはんは生きる喜びのひとつだから」


 券売機でヒダリは「竜田丼」を押した。おすすめとは?


 メニューは20種類を超えていた。

 どれもひとり暮らしでは作らないものばかりだ。


「ナギはじっくり迷うタイプなんだね」


「そう言われたら、誰だって迷うでしょ」


 それもそうか、とヒダリは受け渡し口に並んだ。

 ナギは焦った結果、カレーライスにした。

 コントロールされているなぁ、と思う。


「いただきます」


 席に座り、カレーを食べる。中辛だった。具材はじゃがいもとにんじんと豚肉。味もシンプルだが、それがいい。冷たい水が進む。

 久しぶりに食べるカレーは美味しく感じるものだ。

 ルーとご飯のバランスに気をつけながら、一口ずつ味わった。


 ヒダリは竜田揚げを頬張っていた。少しずつ食べるのではなく、丸ごと頬張っていた。もぐもぐと頬が膨らんでいる。野蛮な食べ方だ。


「はい、あげる」


 ヒダリは竜田揚げをひとつ、ナギのカレーに落とした。


「……取引ってわけ?」


「まだ何も言ってないよ」


 これも無意識なのだろうか。

 不公平の居心地の悪さに、ナギは豚肉をまとったカレーを丼に落とした。やった、とヒダリが笑う。上手い女だ。

 

「ん……竜田揚げもうまいわね」


「ハズレはないんだよ、ここ」


 そしてふたりとも完食した。時間は「13:15」になっていた。

 午後からの授業はすでに始まっている。

 ナギの『人類学講座その①』も。


「おいしかったね」


 そうね、とナギはうなずいた。

 学食を見ると、ひとりでも食べている人がちらほらといた。

 これからひとりで食べに来てもいいかもしれない。


「さて、これからどうしよっか」


「あたしをサボらせたんだから、責任とってよね」


「もちろん。楽しい時間を過ごそうじゃあないか」


 その後、ナギたちはピアノ棟へ行った。

 ナギの適当なメロディに合わせて、ヒダリは連弾をしてきた。

 ヒダリのピアノはとびっきり上手かった。


「あんた、ほんとうに何者?」


「ぼくは佐野ヒダリだよ」


「知ってるっての」


 ふたりは飽きるまでピアノで遊んだ。

 この日、ヒダリの知り合いと会うことはなかった。


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