二度目の告白

 リビングは、重たい沈黙に落ちていた。

 衣擦れの音すら許さない、重たい……重たい沈黙。


 生まれて初めて告白を断った。

 勢いに任せたものではなく、相手を傷つける覚悟を持って断った。

 告白は、断られる方だけが辛いと思っていた。でも違かった。断る方だって辛かった。


 それを初めて知った。


 篠塚さんは、俺のことを優しいと言うけれど、やっぱり俺はそうは思えない。

 これまで感じたことのない、胸の奥にドッシリと襲いかかる重圧。彼女の気持ちを知ってしまったからこそ、この重みは胸に響く。


「……そ、そういえば、買い物行こうと思ってたんだった。よーし、シィちゃん、今からスーパーに行こっか!」


「は、はいです。いきましょうおねえちゃん! おかしはなんこまでですか?」


「一個までだよ。無駄遣いするとお母さんに怒られるからね」


「しかたありません。シイナはききわけのよいこなので、いっこでがまんします」


「うん、良い子良い子。じゃ、早速行こっか」


「らじゃー」


 リビングに充満する重たい空気の中、最初に切り込んだのは楓だった。

 演技を彷彿とさせる口振りで、ソファから立ち上がる。シィちゃんの手を引いて、扉の方へと一直線で向かっていく。


 相変わらず、人一倍気遣いしいな従姉妹である。


 楓たちが居なくなり、再び沈黙のカーテンが降りかける。

 桜宮先生は椅子を引いて立ち上がると、床に膝をついて目線を合わせてきた。


「……ごめんね瀬川くん」


「なんで桜宮先生が謝るんですか?」


「私のせいで、瀬川くんにたくさん負担掛けてたなって思ってさ」


「負担なんか掛かってないですよ」


「嘘。私、浮かれてばっかで全然周りのこと見れてなかったと思う。瀬川くんは色々気に掛けてくれてたよね。私のが大人なのに、まるでしっかりしてないや」


 苦く笑いながら、桜宮先生は懺悔する。

 小首を傾げると、瞳の奥を覗き込むようにジッと見つめてきた。


「さっきさ、篠塚さんに言った言葉って本当?」


「……本当ですよ。俺、桜宮先生の事が好きです」


「そうなんだ。……よかった」


「え?」


「だって瀬川くん、全然言葉にしてくれないんだもん。実は、仕方なく付き合ってくれてるのかなとか、年上をからかってるのかなとか、色々悲観的なこと考えてた」


「そう、だったんですか……すみません」


 思えば、俺が桜宮先生に対して、直接好意をぶつけた事はなかった。

 会話の流れで、冗談っぽく『好き』と言ったことはあったけれど、心の底から真っ直ぐ気持ちを打ち明けたことはなかった。


「私はね、瀬川くんのこと大好きだよ」


「……お、俺だって先生の事大好きです」


「ありがと。瀬川くんのことが好きでしょうがないからこそ、すごく……すごく不安になるの。瀬川くんと同じ年代の子がいっぱいいる学校が。だから年甲斐もなく、嫉妬して瀬川くんのこと独占しようとしちゃった。多分、それが余計に篠塚さんの気持ちを揺さぶっちゃったんだと思う」


「そんなこと……」


「ごめんね。瀬川くんは、ちゃんと周り見えてたのに……私、自分のことばっかだった」


「謝らないでください……」


 俺の言葉が足りなかった。

 桜宮先生の事を見ていなかった。周りのことばかりで、保身に走ってばっかりで。

 好意を伝える努力を怠った。


「瀬川くんは、ホントに私でいいの?」


「……え?」


「今更だけど、私、三十路だよ……瀬川くんより一回りも歳取ってる。それに生徒と教師だし……色々問題あるよ。普通の恋愛じゃない」


「……そんなこと聞かれても、分かんないです」


 俺はそっと視線をうつむかせると、呟くように告げる。

 桜宮先生は、苦し紛れに笑みを作った。


「そっか……そうだよね」


「…………」


「私たち別れた方がいいのかな……。……瀬川くんが出来るはずだった普通の恋愛を、私が奪っちゃってる。……そのことをずっと気にしてたんだ……」


 天井を仰ぎ見ながら、訥々と打ち明けられる。

 そんなことを胸中に抱いているとは知らなかった。


「でも私、ズルいから……自分の気持ち優先しちゃった……。でもダメだよね……こんなの普通じゃない……いっそ別れた方が──」


「勝手なこと言わないでください」


 ピシャリと、桜宮先生の声を遮る。

 俺は顔を俯かせたまま、噛みしめるように続けた。


「確かに普通じゃないかも、ですけど。俺は……桜宮先生じゃないと嫌です」


「え?」


「桜宮先生以外、もう考えられません。……全部、全部先生のせいです。今まで、年上を恋愛対象とみるなんて考えられなかった。なのに、高校入学して桜宮先生と会った時、知らない感情が芽生えて……俺の感性、桜宮先生に会ってから滅茶苦茶です。ずっと気の迷いだって言い聞かせてきたのに……婚約者役とか任せてくるし、嫌でも自分の気持ちに気づいちゃいますよこれじゃあ」


 うっ、と喉を鳴らす桜宮先生。

 バツの悪そうな顔をする彼女に向けて、俺は質問し返した。


「桜宮先生は、どうなんですか? 俺が彼氏でいいんですか?」


「うん……瀬川くんが……湊人くんがいい」


「じゃあ、三十路とか、生徒と教師とか、倫理観とか……どうでもよくないですか」


「そう、思ってたはずなんだけどね……やっぱり誰かから直接言及されると、心配になるというか……」


 篠塚さんに言われたことが、桜宮先生の胸に刺さっていたらしい。

 俺は小さく深呼吸すると、決意を瞳に宿す。俺は言葉も足りなかったが、行動も足りなかった。だから、桜宮先生に余計な心配をさせてしまった。


 だったらせめて、今の俺に出来ることをしよう。


「桜宮先生……目、つぶってもらっていいですか」


「え? う、うん」


 お願いすると、桜宮先生はすぐにまぶたを落としてくれる。

 彼女の肩に両手を添えると、そのまま口づけした。時間にしては、一秒あったかどうかだったと思う。ただ、これまでで一番長い一秒だった。


 桜宮先生は目を見開くと、彫像のようにその場で硬直する。


「俺と桜宮先生が付き合うことが、正しいのかどうかは分かんないですけど……俺のカノジョは桜宮先生がいいです。好きな人以外に、こんなことできませんし」


「……っ」


「もう二度と心配させるようなことしません。だから……これからも俺と付き合ってください」


「……は、はい……こちらこそ、よろしくお願い、しましゅ」


「また噛みましたね先生……」


「うっ、だ、だってぇ」


 涙目になって、おろおろと狼狽する桜宮先生。遊園地の時も、今と同じで締まらなかったのを思い出し、俺はクスリと微笑む。


 心底、桜宮先生の事を可愛いと思う俺だった。

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