桜宮家にて前編
「桜宮先生……俺、殺されたりしないですよね……」
「さすがに大丈夫だと思うよ……多分」
現在、俺は桜宮家に来ていた。
和テイストで彩られた広い敷地面積を誇る屋敷。隅々まで管理が行き届いており、展示物のような錯覚すら覚える。
前回、桜宮先生の婚約者役として結婚の挨拶に来たときと、同様の部屋にいる。
どうしてこの場にいるのかといえば、理由は単純。
日曜日の一件について、釈明するためだった。結局あの日は、誤解をしっかり解けずに終わってしまったからな。後日説明、という形で
そして今日──十一月十四日、土曜日が、後日説明の日である。
一週間近く時間があいてしまった分、余計に気が気ではない。
心拍を上げていると、桜宮先生がそっと俺の左手に触れてくる。
「大丈夫だって。私の方から、大体説明は済ませてるし」
「だと良いんですけど……そういや、婚約者のフリをしていた事は話したんですか?」
「そ、それはまだ……」
桜宮先生が苦い顔を浮かべる。
「そうですか……でも伝えるべきですよね」
「湊人くんが結婚してくれるって言ってくれれば、丸く収まるんだけどなぁ……ちら」
わざわざ効果音付きで、チラチラ視線を送ってくる桜宮先生。
フライ返しの要領で左手を反転させると、指を絡ませた。恋人つなぎをする。
「いいんですか、そんな事言って」
「え?」
「収入ないですし、今の俺に結婚できる甲斐性ないですよ」
「全然いいよ。私が養ってあげる。貯金いっぱいあるし、仮にも公務員だから収入もぼちぼちあるしね」
「俺、本気にしますよ。これまではどこか自分の気持ち隠してましたけど……俺、先生のこと好きなの、もう隠す気ないですから。そういう甘い誘いされると、普通に乗っかっちゃうというか」
「……っ。わ、私だって冗談で言ってない。じゃあホントに結婚してくれる? 私が養ってあげるって言ったら」
「…………すみません。やっぱ考えさせてください」
「なんでよっ。期待させといてそれ酷い!」
頬に空気を溜め、膨れっ面を浮かべる桜宮先生。涙目になって、嘆いてくる。
一瞬、ホントに結婚していいかもと思ったけれど、そう簡単に踏み切れるものではなかった。
「思わせぶりなのってよくないと思うな」
「……以後気をつけます」
「そうしてください。あと、湊人くんは私のご機嫌を取らないとダメだよ」
「ご機嫌ですか? どうすれば」
「そ、それは……ほら、この前やってくれたやつ……」
「この前?」
そう言われて、思い当たる節があったのは一つだった。
「え、今、するんですか?」
「ダメなの?」
「ダメというか、ここ先生の実家ですよ」
「うん。学校なら誰かに見られたら大問題だけれど、ここは私の実家。だから問題ないと思う」
いや問題はある。タイミング悪く誰かに目撃される危険は拭えない。
とはいえ、学校ほど危険がないのも事実だ。
桜宮先生の機嫌を損ねたのは俺なわけだし、ここは覚悟を決めよう。逡巡している時間が惜しい。
「目、閉じてください」
「は、はい」
この前は、一秒あったかどうかの短いキスだったが、今回は長めだった。
桜宮先生が、俺の左手をぎゅっと握ってくる。握ってくる間は、キスをやめるなと暗に告げられている気がした。
そうして、割と長い間、口づけを交わしているときだった。
「あらごめんなさい、お邪魔したわね」
そしてすぐに閉まった。
その声の主は、間違いなく桜宮先生の母親──
まぁ……この展開は、予想ついてたよね。
★
「ごめんなさいね。私ったら昔から間が悪いのよ」
時は幾ばくか流れ。
俺は顔を真っ赤にしながら、正座をして
危惧していた展開になったものの、不幸中の幸いだったのはこの場に宗二さんがいないことだ。もし、キス現場を見られていたら、余計な反感を買うところだった。
「そろそろお父さんも来ると思うのだけど」
「「…………」」
清香さんが一人で喋る中、俺も桜宮先生も声を出せなかった。
特に、実親に目撃された桜宮先生の羞恥度合いは、俺の比ではないだろう。まぁ、桜宮先生からけしかけてきたから、自業自得ではあるのだけど。
居たたまれない空気に支配されていると、襖が開かれる。
そこから現れたのは、無精ひげを蓄えた桜宮先生のお父さん──宗二さんだった。
俺は自分自身を鼓舞すると、腰を上げて頭を下げた。
「こ、こんにちは宗二さん」
「あぁそんなかしこまらなくていい。座ってくれ」
「は、はい」
宗二さんは俺の正面の席に腰を下ろすと、緑茶を一口すする。
目を見据えると、神妙な面持ちで口を開いた。
「由美から大方話は聞いたよ。色々早とちりして悪かったね」
「い、いえ……誤解を生むようなことしてすみませんでした」
「あぁまったくもってその通りだ。誤解を生む行動をする方が悪い」
「うぐっ……はい……」
「大体、私は反対なんだ。湊人くんと由美との交際……ひいては婚約について」
「反対、ですか」
重たい口ぶりで、宗二さんは嘆息する。
直接、反対と言われたのは初めてだった。勝手に、認めてくれていると思っていた。
「当たり前だろう。高校生と付き合うなど、常軌を逸脱している。…………一つ聞いてもいいか? 湊人くん」
「は、はい」
「キミは高校を卒業したら、どこの大学に行くつもりだ? それとも、就職する予定か?」
「え……それは……すみません。まだそこまで考えられてなくて」
「だろうな。先のことを考えられる方が稀有だ。なにもおかしなことじゃない」
宗二さんは、再び緑茶を口に入れる。
口の中を潤してから、話を続けた。
「その上で聞くが、由美とは本当に結婚を考えているのか。ただ、口先だけで結婚すると言ってるだけか、そこを今一度教えてほしい」
宗二さんは、俺のことを桜宮先生の婚約者と認識している。
この場での最適解は、結婚を真剣に考えていると伝えることだろう。
だが、それは誠実ではない。今の俺に、そこまでの思考はできないし、覚悟もない。力もない。
だから、少なくとも嘘を吐くような真似だけはしてはいけないと思った。
「実は俺──」
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