席替え戦争②

「瀬川くん。どうして私が呼び出しているのか、わかってるかな」


「ま、まぁ……なんとなく……」


 現在、火曜日の放課後。俺は今、生徒指導室にいた。

 向かいの席には、両肘をテーブルについて、顎を両手で支えるポーズを取った桜宮先生がいる。薄く開かれた目で、俺を睨みつけていた。


 校内で不用意に集まるのはやめよう、と共通認識を確立したにも関わらず、こうして集まったのは、桜宮先生から『放課後、いつもの場所で待ってるね』と、絵文字の一つもないメッセージが飛んできたからだった。

 絶対怒ってるよな……桜宮先生……。


「じゃ、私が呼び出した理由言ってみて」


「篠塚さんとのことですよね……」


「もっと具体的に」


「いや、あの……あれは止むに止まれぬ事情があったといいますか……」


「へぇ。ねぇ一体どんな事情があったら、私の授業中に隠れて、篠塚さんと絵しりとり、、、、、することになるのかな。ぜひ、教えてよ瀬川くん」


「……っ、そ、そのなんというか……断れない状況だったといいますか。さ、最初はやる気なかったですよ? でも、その篠塚さんすげぇ絵が上手くて、つい……」


「全然複雑な事情ないじゃん! 画力に魅了されただけ!」


 両手をテーブルに叩きつけると、前のめりになって激昂する桜宮先生。

 俺は椅子を引いてのけ反ると、距離を取った。


「お、落ち着いてください。授業中に関係ないことしてたのは、謝ります。すいませんでした。でも、ほんと何もないですから……」


「どうだか。隣の席、、、だもんね。やっぱ同い年の可愛い子の方がいいんだ」


 ツンケンした物言いで、桜宮先生は大げさに首を横に振る。

 不服そうに唇を前に尖らせると、ふんっと鼻を鳴らしていた。


 今、桜宮先生が言った通り、俺と篠塚さんは昨日の席替えを経て隣の席になっている。篠塚さんは、宣言通り俺の隣である14番のくじを手に入れたのだ。マジックは一切関係なく、ただの物理技だったけど……。


