独白と告白
「え、えっと……離れてもらっていいかな? 篠塚さん」
力強く俺を抱きしめる篠塚さん。
彼女の肩を優しく掴み、上擦った声でお願いする。
けれど、俺との密着度を上げてくるばかりで、離れてくれる気配がなかった。
「ヤだ。ずっとこうしてたい」
「うん、桜宮先生そこに居るからね。この状況が如何にマズいか分かるよね?」
「じゃあ、場所移動しよ」
「そういう問題じゃない!」
声を荒げて叱責する。チラリと横目で、桜宮先生の様子を確認する。
彼女は、ニコニコと微笑ましいものを見るかのように笑っていた。一番マズいやつですね。あとで殺されるやつだ……。
「え、えっと桜宮先生……これは、その……俺の意思ではなくて」
「うん分かってるよ。続けて?」
ヒヤッと背筋に寒いものが走る。
桜宮先生って、ポンコツサイドの筆頭みたいな存在じゃないの? 今、凄く怖いんだけど。もう、心臓バクバク言ってるんだけど。
「今からでも遅くないよ。わたしにしよ湊人。確かに桜宮先生は美人だし、スタイル良いけれど、今だけだよ。すぐに劣化するよ。中古品より、わたしの方が絶対良いって」
「……ッ。中古品じゃないし……劣化しないし……私、永遠の十七歳だし!」
「三十路なのに、外見と内面の年齢が比例してない人より、わたしにしようよ湊人。ね?」
息が掛かるほど近い距離で、真っ直ぐ俺の目を見据える。
確かに、そう……なのかもしれない。
普通に考えて、三十路の女教師と付き合うなど、正気の沙汰じゃない。
なにより、俺のことを好きだと言ってくれる可愛い女子が目の前にいる。視野を広げれば、俺の周りにはもっと別の女の子がいる。ここで、桜宮先生を選ぶなど、普通ではない。俺だってそう思う。
元々、俺はそういう考えを持っていた。
一回りも離れていて、生徒と教師という立場の違いもあって、世間的には子供と大人だ。下手を打てば、犯罪だと周囲から罵られるような関係性。
付き合うべきではないし、その思考自体が異端だと思う。
ただ、それでも俺が桜宮先生を選ぶ理由。
まだ誰に打ち明けたことのない、俺がずっと隠していたこと、自分自身にすら隠して気が付かないようにしていたことを、語りかけるように告げる。
「……一目惚れ、なんだよ」
一瞬、沈黙が室内に落ちた。
呆気に取られる篠塚さんから距離を取ると、ふわりと微笑みながら続けた。
「一目惚れなんだ。高校入学して、初めて桜宮先生を見たときから、俺は桜宮先生の事が……多分好きだった」
「な、なに……今更、言って……」
篠塚さんが、呟くように言う。ずっと誰にも言わずに封じ込めていたことだからな。
彼女がそう思うのも仕方ない。俺以外の全員が固唾を吞む中、俺は苦笑気味に続けた。
「だって、叶うわけないと思ってた。だから、何かの気の迷いだってずっと封じ込めていた。でもたまに顔を出しそうになるから、生徒と教師だと散々言い聞かせてた。自分の気持ちに蓋をしてたんだ」
恐らくはしつこいくらいに、俺は桜宮先生と自分の立場や年齢について、言及していたと思う。少しでも、自分の気持ちに素直になってしまえば、婚約者の役を都合良く使ってしまうから。だから、年の差や立場といった強固な盾を、たびたび使っていた。
とはいえ、その盾も万能ではない。
例えば、文化祭で桜宮先生に公開告白をしたときなんかは、妙に気持ちがこもってしまった。その場をやり過ごすだけの告白ならば、宗二さんはきっといい顔しなかっただろう。曲がりなりにも、あの時の告白には感情が乗っていた。
デートだってそう。
婚約者役を引き受けた以上、途中で
桜宮先生がウチに遊びに来て、結果的に泊まることになったあの日。
桜宮先生は驚くまでのポンコツっぷりで、俺のベッドに潜り込んできていた。あの時、俺はその気になれば起こすことができた。大声を出すだとか、強めに肩を押すだとか。けれど、俺はその行動に出なかった。だって、出れるわけがないだろ。好きな人と添い寝できる状況、それを放棄できるほど俺は人格が出来ていないんだから。
桜宮先生から告白されたときは、素直に嬉しかったし……だからこそ、この関係が絶対にバレてはいけないと思った。バレてしまえば、付き合うことが出来なくなるから。だから、絶対にバレたくなかった。
付き合って以降、桜宮先生とデートしていないのもそれが理由だ。バレることで、リスクを重ねたくなかった。彼女との関係を続けたいからこそ、俺は学校以外で直接接点を持つ機会を減らしたし、不用意な接触はやめようと提案した。
比例するように篠塚さんを騙している罪悪感は、日に日に増していた。だがそれでも、俺は自分の感情を優先した。
ホント、最低だよな。クズと罵られても仕方がない。
その罪悪感からなのか、篠塚さんからの要求を断れなくなっていた。言い訳にしか聞こえないと思うけど。
桜宮先生とのことバレたくないくせに、宗二さんに誤解を生んだとなれば焦って……結果的にすべてを打ち明けてしまう。
本当にどうしようもない……情けないな。俺は。
自責の念に駆られ、俺は篠塚さんに目を合わせる。
「ごめん。黙ってて。身勝手で、保身に走って……自分のことしか考えてられなかった」
「……一目惚れって。……そんな、ズルいよ……勝てないよ。絶対、勝てないじゃん……そんな事、言わないでよ湊人……」
「篠塚さんは俺のこと優しいって言ってくれるけど、優しくなんかないんだ俺。ホント、ごめん」
「……っ。湊人は……優しいよ……わたしが困ってるとき、助けてくれた。何度も相談に乗ってくれた……優しくないなんてこと、ない」
ポタポタと涙を落とす彼女に、俺は何もしてあげられない。
することができない。してはいけない。けど、ここでハッキリと突き放さないといけない。
俺は、決意を固めると、躊躇い気味に、けれどしっかりと気持ちを込めて告げることにした。
「俺、桜宮先生が好きだ。だから、篠塚さんとは付き合えない」
改めて彼女の気持ちに応えられないことを告げると、篠塚さんは目を見開く。
腰を上げて、踵を返すと、彼女は一言だけ言い残したのだった。
「やっぱり優しいじゃん、湊人」
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