席替え戦争③
「これから、席替えをしたいと思います」
十一月二日。月曜日。
気温も徐々に下がり始め、冬の訪れを感じ始める今日この頃。席替えを行った先週の月曜日から、早くも一週間が経過していた。
六限目の『総合』の時間。
教卓の前に立つ桜宮先生は、満面の笑みを咲かせると、明るい声色で席替えを提案する。
先週したばかりなのに、今週も席替えを行うという暴挙に、クラスメイトはいい顔を示さない。席替え反対の色で統一されていた。
けれど、次の桜宮先生の一言で、クラスに蔓延る不平不満は鳴りを潜めることになる。
「はいはい、みんな静かに。私だって意地悪で言ってるわけじゃないんだよ。でもこの前の席替え、結局みんなくじを交換したりしてたでしょ? 仲良しで集まるのもいいけど、それで授業に集中出来てなかったら本末転倒です」
チラッと、桜宮先生が俺に目を向けてくる。
どことなく俺に対して言っている気がして、肩をすくませる。じんわりと汗を滲ませる中、桜宮先生は両手を合わせた。
「なので、もう一回席替えをします。今度は、くじ交換したらダメだよ? 引いたら、すぐに黒板に名前書いてもらうからね。わかった?」
『はーい』
覇気の抜けた声で返事をするクラスメイト一同。
実際、前回の席替えは、裏でくじの交換が頻繁に行われたため、自由席に等しかった。
俯瞰で席配置を見れば、仲のいい人同士で固まっているのが分かる。席替え以降、全体的に授業に集中出来ていないのは事実だったし、席替えのやり直しという判断は妥当だった。
桜宮先生の、私情が含まれているのは、否めないけれど。
席替えを話題に、教室内がにわかに騒がしくなり始める中。
「………………ぅざ」
聞いたこともない冷え切った声が、俺の耳元を掠めた。
蚊の鳴くような声だったから、なんと言ったかまでは聞き取れない。
だが、篠塚さんの表情は暗く沈んでいる。目からハイライトが消えていた。
いつでも明るい篠塚さんらしからぬ姿に意表を突かれると、俺は恐る恐る彼女に声をかけた。
「どうかした? 大丈夫?」
「え? ううん、どうもしてないよ? ちょっと考えごとしてただけ……にしても残念だな。せっかく湊人と隣の席になれたのに、もう離れ離れになることになるとは……にゃはは、ついてないね」
篠塚さんは、愛想良く笑みをこぼすと、困ったように首筋を指で掻く。
俺から視線を外して、口元に右手をやると、
「さてと……どうしよっかな……」
小さく呟きながら、思案を始めた。
今の彼女が何を考えているのかは、想像に難くない。どうやって俺と席になるのかを考えているのだろう。
「じゃ、早速くじを引いていこっか。今日は十一月二日だから……足して出席番号十三番の人から、引いてこっか。十三番は……篠塚さんだね」
桜宮先生は、一度名簿表に視線を落とすと、篠塚さんの名前を呼ぶ。
篠塚さんはピクリと肩を跳ねると、瞳に動揺を走らせた。
「え、わたしからですか?」
「うん。なにか支障あるかな?」
「いや、……別に、そういうわけじゃ、ないですけど」
「じゃ、くじ、引いてくれるかな」
篠塚さんは不満そうな表情を浮かべるも、「わかりました」と一言こぼすと、席を立ち教卓の前に向かった。
くじが
先にネタばらししておくと、今回行われる席替えでは、不正が行われている。
というのも、俺と篠塚さんは絶対に隣同士の席にはならないようになっているのだ。
どうして、それが断言できるのか、早速種明かししよう。
俺の手元に、7番(窓際最後尾の席)と35番(廊下側一番前の席)のくじがあるからだ。ウチのクラスは40人いるにも関わらず、用意されたくじは38枚。
篠塚さんが、引いた番号からより遠い方を俺が引いたことにして、残りの一枚を箱の中に戻す。それだけで、篠塚さんとは離れた席になる。
俺の出席番号は14番。要するに、篠塚さんの次だ。
不正の証拠をすぐに隠蔽できる完璧な作戦だった。
ちなみに、この作戦を立案したのは、桜宮先生だ。俺を婚約者役にして、結婚までの猶予を稼ぐ作戦を思いついたり、桜宮先生は結構柔軟な思考を持っている。
桜宮先生の頬がどことなく緩む中、入念にくじを漁る篠塚さん。
長いこと選び抜いた先に、彼女は箱から手を出す──が。
篠塚さんの手にはくじが握られていなかった。取り損ねたのかと思ったが、再び箱に手を突っ込む気配はない。
怪訝そうに箱を見つめると、疑念を孕んだ声を上げた。
「これくじ足りなくないですか?」
『‥‥‥ッ』
俺と桜宮先生が、ほぼ同時に息を呑んだ。
今回の不正を唯一見抜くチャンスがあった篠塚さんだが、まさかそれに気がつくとは思わなかった。
桜宮先生の表情がみるみる内に硬くなっていく。目に動揺の色を見せていた。
「え? そ、そんなことないよ?」
「絶対少ないです。多分二枚足りてないと思います」
「……そ、そんなはずないんだけどなぁ」
「確認していいですか?」
「え、えっと……」
「いいですよね。桜宮先生♪」
「はい……」