 14番のくじを持っている人を手当たり次第に探して、そのまま交渉するという、種も仕掛けも一切ない正面特攻だった。


 そんなわけで、俺は今、篠塚さんと隣の席になっている。

 そして、さっき話にあった通り、桜宮先生の授業中に「絵しりとりしよ」と誘われ応じた結果、現在に至る。


「ち、違いますよ。誤解です桜宮先生。俺は、篠塚さんと付き合う気はないです」


「とか言って、実は、裏で付き合ってたりするんじゃないの?」


「付き合ってませんって。俺のカノジョは桜宮先生だけです」


「そ、そうやって言えばいいと思ってるでしょ? 私だけ、っていえば、すぐに機嫌よくすると思って……」


「思ってません」


「ほんと? じゃあ、好きって言って」


「大好きです。先生」


「……ッ」


 俺が真剣に目を見つめて、囁くように好意を伝える。

 ぼわっと、湯気が出そうな勢いで赤面すると、桜宮先生は、突然ポケットの中を漁り始めた。


 財布を取りだすと、みんな大好き諭吉さんがチラッと顔をのぞかせる。


「は、はいこれ。今月のお小遣い!」


 諭吉が五人テーブルの上に置かれる。

 俺のもとへと、長方形のそれを滑らしてきた。


「え、えっと、急にどうしました桜宮先生? ついさっきまで、叱られてましたよね俺」


「ち、ちなみに、もう一回言ってくれたら、もう一枚足すよ」


「チョロすぎないですかね⁉ 金の価値が大暴落してますけど!」


「私、この歳になって、ようやく正しいお金の使い道が分かった気がする!」


「全力で間違ってますから! 一番ダメな使い方しようとしてますから!」


「あ、その、足りなくなったときは言ってね。私、いつでも支援するから」


「ヒモにしたいんですか俺のこと!」


「……瀬川くんが望むなら、私はそれでもかまわないよ。私、お金だけはあるから」


 桜宮先生は、俺と目を合わせると、微笑を湛える。

 マジかよ。この人、ヒモ製造機だったよ。


 貢ぎ体質なのは知っていたが、これほどまでとは……。

 金欠がデフォルトの俺としては、このお小遣いは死ぬほどほしいけれど、心を鬼にして返却する。


「ダメですよ先生。お金は大切にしてください。ほら、早くしまって」


「え、受け取ってよ」


「受け取りません」


「でも、貢がない私に価値ある……?」


「何を心配してるんですか。金目的で桜宮先生と付き合ってませんから」


「瀬川くん……っ」


 恍惚とした表情を浮かべ、涙を目に浮かばせる桜宮先生。


 俺は小さく笑みをこぼすと、スクールバッグを右手に持って、席を立った。


「じゃ、俺もう帰りますね。誰かに見られたらまずいですし」


 そのまま帰ろうと、踵を返した──その矢先だった。

 ガシッと力強く俺の左手首を掴まれる。


「待って待って。なに帰ろうとしてるのかな?」


「え、だって話は終わって──」


「ないよね。今はわき道に逸れてただけだよ。ほら、座って」


 言われるがまま、再び着席する俺。

 帰るチャンスだと思ったが、そう上手くはいかなかった。


「さてと、これからが本題。瀬川くんと篠塚さんが隣の席のこの状態、どうやったら解消できるか、一緒に考えよ」


「どうやってって……決まったものは変えられないですし……」


「だからそれを考えるんだよ。このままだと、私授業に集中できないし」


「そう言われてもな……」


「元はといえば、瀬川くんが悪いんだからね。授業中に篠塚さんとイチャついたりするから」


「イチャついてなんかないです。ただ、絵しりとりしてただけですから」


「十分イチャついてるでしょ。なんか青春って感じするもん」


「どこで青春感じてるんですか……」


 桜宮先生は仏頂面を浮かべると、ため息にも似た息をこぼす。

 と、その息に呼応するように、俺のスマホが突然震えだした。


 着信音が、生徒指導室の中を木霊する。


 ポケットからスマホを取り出し、液晶を見やる。『篠塚水菜』と表示されていた。


「誰から?」


「篠塚さんです」


「今、ここで出て」


「え、あ、はい分かりました」


 ここで出るよう指示される。俺はスマホを操作すると、通話に出た。


『あ、ごめんね突然』


 スマホ越しに飛んできたのは、当然ながら篠塚さんの声だった。


「どうかしたの?」


『明日、お弁当作ろうと思うんだけど、湊人みなとなにか希望ある?』


「……? どうして俺の希望を聞くの?」


『湊人の分も作るからだよ。今、ちょうどスーパーにいるから、希望があったらなんでも聞くよ。値の張るものは困るけど』


「いや大丈夫だよ俺は」


『ダメだよ。湊人、いつも菓子パンとかで済ませてるじゃん。一人用も二人用も大差ないし、気にしないで』


「でも、」


『取り敢えず唐揚げと生姜焼きでいいかな。湊人好きだよね?』


「ああ好物だけ……って、なんで知って──」


『あ、ごめん。ちょっとタイムセール始まったから切るね。なにか希望あったらメッセージで送って。またね』


「え、ちょ……あ……切れた」


 通話が切れる。

 スマホから顔を上げると、不機嫌さが前面に押し出された表情の桜宮先生がいた。


「へぇ……お弁当作ってもらうんだ……ふぅん。私には色々理由つけてたけど、結局そういう理由だったんだ……」


「ち、違いますよ! 誤解です! 俺だって、今聞かされて驚いてるところで……」


 慌てて弁解する俺だったが、しばらく桜宮先生は機嫌を直してくれなかった。

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