家族サービス③
「ミナトにい、みてください。たこがいます。おいしそうですっ」
「あ、あんま水族館でそういうこと言うのやめような」
現在、俺は水族館に訪れていた。
メンバーは、俺、シィちゃん、篠塚さんの三人だ。
本来、この場には、楓もいるはずだったが、「あたしはいいや」と首を横に振ったため、参加していない。
元から既定路線だったのか、特に揉めることもなく水族館に行くことが決定して、今に至っている。
透明のガラスに手をついて、恍惚とした表情で、魚を見つめるシィちゃん。
その光景を、眺めていると、篠塚さんに左手を捕まれた。
「手、繋いでもいいよね?」
「あ、いや……繋ぐ必要あるかな……」
手を繋いだ後に、確認を取ってくる。
俺は困ったように頬を掻くも、篠塚さんが手を離してくれる気配はなかった。
それどころか、更に密度を上げてくる。
「ハグれちゃまずいしさ。いいでしょ? それとも、何かダメな理由でもあるの?」
ニコッと微笑を湛えつつ、小さく右側に首を傾げてくる。
ポニーテールが揺れ、茶色がかった黒目が俺を捉えてきた。
付き合っているカノジョがいるからと、率直に理由を告げられれば楽だけれど、桜宮先生とのことを話すわけにはいかない。
仮想の恋人を作り上げるのも手だが、嘘に嘘を重ねると取り返しがつかなくなりそうだ。要するに、打つ手がなかった。
「いや、まぁ特に問題はないけど」
「そっか。よかった」
篠塚さんが安堵の息を漏らす中、シィちゃんがとてとてと駆け足でこっちに戻ってくる。
「シイナもてをつなぎたいです」
「あ、じゃあ、わたしと──」
「シイナ、ふたりとてをつなぎたいです」
そう言って、俺と篠塚さんの間に割り込んでくる。
半ば強引に、自分のスペースを作り上げると、右手で俺の手を握り、左手で篠塚さんの手を握った。
「そ、そっか……甘えん坊さんだねシィちゃん」
「はい。シイナあまえんぼうさんです」
「もう少し、空気が読める子だと思ったんだけどな」
「シイナ、こどもなのでよくわかりません」
若干、不穏な空気が流れた気がするが、シィちゃんの行動は俺的には助かった。
ないとは思うが、ここで桜宮先生と遭遇したら、後が厄介だからな。
ただでさえ、篠塚さん関連で色々疑惑を与えてしまっているのだから、火に油を注ぐ真似はしたくない。まぁ、現状がまさに火に油を注いでいる気もするが。
何はともあれ、穏便にこの水族館を楽しんでさっさと解散したいところだ。
と、三人横並びになりながら、水族館を回っていると、篠塚さんが声を上げる。
「この状況、ホントに家族みたいだね」
「家族ってよりは、兄妹とかじゃないかな」
篠塚さんの発言に、修正を加える。
俺と篠塚さんが、あと十歳くらい歳を重ねていれば、家族に見えなくもない。だが、俺たちはまだ高校生だ。とてもじゃないが、家族には見えない。
しかし、篠塚さんは一切気にした様子を見せずに続けた。
「そんなことないって。せっかくだから、そのまま家族らしく水族館を楽しもーよ」
「え、嫌だよ。家族ごっことか、めっちゃイタいだろ。あとで黒歴史化するぞ」
「あー、なんでそんなつれないこと言うかな。いいじゃん、将来に向けての予行練習みたいな感じでさ」
「予行練習って……」
俺はため息混じりに、篠塚さんの言葉を反芻する。
と、シィちゃんが会話に割り込んできた。
「やめてあげてくださいミズナねえ。シイナのおままごとにも、つきあってくれないミナトにいに、そのようきゅうは”しびあ”だとおもいます」
「そうなの? 湊人、おままごと付き合ってあげないの?」
チラリと俺に視線を配られる。
いや、と否定しようとした刹那、俺は一度声を途切らせた。
シィちゃんに頼まれて、おままごとに付き合うことはあるし、桜宮先生の婚約者役を引き受けたりもしている。だから、シィちゃんの言っていることは真っ赤な嘘。
けれど、これはシィちゃんからのアシストだった。俺は意図を理解すると、首を縦に振った。
