桜宮家にて後編
「実は俺、嘘ついてました」
そう切り出してから、俺は赤裸々に打ち明けた。
桜宮先生の婚約者のフリをしていたこと、結果的に今は付き合っていること。包み隠さずに全てを話した。桜宮先生の事情を鑑みれば、婚約者のフリは全うするべきだろう。ただそれでも、俺の独断で話すことにした。
「……そうか」
話し終えると、宗二さんは一言だけ返してくれた。
重たい沈黙に落ちる。吐息すら耳を澄ませば聞こえてくる。
俺はジッと正座をして、宗二さんの反応を窺うしかなかった。
そうして時間にしては十秒ほどだろうか。体感時間はもっと長かったが、そんな沈黙を経て、宗二さんが重たい口を開いた。
「合格だ、湊人くん」
「……。……は?」
つい間の抜けた声を上げてしまう。ポカンと開いた口が塞がらなかった。
「婚約者のフリをしていた件については、事前に由美から聞いていたよ」
「事前に聞いてたって……は?」
宗二さんの言葉を反芻しながら、桜宮先生に視線を向ける。
彼女は困り顔を浮かべながら、頬をポリポリと掻いていた。
「ご、ごめんね隠しきれなくて……」
でもさっき、婚約者の件はまだ話していないって言ってなかったか?
少し前の記憶を遡り、俺は怪訝な表情を浮かべる。
「湊人くん。キミはいささか口が回るのだろう。咄嗟に虚言を吐き、その場をやり過ごす機転が効くくらいには」
「……っ、そ、そんなことはないです」
「隠さなくていい。実際、文化祭の時は私自身うまく丸め込まれてしまったしな」
「す、すいません」
宗二さんは、テーブルに両肘をついて手を合わせる。
振り返ってみると、俺、かなり嘘を吐きまくってるな。事情が事情だったとはいえ、口が回るのも考えものだ。
「だからこそキミを少し試させてもらった。この期に及んで隠し事をするような男、信用できないからな」
「じゃあ合格ってのは……」
「あぁ、由美の交際相手として認めるという意味だ」
宗二さんはそう言って席を立つと、踵を返した。
「まぁ今後、浮気と思しき行為……由美を悲しませたらその時は容赦しないがな」
「は、はい。肝に銘じておきます」
宗二さんは襖に手を掛ける。が、部屋を後にする前に、呟くようにこぼした。
「あぁ言ってなかったが……私はそもそも由美の結婚など断固反対派だ。母さんが言ってるだけだからな」
宗二さんが部屋を後にして、残ったのは俺と桜宮先生、そして清香さんの三人になった。俺が呆然とする中、桜宮先生の表情がゆるむ。
「やったね、付き合っていいってさ」
「え、あぁ……そう、みたいですね」
俺個人としては、試験を受けているつもりはなかったから、変な感じだ。合格と言われても、実感がない。
お茶を一口飲んで、乾いた口内を潤していると、清香さんが口を開いた。
「やっぱり、私の目に狂いはなかったみたいね」
「え?」
柔和な笑みを浮かべ、優しい口調で語り始める。
「由美がはじめて湊人くんをウチに連れてきたとき、すぐ気づいたの。湊人くんが、偽物の婚約者だって」
「……そ、そうなの?」
清香さんの突然のカミングアウトに、桜宮先生が真っ先に反応する。
「ええ、そのくらい分かるわよ、母親だもの」
「そう……なんだ……じゃあなんで」
「湊人くんの目を見たとき、悪い子には見えなかった。それに、由美が連れてくるってコトは、ただ適当な男の子を連れてきたわけじゃない」
そういえば、清香さんは俺と会ったとき、まず目を合わせきた。それもかなりの至近距離で。
目は口ほどに物を言うと言うけれど、そこまで分かるのだろうか。それが年の功なのか?
「あの……」
俺はつい気に掛かったところを訊ねることにした。
「なに? 湊人くん」
「宗二さんは結婚に反対してる。つまり、桜み──由美さんの結婚を重要視しているのは、清香さんってことですよね?」
「そうよ」
「なら、いいんですか? 俺、その……やっぱそこまで今、決断できないですし。初めから、俺が婚約者じゃないって分かっていたなら、俺と由美さんの関係を認める必然性がない気がします」
「そうね……でも一つ誤解してることがあるわよ湊人くん」
「え?」
「私は、由美に期限を設けることで、恋愛に目を向けて欲しかったの。これまで、そういうことに触れてこなかった子だから。このままだと一生独身を貫きかねないからね。期限を付ければ嫌でも良い人を探すでしょ。多少強引な力業だったとは思うけれど、そこまでしないと由美は動かないし」
そう……だったのか。
じゃあ、三十歳までに結婚というのは、桜宮先生のやる気を出させるための決めごと。
「なんだ……てっきり、ホントにお見合い結婚させられるのかと思った」
「まぁあながち冗談でもないわよ。このまま由美が本当に行動を起こさなかったときは、お見合いを敢行しようと思ってたから」
「うっ……あぶなぁ」
「年齢は重ねるごとに貰い手が少なくなるの。寝かせれば良いってものでもないのよ。ワインと違って」
まぁ、特に女性は年齢の壁にシビアなところがあるからな。
結婚適齢期を過ぎると、あとは下り坂。結婚へのハードルは男性よりも高い。
「あ、ごめんなさいね。こんな事言うと、湊人くんに重圧よね」
「え、い、いえそんな」
「私としては、湊人くんが由美をもらってくれると嬉しいのだけど……そこは、湊人くんと由美の判断に任せるわ」
清香さんは、さっと腰を上げる。
けれど、すぐに腰を下ろして座り直した。
言い残したことがあるらしい。
「そうそう……ウチでよければいつでも来ていいからね。外だと周りの目もあるのでしょう。生徒と教師だものね。……ごめんなさいあまり気が回らなくて。あ、早速だけど、今から由美の部屋行く?」
清香さんが、魅力的な提案をしてくれる。
確かに、ここなら誰かに見られる危険はない。安全圏だ。
学校からは離れた場所にあるしな。
「あ、はい。じゃあ行きま──」
「だ、ダメ! わ、私の部屋はダメだって!」
「あら、掃除しなさいって言ったわよね」
「し、仕方ないじゃん。やることいっぱいあって……時間なかったの!」
「すぐそうやって先延ばしにして……」
清香さんはぴしゃっと額に手を置き、困り顔をする。
そういえば、桜宮先生は整理整頓が苦手だったな。職員室の机も、散らかっていたし。
「あ、それなら俺が片付けます」
「ほんとう? 助かるわっ」
俺は腰を上げると、強めに鼻息を吐く。
「だ、ダメだよ! え、ちょ、やる気見せないで?」
桜宮先生がしがみついて、引き止めようとしてきたが、俺の気持ちは既に固い。
どんな惨状が待っているのか、好奇心を駆られていた。
その後、あれこれ文句を言う桜宮先生をなだめながら、清香さん先導の元、部屋に案内してもらう俺だった。なかなかの惨状だったが、無事、人様に見せられるレベルになったと思う。
桜宮先生は「もうお嫁にいけない……」と嘆いていた。
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次回、10/31更新。
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