修羅場開幕
「どういうことだ、湊人くん」
「い、いやあの、これは……その」
現在、俺の目の前には、血管が浮き出るほど力強く拳を握った初老近い男性が居た。無精髭を蓄えており、今にも噛み付いてきそうな表情だ。
この人物が誰かと言えば、桜宮先生のお父さんたる
文化祭で一悶着あったが、結果的には好印象で終わった。
けれど、文化祭で貯めた好感度はすでに消えていた。だってこの現状は、客観的に見て浮気と判断しても、何らおかしくない状況だったからだ。
「この人、誰? 湊人」
俺の左腕に、ぎゅっと密着して、無垢な瞳を向けてくる篠塚さん。
俺は急激に心拍を上げながら、どうやって乗り切るべきかを考えていた。
いや、これはもうホントに詰んだかもしれない……。
~~~
こうなった経緯を簡単に整理しよう。
俺は、篠塚さんとシィちゃんの三人で出かけることになった。
家族サービスなるちょっと意味の分からない理由で。
理由はともあれ、シィちゃんを真ん中に挟んで手を繋ぎつつ、水族館を楽しんでいた。
と、そこで、偶然にも宗二さんと遭遇してしまったのだ。
お互いに顔合わせは済んでいる以上、知らぬ存ぜぬは突き通せない。
途端、鉛のように重たくなる空気。そして、冒頭である。
さて、現状の整理も終わったところで、どうしたものやら。
俺は見たこともない量の汗をだくだくと蓄える。
「ママだのパパだの呼び合っていたように聞こえたが」
「それはなんと言いますか……家族ごっこをしてた的な……感じでして」
「意味が分からないな」
「で、ですよねッ」
意味が分からない。そう捉えられて仕方ない。
が、それが事実だったりする訳で、俺としてはこれ以上の弁解の余地がなかった。
宗二さんは、小さく息を吐くと、俺の腕へと視線を注いだ。
「仮に、湊人くんの言っていることが真実だとして、それは看過できないな」
現在、俺の左腕には篠塚さんがベッタリと密着している。
さっきまで、こんなバカップルみたいな距離感ではなかったのだが、いつの間にか篠塚さんが俺との距離を詰めてきていた。
「こ、これは……えっと……」
俺は上下左右、ぐるぐると目を回しながら必死に言い訳を考える。が、当然、そんな体のいい言い訳は思いつかない。
ひとまず、篠塚さんと距離を取るべく、行動を起こすことにした。
「は、離れてもらっていい?」
「その前に説明してよ。あの人、誰なの?」
至極ごもっともな意見だった。
篠塚さんにしてみれば、名前も知らない初老の男性に俺が詰め寄られているのだ。
事態の把握が追いつかず、判然としない気持ちでいっぱいだろう。
だが、ここで宗二さんを、桜宮先生のお父さんだと紹介するわけにもいかない。適当にでっち上げるにも、目の前に宗二さんがいるこの状況では出来ない。
「あぁ、私は桜──」
「うわぁあっっと!? ごほ、コホコホ!?」
俺が当惑していると、宗二さんが自ら自己紹介を始めようする。
俺は僅かに目を開くと、周囲を気にせずに大声を上げ、咳き込んだ。
ここで『桜宮』なんてワードが飛び出したら一巻の終わりだ。
「な、なんだ……大丈夫か湊人くん」
「へ、平気です。それより、宗二さんはどうして
俺は無理矢理、話を切り替えに掛かる。
「ん、あぁ……ただの気晴らしだが」
「へぇ、気晴らしですか。いいですね」
「ふん、キミに比べれば、ちゃちなものだよ」
「う……いやですから……」
俺が弱々しく、否定を始めようとしたときだった。
篠塚さんは、ぐいっと胸元に俺の腕を引っ張り、上目遣いを向けてくる。
「よくわかんないけどさ、早くデートの続きしよ。湊人」
「デート……やはりそういうことか」
篠塚さんの言葉にいち早く反応したのは、宗二さんだった。
俺が、どうやって挽回するか必死に思考を巡らせる中、篠塚さんは続ける。
「どなたか存じませんけど、デートの邪魔しないでください。ほら行こっ、湊人」
冷たくあしらうように口を開き、篠塚さんはぐいぐい俺の腕を引っ張ってくる。
引力に引かれるがまま、俺は踵を返した。宗二さんは、憤怒を滾らせた瞳で俺を見ていたものの、これ以上何か言ってくることはなかった。
