後日談

 桜宮先生と付き合い始めてから、気が付けば二年半の月日が経っていた。変わったこととして代表的なのは、高校生から大学生になった事が挙げられる。

 もう高校生ではないのだから、桜宮先生と呼ぶのおかしい。常々そうは思っているけれど、由美と呼び捨てにするのは胸のあたりがソワソワするし。由美さんと、呼ぶのも微妙に違和感がある。


 まぁ、普段は由美さんと自然に呼んでいるし、時と場合に応じて呼び捨てもするのだけど……モノローグくらいは引き続き桜宮先生で通させてほしい。


「ただいまー」


 二年半の月日を経て、変化した事。

 当たり前だが、俺が大学生にジョブチェンジをした事だけではない。


「おかえ──ちょ、ぅお!」


「湊人くんっ! 湊人くん湊人くん湊人くん湊人くん湊人くん──!」


「いきなり抱きつかないでください」


「だって、半日も湊人くんに会えなかったんだもん。湊人くん成分を補給しないと、生きられません」


「大変な身体になりましたね……」


「責任、取ってね?」


「拒否します」


「むっ、またすぐそうやって意地悪言って」


 桜宮先生が俺の頬をグリグリと指でいじってくる。ベッタリと背後から抱きついて、離れてくれない。


 もうお察しかと思うが、この二年半の間に、俺と桜宮先生は同棲生活を始めている。


 大学までの交通の便が悪い事を相談したら、「私が部屋借りてあげる」と、有無を言わせないまま行動に起こし……部屋を借りてしまった。

 一人で住むには広過ぎる上、桜宮先生もずっと子供部屋から離れていなかった事もあり、トントン拍子で一緒に住むことが決まったのだ。


「離れてください。……まだ料理の途中なんですから」


「はーい」


 桜宮先生は俺の元から離れると、上着を脱いでカバンから荷物を取り出していく。

 その光景を傍目に、俺は料理の手を止めると、桜宮先生へと近づいた。


 音を殺して近づき、バックハグをする。


「わっ」


「ひゃっ」


「仕返しです」


「び、ビックリはしたけど、仕返しになってないよ」


「そうですか?」


「うん。湊人くんが近くに居てくれて嬉しい」


 桜宮先生が俺の腕に触れる。

 離すまいと、身体を密着させてきた。


 そのまま、ただハグするだけの時間を過ごす。

 ふと、桜宮先生のカバンに見覚えのないものを発見した。


「なんですかその封筒」


「あ、これ?」


 ハグをやめて、桜宮先生から距離を取る。

 桜宮先生はバッグから封筒を取り出すと、じゃーん、と見せつけてきた。


「──一年後に届く手紙です」


「一年後に届く手紙?」


「うん。最近二宮先生に教えてもらったの」


「二宮先生? あぁ、最近異動してきたっていう」


「そう、この封筒に入れてポストに出すとね、一年後に自宅に届けてくれるんだって」


 意気揚々と、封筒の詳細を話してくれる。

 朗らかな笑みを浮かべると、二つあるうちの一つを手渡してきた。


「湊人くんと一緒に書けたらいいなって思って、どうかな」


「面白そうですね。じゃあ後で書きますか」


 封筒を受け取り、一年後に向けて書く手紙を書くことになった。



 〜〜〜



 夕食を終えて、早速手紙の作成へと移る。

 テーブルにて、向かい合うように座りながら、俺と桜宮先生はペンを持った。


「せっかくなので、お互い宛ての手紙にしますか」


「うん、そうしよ」


 特に反対意見も出なかったため、お互いに向けて手紙を書くことになった。

 しかし手紙か……。まともに書いた覚えもないので、書き出しが思いつかない。


 頭を悩ませていると、ポケットの中に異物がある事を思い出す。


「そういえば」


「ん?」


「さっき掃除してたら、こんなの見つけました」


「あ、それ……」


 ポケットから一枚の紙を取り出し、テーブルに展開する。もっと早く話すつもりだったが、手紙の件があってスッカリ忘れていた。


「俺を脅して、由美さんが書かせたやつです」


「人聞きの悪い! お、脅してなんかないから。多少、情には訴えたけど」


「そうでしたっけ?」


「そうだよ……うん、多分」


 俺がテーブルに置いたのは、婚姻届だ。


 桜宮先生の婚約者のフリをすることになり、先生の実家に挨拶することになった時のこと。

 結婚への意思が強い事を証明するために書いたやつだ。結果的に、これが役に立つ場面はなかったが。


「捨てずに取ってたんですね」


「いや普通に捨てれないよ。それに、私が物を捨てるの苦手なの知ってるでしょ」


「そうでしたね……この婚姻届って今も有効なんですかね」


「え? どうだろ。日付欄は特に書いてないし、ちゃんと証人とか書いてあれば大丈夫なんじゃない? それがどうかしたの?」


「いえ、まぁ少し」


 俺は顎に手をやると、手紙に書く内容を決めた。

 一年後の桜宮先生に向けて、体調の心配や、俺たちとの仲がどうなっているかの事。今の現状報告に、多少セクハラまがいな内容も適度に交えつつ、未来を見据えた文章をしたためていく。


 そうして最後に、俺はある文章を書き加えることにした。



『この手紙が届く頃まで結婚していなかったら、この婚姻届役所に出しておいてください』



 …………。


 ……いや、この文章だと少し上からだな。

 もっと柔らかいニュアンスの言葉はないだろうか。文章力のなさが疎ましい。


 桜宮先生と同棲を始めてから、俺は真剣に結婚について考えるようになっていた。

 不揃いな価値観を、すり合わせていく作業。不慣れな部分を補って、一緒に生活をしていく。


 助け合って、時には依存して、毎日が新しい事だらけで、桜宮先生との暮らしは楽しかった。……こんな日常をこれからも送っていきたいと思うからこそ、節々に結婚が脳裏をよぎっていた。


 まだ学生で、誰かの人生の一端を担う力はないかもしれない。それでも今の俺は、桜宮先生と結婚したいと心の底から思っている。


 ただ、それを直接言葉にするのは難しく……こうして、月日ばかりが過ぎていた。

 けどいい加減行動に起こさないとダメだと思っている。桜宮先生の年齢を考えれば、子供とかの問題もあるし……。


 そして今日の一年後の手紙だ。

 これはいい機会だと思った。手紙に、婚姻届を内封して決意表明する。

 つい先延ばしにしてしまう俺みたいなタイプは、こうして期限を設けた方が、気合が入るのだ。


「書けた?」


「ま、まだです……てか見ないでくださいね、絶対」


「そう言われると気になるんだけど」


「由美さんのほうこそ、書けたんですか?」


「うん、書けたよ。あ、私コーヒー作ってくるね」


「はい、お願いします」


 桜宮先生は席を立つと、キッチンへと向かう。

 さて、文章の推敲に移ろう。


 ──この婚姻届役所に出してもいいですよ? 


 いや、これは逃げてる感じがするな。

 もっといい文章はないだろうか。

 考えに考えた末、俺はペンをテーブルに置く。


『この手紙が届く頃まで結婚していなかったら、この婚姻届好きにしてください』


 ……なんか捻くれてる気がする。

 どうしたものか。うんっと身体を伸ばす。


「──ぁいたっ!」


「え、す、すいま──って、なんで背後にいるんですか⁉︎」


 何かに触れた感触。

 見れば、桜宮先生が顎下を押さえていた。


 伸びをしたタイミングに直撃したらしい。


 桜宮先生は、白い頬を真っ赤に染めて、キョロキョロと目を泳がせる。


「ごめんね。凄い集中して書いてたから……何書いてるのか気になっちゃって……それで」


「見ないでくださいって言いましたよね⁉︎」


 マズイ……これは、マズイ。

 一年後に見られるのは良いとして、今見られることは想定していない。


 全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出してくる。 


 桜宮先生はあさってに目を向けると、こめかみの辺りを指の腹で掻く。


「えっと……役所に出すときは、本人確認書類とか他にも必要なものあるから……婚姻届だけじゃ足りないっていうか」


 物凄いまともな指摘をされた。

 普段ポンコツなくせに、こういう時は妙にしっかりしている。余計、居た堪れなかった。


 穴があったら入りたい。火が出そうなほど顔を赤くする。……しかしこうなった以上、覚悟を決めるべきか。


 もう後には引けない──。


 俺は思いっきり席を立つと、桜宮先生を正面から見据えた。


「……由美さん」


「っ、は、はい」


「最近俺、宗二さんにお願いして、インターンシップに行ってるんです」


「え? う、うん。知ってるけど」


 急に九十度話の方向性が変更したため、桜宮先生が戸惑いをあらわにする。

 しかしそんな彼女にお構いなしに、俺はゆっくりと続けた。


「やっぱ働くのって大変で……このまま将来一人前の社会人として働けるのかなって、想像するだけでも肩の荷が重くなります。……今の俺に養う力はなくて、社会もまともに知らなくて……そんな俺が、結婚なんて早いし……世間知らずもいいとこだって、分かってます」


