昼休みの一幕

「はい、あーんっ」


「いやちょっと待ってください桜宮先生」


「え、ハンバーグ嫌いだった?」


「好きですけど、そういうことじゃなくて……」


「ほら口開けて。あーん」


 瞬く間に休日は終わり、月曜日の昼休み。

 桜宮先生に、手伝ってほしい仕事があると呼び出された俺は、特に手伝いをすることもなく、生徒指導室に居た。


 生徒指導室のテーブルの上に弁当箱を展開して、俺と桜宮先生は隣り合わせで着席している。

 何か裏があるのではないかと疑いたくなるくらい満面の笑みを咲かせて、桜宮先生は俺の口元に一切れのハンバーグを運んでいた。


 生徒よりもこの先生を一度指導した方がいいと思う。


「ここ学校ですよ。なんか麻痺してませんか。教師と生徒が付き合うだけでも、本来アウトなんですから。墓穴を掘るような真似をしてどうするんですか」


 これまで散々、この生徒指導室を私的に使用してきたが、今は関係性が違う。


 これからは、より慎重に然るべきだ。

 バレたら、本当に厄介な問題になりかねない。


「……だって瀬川くん、遊園地で篠塚さんにあーんして食べさせてもらってたじゃん」


「だから、あれはなし崩し的にそうなっただけで……」


「だとしてもだよ。言わなかったかな。私、すごく嫉妬深いし、ヤキモチ焼きなの。私だって、瀬川くんに餌付けしたい!」


「餌付けって言わないでください」


「それにね、生徒指導室を使う人なんていないよ。絶対バレない、安心安全の秘密の砦だよ」


「どこから来るんですかその自信……。そういう油断が命取りになるんですよ」


 俺は呆れ眼で、小さくため息を吐く。

 確かに、この生徒指導室はほとんど使われていないらしい。

 それは、この一ヶ月半で、よく理解した。


 ただ、もし本当に使う人がいないのであれば、生徒指導室なんてものは無くなるはずだ。維持されている以上、急に誰かがやってくるかもしれないし、生徒指導室の近くを通り過ぎる人だっているだろう。


 こうして、昼休みに顔を合わせるのは、リスクが高い行為に他ならなかった。


「真面目だね瀬川くん」


「先生が不真面目すぎるんですよ」


「だ、だって、初彼氏だよ。それで浮かれない三十路いると思う?」


「まずその歳で恋愛経験皆無なことがレアかと」


「うっ!? 会心の一撃にも程がある! 私に対する思いやりが足り無くないかなっ」


 桜宮先生は俺の肩に手を伸ばすと、ギュッとブレザーを握り締めてくる。

 涙をひっそりと目に浮かばせて、恨めしそうに俺を見つめてきていた。‥‥‥この顔ずるくない? 虐めたくなるんだけど‥‥‥。


「落ち着いてください桜宮先生。制服の袖が伸びるじゃないですか」


「制服の心配より、私のメンタルの心配してよ!」


「はぁ。分かりました。じゃあ胸見せてくださいチェックしますから」


「普通にセクハラだ! メンタルと胸関係ないよね⁉︎」


「関係ありますよ。多分」


「根拠はないんだ⁉︎」


 俺は小さく吐息をこぼすと、桜宮先生と目を合わせる。


「まぁとにかく、話を元に戻しますけど、俺たちの関係はバレるとまずいヤツです。今後は、学校内で不用意な接触するのは控えましょう」


「どうしても、だめ?」


「上目遣いで甘えた声出せば許されると思ってます?」


「え、い、いやそんなこと……ないよ?」


 だくだくと汗を浮かべながら、そーっと視線を横に逸らす桜宮先生。

 俺が逃がさないよう、桜宮先生の目を見つめながら。


「……今日だけですからね。そもそも、俺が昼休みに教室に居ないこと自体が稀有ですし、余計な疑心は膨らませないようにしないと」


 俺が嘆息混じりにそう告げると、桜宮先生が頬をほころばせる。


「なんだかんだ甘いよね瀬川くん」


「別に、誰にでも甘いわけじゃないですよ」


「そうなんだ……私にだけ?」


「いえ、シィちゃんにはだいぶ甘いですね。ほとんど俺の金を吸い取られてますし。あと、まぁ楓にも甘いかな。お願いされれば大抵のことはやってあげてます」


「じゃ、じゃあそれって、私も親族並みの待遇を受けているという解釈でいいの?」


「解釈は任せます」


「そっか……へへ」


 桜宮先生は、仄かに頬を赤く染めると、俯き加減に呟く。

 アッと思い出したようにテーブルを見やると、箸でハンバーグを掴んだ。


「はい、食べて食べて。瀬川くんのために早起きして作ったんだから」


「あーん」と口元まで運ばれたハンバーグを、食べる。

 その光景を間近で見ていた桜宮先生は、ニコッと破顔して。


「美味しい?」


「はい。でも、教職で忙しいんですからあんま無理しないでください。身体を崩したらどうするんですか?」


「大丈夫だよ。こうみえて、私結構バイタリティーあるんだよ。高校までソフトボールやってたし」


「だとしてもです。先生ももう歳なんですから、もっと身体を労っていかないと」


「歳って……ま、まだアラサーだもん。わ、若手だし、まだ……」


 どうしよう。つい、余計なことを言った気がする。

 涙目になりながら、しょぼくれた様子の桜宮先生。見ているだけで、胸が苦しくなるモノがあった。


 桜宮先生は、もう中堅クラスだと思うのだけれど、野暮なことは言わないであげよう。と、見守っていると、桜宮先生が胡乱な眼差しを向けてきた。


「無言はひどくない? 何か言ってよ」


「え、えっと、そうですね。桜宮先生はまだ若手でした」


「そういうフォローは辛い」


「どうしろと?」


 桜宮先生に年齢の話題は避けよう。

 そう思う俺だった。

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