「ああ、そうなんだ。演技とか恥ずかしいって。たとえ遊びでもさ」
「へぇ、湊人って意外と思春期こじらせてるんだね」
「うぐっ……そ、そんなことはないと思うけど」
「じゃあいいじゃん。恥ずかしがらずにさ」
「ごめんなさい思春期めっちゃ拗らせてます」
「認めるの早!」
ここはプライドを捨てて、さっさと認めた方がよさそうだ。
でないと、ホントに家族ごっこが始まってしまいかねない。
だが、大事を逃れてホッと一安心したのも束の間。
篠塚さんは、諦めることなく続ける。
「でも、それだと将来子供が出来たときとか、大変だよ。羞恥心あったら、子供と同じ目線に立てないし」
「それはその時の俺がどうにかするから、大丈夫」
「未来の自分信用しすぎじゃないかな。どっかで行動に起こさないと、ずるずる行っちゃうよ」
「じゃあ、どこか良きタイミングで、なんとかする」
「おっ、言ったね。その良きタイミングが、今なんだよ」
「え……いや、だから今は……」
俺はだんだん尻すぼみに声のトーンを落としていく。
篠塚さんの意思は固いみたいだし、このまま話していても平行線だろう。
だったら──
俺は覚悟を決めると、ポリポリと髪の毛を掻きながら。
「じゃあ少しだけだから。それなら、まぁやってもいい」
「ホント? やったっ。湊人ってやっぱ優しいね。大好き」
「い、いちいち言わなくていいから、そういうこと……」
「でも言わないと、湊人には伝わんないし」
直球の好意をぶつけられて、俺が仄かに頬を赤らめて照れる中、ふと下から射抜くような視線をぶつけられた。
見れば、シィちゃんがジト目で俺を睨み付けている。せっかく、フォローしたのに何しているんだと、瞳が暗に語っていた。
でも、一回くらい付き合わないと、篠塚さんしつこそうだし……これは仕方なくないかな。
「じゃ、今からスタートね。シィちゃんもいいよね?」
「しかたありません。すこしだけミズナねえのわがままにつきあってあげます。でも、すこしだけですからね」
「うん、わかってるよ」
「では、ママ、シイナはぺんぎんさんがみたいです」
シィちゃんはコホンと一度咳払いをすると、早速演技モードに入る。
篠塚さんのことをママと呼び、壁に貼り付けてあるマップに描かれたペンギンを指さした。
途端、篠塚さんの頬に朱が差し込む。シィちゃんに『ママ』と呼ばれたことが琴線を刺激したらしい。
「ど、どうしよ……わたし、母性が出てきたかも」
「出るの早くない!? まだ、序盤も序盤だぞ」
「あ、えっと、パパ、そろそろ二人目も考えていいんじゃないかな?」
「ぶっ飛びすぎだろ。会話の脈絡から何から何まで」
篠塚さんは、シィちゃんへと視線を向けると、腰を落として訊ねる。
「シィちゃんは、弟と妹どっちが欲しい?」
「いりません。あねやあにならほしいですが」
「え、なんで?」
「シイナは、すえっこというさいきょうぽじしょんでいたいのです。このぽじしょんをとられたくはありません」
「そっか。じゃあ、もう過去に戻るしか……」
なんか盛大な話になってきたな……。
俺がこの状況に、呆れを覚え始めていると、篠塚さんが再び俺に目を向けてくる。
「さてと、冗談はこのくらいにして」
「冗談にしては迫真だったな……」
「湊……パパも、このくらい振り切ってやろうね」
「振り切るねぇ……まぁ、適当に頑張ってみるよママ」
と、嘆息混じりにそう発した次の瞬間だった。
バタン、と床にバッグが叩き付けられる音がした。
反射的に振り返る。と、そこには、呆然と立ち尽くす男性がいた。
「──どういうことだ、湊人くん」
渋く、深みのある低い声が俺の脳髄を刺激する。
俺は、一秒と経たないうちに、全身から隈なく汗を放出した。
「あ、いやこれは……その」
だって、そこに居たのは。
桜宮先生のお父さん──
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