 桜宮先生の手を取る。

 ジッと目を見据えて、真面目に真剣に。


「それでも、俺、由美さんと結婚したいです。俺と……結婚してくれませんか」


「……。……いいの?」


「もちろんです。それに……いつだったか言ってましたよね。子供好きだって」


「い、言いました」


「だったら早いに越したことないっていうか……まぁもうだいぶ待たせちゃってますけど」


「湊人くん……」


 目を見つめ合う。桜宮先生が強く抱きついてきた。


 沈黙が落ちて、無言の時間が流れる。

 けれど嫌な沈黙ではなかった。


 そうして、どちらともなく顔を近づけていき──口付けをしようとした、瞬間だった。



「──シイナ、さんじょうです」



 バタンッと唐突に扉が開いた。

 一瞬にして、硬直する俺と桜宮先生。


 沈黙に落ちる室内。

 シィちゃんが、ジーッと何も言わずに俺たちを見つめる。おっと……なんだこの気まずさは。


 続けて、二人の女子が姿を表した。


「これはグッドタイミング、かな」


「みーくん……何してんの」


 篠塚さんに、楓だ。


 突然の来訪に、動揺を隠せない。

 インターホン鳴ってないよな。てかなんでウチにいんだ……。


「ごめんね湊人。そろそろ倦怠期じゃないかなって、突撃訪問してみたんだけど」


「待って。どうやって入ったの? 鍵は閉まってたはず……」


「わたし、マジシャンだからね。アパートの鍵穴くらい、お茶の子さいさい」


「犯罪じゃねえか!」


 普通に不法侵入だった。

 何食わぬ顔で、何してるんだ! 


「き、キスとか……ほ、ホントみーくんって節操ないんだから! ば、馬鹿みたい!」


「勝手に入ってきて言われるの⁉︎ てか、付き合ってるんだしキスくらい」


「場所くらい考えてよね」


「ここ自宅!」


 楓が吐き捨てるように言う。言い掛かりだった。

 さっきまでの、甘ったるい空気は霧散して、居たたまれない空気が充満していく。


 この状況を憂いていると、シィちゃんが口を開いた。


「ミナトにいとユミねえ、けっこんするんですか?」


『…………え』

『…………っ』


 途端、静まり返る室内。

 シィちゃんはテーブルに放置してあった婚姻届を、全員に見えるように両手で掲げた。


 ただこの静寂は一時的なものだ。

 すぐに爆発する。それは目に見えていた。


 篠塚さんと楓が、一斉に俺に詰め寄ってくる。


「ど、どういうことかなっ? 結婚って嘘だよね。わたし、まだ何も出来てないんだけど!」


「みーくん! 結婚なんてあたし聞いてない! ねぇ、どういうこと⁉︎ 結婚なんてしないよね。あの婚姻届は偽物だよね⁉︎」


 般若の形相だった。

 こ、これは……まずい。


 どうしたものかとたじろいでいると、桜宮先生がコホンッと咳払いをする。自分の方に注目を集めると、口を開いた。


「……私たち結婚します」


 再び、静まり返る室内。だが、このまま静寂で終わるはずがない。


 これは、かつてないほど荒れそうである。


 俺は小さく吐息をこぼし、額を右手で抱える。この状況をどうしたものかと思案するのだった。



 〈完〉


───────────────────────


最後までお読みいただきありがとうございました。


物語としてはこれで完結ですが、せっかく長々書いたので、バレンタインとか七夕とか、行事の際にはしれっと三千字くらいの小話を投稿する……と思います。確約はできませんが(-。-;

よかったら、フォローはそのまま継続していただけると幸いです。また、批判でもなんでも構いませんので、感想もらえると嬉しいです。

レビューもしてもらえると嬉しいです(^^)


最後に宣伝をば。


色々あって更新が滞っていた作品をリメイクして、投稿し直しています。よかったら、読んでいただけると幸いです。

(この作品のキャラクターが数話だけ登場しています。お時間ありましたら、ぜひ)


昔あげた「なんでも言うコト聞く券」のせいで、幼馴染から婚約を迫られているのだが


リンク↓

https://kakuyomu.jp/works/1177354054897649731

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