うわ、瞬殺されちゃったよ桜宮先生……。
もう少し言葉巧みにやり過ごす方法あったろうに、篠塚さんの眼圧に押し負けていた。
篠塚さんは、箱の中身を教卓の上に出すと、集計を始める。慣れた手つきで、10秒と経たずに数え終えると、困ったように苦笑した。
「あ、やっぱり38枚しかないですよ。ほらちゃんと見てください桜宮先生」
「お、おかしいね……どこかに落としちゃったのかな……」
だくだくと分かりやすいまでに汗を浮かべる桜宮先生。
もう少し上手に嘘を付けないものかとヤキモキしていると、篠塚さんが桜宮先生に顔を近づける。
口元に人差し指を置いて、コソコソと何か囁いていた。
「──ダメですよ。やるならもっと、
だが、この距離からだと、何を言っているのか聞こえない。いや、前の席だとしても聞こえないくらいの、ボリュームだった。
桜宮先生は、目を見開くと、そーっと視線を横に逸らして。
「……っ、な、なんのこと、かなっ?」
「なんでもないです。さっ、くじ、作り直しましょう。わたしも手伝うので」
「あ、ありがと……助かる」
篠塚さんは、ニコッといつも通りの明るい笑顔に戻すと、パンと両手を合わせて仕切り直した。一体、何を言われたのだろう。
何はともあれ、篠塚さんがくじが足りないことに気がついたため、改めてくじを作り直すことになった。俺のポケットの中に隠された7番と35番のくじは、出番がなくなったらしい。
不正なしに、改めて席替えを行うことになる。
「出席番号順だとくじ引くの時間掛かりそうなので、列ごとに引く感じでいいですよね?」
「あ、はい。大丈夫です」
くじの数が少ないことを指摘されてからというもの、桜宮先生は篠塚さんに頭が上がらない状態になっていた。
窓側から列ごとにくじを引くことになる。まぁ、出席番号順だと、何番の人が引いたのか、途中でわからなくなったりするからな。列ごとの方が効率がいいのは間違いない。
俺の番が回ってきて、くじを引く。教卓の前に座る桜宮先生の表情は試合に負けたボクサーみたいだった。がっくしと頭を下げて、意気消沈している。
幸いにも、教室内はほどほどに騒がしい。小声なら、桜宮先生に話しかけても問題なさそうだ。
「だ、大丈夫ですか? 桜宮先生」
「所詮私の浅知恵なんて……こんなもんだよね……ハハ」
「あ、あんま落ち込まないでください。不審がられますから」
「そ、そう言われても……」
「大体、確率的に考えてください。普通にくじ引きやっても俺と篠塚さんが隣になる可能性、低いですから。ほぼあり得ません」
「……ほんと?」
「はい。だから安心してください」
俺は柔和な笑みを浮かべると、くじを引く。
四つ折りにされた紙を確認する。……7番だった。
窓際の最後尾。俺が今座っている席だ。純粋に神引きしていた。
俺は口角を緩めると、黒板に書かれた7番の席のところに俺の名前を書く。
軽やかな足取りで席に戻ると、篠塚さんが俺と目を合わせてきた。
「おかえり湊人。また同じ席なんだ。運いいね」
「ああ、ラッキーだった」
程なくして、篠塚さんの順番が近づき、彼女は席を立ち上がる。
「よかった。14番は残ってるみたい」
14番……俺の隣の席だ。今、篠塚さんが座っている席でもある。
ただ、まだくじは大量に残っている段階。14番を意図的に引くのは難しい。
だが、篠塚さんは一度俺に振り返ると、微笑み交じりに告げてきた。
「わたし、14番引いてくるね」
「いや、引きたくて引けるもんじゃないでしょ」
「本当にそうかな。引きたいものを自由に引ける新作マジック、湊人に見せてあげる」
「え? そんなことできるわけ──」
俺が懐疑的な目を向ける中、篠塚さんは教卓の前でくじを引く。
その様子を観察してみるが、不正をしている様子はなかった。
しかし彼女はくじを一つ取ると、14番の所に名前を書き始める。
……え、マジか……ほんとに引きやがった……。
唖然とその光景を見つめる中、桜宮先生が俺に視線を送っていることに気がついた。
パクパクと俺に向かって何か訴えている。あの口の動きは『う・そ・つ・き』か?
確かに、篠塚さんと隣になる可能性はほぼあり得ないって断言しちゃったけど……。
だが、席替えでまた同じ席で、隣の席の人も同じって、相当な確率の網を潜らないといけない。
まさか、こんな奇跡が起こるとは思わなかった。
あとで、どうやって桜宮先生の機嫌を取り戻そうか……それを必死に考える俺だった。
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作中で明かすタイミングがなさそうなので一応補足を。
篠塚さんは、くじを作り直している最中に、くじ自体に細工を施しています。
なので、直接目で確認せずとも手の感触だけで、くじの番号が分かってました。
人間業じゃないですね(・ω・)ノ
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