「いいんですかミナトにい……」
ここまで黙って静観していたシィちゃんが、不安そうに呟く。
良いか悪いかでいえば、一切よくない。
桜宮先生のお父さん。俺のお付き合いさせてもらっている女性のお父さんだ。
その人に誤解を招いたまま、退散していいはずがない。
だが、俺と桜宮先生の関係を篠塚さんに明かすわけには…………いや違うな。
後先ばっかり考えてどうする。もっと目の前の問題に直面するべきだろ。
そう、自分自身を叱責し、俺はパタリと足を止める。
「湊人……?」
「ごめん篠塚さん」
「え?」
「俺、付き合ってる人がいるんだ」
そうして、特に間髪を入れることなく、カミングアウトした。
途端、篠塚さんの目の色に動揺が走る。
「え、えっと……急に何言ってるの? 話が違うじゃん」
「隠しててごめん。もっと早く、ちゃんと伝えておくべきだった」
「な、何言ってるのかな。あっ、い、今なら聞かなかったことにするよ。てか、あのおじさんのことも見なかったことにするし、記憶から抹消する。全部都合良く見なかったことにするからさ……だから、急に変な事言い出さないでよ。ね?」
ヘラヘラと無理矢理笑顔を作りながら、上擦った声を上げる篠塚さん。
付き合っている人がいることに対しての驚きというよりは、その宣言をしてきたことに篠塚さんは驚いているみたいだった。
「俺──」
「やめて」
「俺、桜宮先生と」
「やめてって言ってるじゃん」
俺の声を遮るように、咆哮する。声量はいつもと変わらない。でも、鬼気迫る様子だった。つい、俺の声が途切れてしまうくらいには。
「おかしいよ。冷静になろ湊人。わたし、全部忘れるからさ、だから一回落ち着こ。湊人らしくないよ」
そう言う篠塚さんが、誰よりも落ち着いていなかった。
しがみつくように俺の服の袖を握りながら、続ける。
「湊人に、付き合ってる人はいない。それでいいでしょ。ね?」
「……よくないよ。ずっとどうするべきか悩んでたんだ。でも、やっぱり包み隠さず話すしか、方法ないみたいだ」
「そんなこと悩まなくていい。悩まないでよ。言わなくて良い」
でも言わないと、ずっとこのままだから、言わないといけない。
俺は一呼吸置くと、今度はハッキリと告げた。
「俺、桜宮先生と付き合ってるんだ」
「……やめてって言ったじゃん。聞きたくない」
「だから、篠塚さんの気持ちに応えることはできない」
「聞きたくない!」
「ごめん、でもハッキリさせとかないと……ダメだと思うから」
「……っ、おかしいよ……桜宮先生と湊人、一回りも年離れてるんだよ。生徒と教師だし、未成年だし……こんなのダメ。絶対ダメだって。おかしい。普通じゃない!」
激昂するかのごとく、篠塚さんは声を荒げる。
一瞬、周囲が静まりかえったのが分かった。
「わたしでいいじゃん……わたしで」
俺の胸元に体重を頭を預けてくる。弱々しい声と、乱れた呼吸が肌に伝わる。
篠塚さんは、しばらくそうして俺に体重を預けた姿勢を継続していた。俺にはもう、「ごめん」と謝ることしか出来なかった。
時間にして十秒ほどが経過すると、篠塚さんは上目遣いで俺を捉える。瞳は涙で潤んでいた。
「湊人はシチュエーションに酔ってるだけだよ。早く目、覚ましてよ」
「いや、そんなこと──」
篠塚さんは今にも溢れそうなほど、涙が目尻に溜まる。
視線をそっぽに逸らして、彼女の言葉を否定しようとした、その時だった。
「──あっ……えっと、これはマズったかなあたし……絶対タイミング悪いよね……ごめん、みーくん」
背後から声が飛んでくる。
その声の主は、俺の従姉妹で、シィちゃんの姉でもある楓だった。
そして彼女の隣には、俺の担任の先生で、婚約者役を頼んできた人で、そして何よりカノジョでもある桜宮先生が居た。
一瞬にして静寂に落ちる。
確かにこれはタイミングが悪い……そう思う俺だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます