従姉妹達との一幕

「ミナトにい、おでかけですか?」


 洗面台の前で、ヘアセットを行っている時だった。パジャマ姿のシィちゃんが、ジト目で俺を見上げてきた。

 髪いじりを中断して、シィちゃんに視線を向ける。


「そうだよ。お出かけ」


「かえってくるのは、あしたになりそうですか?」


「んっ……い、いやそんな事はないと思うけど」


「ほんとですか?」


「本当だよ。うん」


 今日は、桜宮先生と外で会う約束をしている。

 篠塚さんからもらったチケットで、イルミネーションを観に行く予定だ。色々熟慮した結果、いっそクリスマスイブに行った方が周囲にバレないのではないかという逆転の発想に至り、今日十二月二十四日を決行日とした。

 実際、街中ならいざ知らず。クリスマスイブにイルミネーションに行くのは、かなりの高確率でカップル。わざわざ周囲に目を向ける人間は少ないだろう。


 これが学生カップルで、そこそこの付き合いがあるならば、お泊まりコースもあったかもしれない。

 けれど、こっちは生徒と教師。それを抜きにしても、法律に抵触する。極端に帰る時間が遅くなる事はない。……はずだ。


「そうですか。では、もしミナトにいのかえりがおそいときは、『ミナトにいは、おともだちのいえにいっています』といいわけしておいてあげます」


 この幼女は、相変わらず……。

 俺は困ったように苦笑すると、シィちゃんの頭をそっと撫でる。


「じゃあもし帰って来なかったら、お願いね」


「がってんです」


 グッと胸の前で両手を握りしめて、やる気を見せてくる。俺が再び髪の毛のセットに戻ると、シィちゃんが俺のズボンを掴んできた。


「ミナトにい、かがんでください」


「え? あぁ、これでいい?」


 言われるがまま、膝を折って目線を下げる。

 ちょうど、シィちゃんと同じくらいに顔の位置を持っていく。


「はい、おっけーです。シイナがミナトにいのかみのけを"せっと"してあげます」


「シィちゃんにできるかな?」


「できますよ。め、つぶっててください」


 シィちゃんの指示を受けて、まぶたを落とす。

 しかし、髪の毛に触れられる感覚はなかった。代わりに、頬に柔らかい感触が走る。


 猫騙しを喰らったみたいにパチリと目を見開くと、右頬に手を置いた。


「……っ。え?」


「してやりました。シイナ、さくしです」


「策士って……いや、な、なにしてるの?」


「きっすです。シイナも"おとしごろ"なのです」


「お年頃って……まだ年中さんだよね……」


 当惑する俺を、シィちゃんはジト目で見上げてくる。


「くくく……そうやって、シイナをこどもあつかいできるのも、いまのうちです。シイナはユミねえすら"りょうが"するびじんさんになりますから」


 シィちゃんは胸を張って満足げの吐息を漏らすと、踵を返した。凌駕って……相変わらず、語彙力が幼女のそれではない。


 去り際、シィちゃんは一度だけ振り返ってくる。


「それではシイナは、わりざんのべんきょうをしてきます。でーと、たのしんでください」


「お、おう。シィちゃんも頑張って」


 この幼女、ホントに五歳児なのかなぁ……。

 改めてそう思う、俺だった。



 ★



 身支度を済ませ、あとは玄関で靴を履くだけになった。ヒモを調整していると、背後から忍び寄る影があった。

 その影は、俺の視界に影響を与える距離まで、近づいてくる。振り返ると、そこに居たのは黒髪をツインテールにまとめた従姉妹──楓だった。


「どうかした? 楓」


「や、別に……みーくん、なんか色気づいちゃったなあって思ってさ」


「そうかな」


「絶対そうだよ。これまでそんな髪の毛とか気にしてなかったし」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 これまでは寝癖さえ直せればいいって思っていた節はあった。なんなら、その寝癖すらも面倒で直さない日がザラにあったくらいだ。

 桜宮先生と付き合う事で、俺自身成長しているのかもしれない。


「……あのさ、みーくん」


「うん?」


「みーくんって、あたしのことどう思ってるの?」


「家族だと思ってるよ。従姉妹だけど、ホントの妹みたいな……そんな感じ」


「ふーん。じゃ、お兄ちゃんに相談してもいいかな」


「は? お兄ちゃん?」


「うん、だってあたし妹なんでしょ。だったら、みーくんはお兄ちゃんじゃん」


 ケロリと、なんでもないように言う。

 俺の楓に対する認識が妹に近いだけで、楓が俺を兄扱いする必要はないのだけど。


 ともあれ悪い気はしない。

 俺は靴紐を調整しながら。


「そっか。それで相談って?」


「あたしさ、実は好きな人いるんだよね」


「え、そう、なのか……知らなかった」


「結構長いこと片想いしてて、けど、まぁ完全に脈なしでさ。一切、あたしのこと恋愛対象として見てくれないんだよね」


 楓は、自らの恋模様を赤裸々に打ち明けてくる。


「楓で脈なしか……その男、見る目ないな」


「ね、あたしも思う。……でさ、どうしたら良いのかな。諦めようって決めても、全然諦められないんだ。……参っちゃうよ、ホント」


 楓は困ったように笑うと、頬を指でポリポリ掻いた。俺は腰を上げると、楓に向き直る。

 ポンと頭に手を置いて、柔和な笑みを浮かべた。


「無理に諦める必要ないだろ。今が脈なしなだけで、今後はどうなるかわかんないし」


「でもその人、カノジョいるの。ビックリするほど美人でスタイルの良い」


「それは、キツイな。でも、別れる可能性だってあるし、踏ん切り付かないうちは諦めなくて良いんじゃないの?」


「そっか……そうだよね。へへっ、たまには頼りになるじゃん。みーくん」


「お兄ちゃんじゃなかったっけ?」


「それはもう辞めた。だって、みーくんはあたしの従兄弟であって、お兄ちゃんじゃないし」


 何かが吹っ切れたように微笑むと、にこやかに告げてくる。それに対して俺も微笑を返すと、踵を返した。

 玄関のドアノブへと手を伸ばす。と、楓が後ろから抱きついてきた。


「……? どうしかした?」


「…………行っちゃヤダな……」


「え? ごめん、なに?」


「ううん、なんでもない。ごめんね、ちょっと躓いちゃった」


 楓は俺から手を離すと、作ったような笑みを浮かべる。俺は首を横に傾げた。


「大丈夫?」


「大丈夫。ほら、早く行かないと遅刻しちゃうんじゃないの? 由美ねえ、待たせちゃダメだよ」


 行った行った、と楓は雑に手を振る。


「い、いや……俺、桜宮先生と出掛けるなんて一言も」


「インドアのみーくんが外に出る理由なんてそれくらいでしょ。隠せると思ってた事に驚きなんだけど」


 うっ、と喉を鳴らす俺。

 今度こそ玄関扉を開けると、小さく手を振った。


「じゃ、行ってくる」


「ん、行ってらっしゃい」


 楓も俺にならって、ヒラヒラと手を振ってくる。

 そんな従姉妹達との一幕を終えて、俺は待ち合わせ場所へと向かったのだった。

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