綾瀬楓

綾瀬楓あやせかえで


「おねえちゃん、おふとんはたべものじゃないですよ。ぺっ、してください。ぺっ!」


 現在、あたしは自室のベッドの上で、体育座りをしながら、布団をガジガジと噛んでいた。

 その光景を目撃した妹の椎名しいなことシィちゃんは、子供を躾けるかの如く注意をしてくる。


 あたしだって布団が食べ物じゃないことは分かっている。ただ、今はこうすることでしか、精神を保てそうになかったのだ。


「……嘲笑いなよ。由美ねえに塩を送ったあげく、先に告白されてみーくんを奪われたあたしをさ。やることなすこと全部裏目に出るあたしを嘲笑ってよ!」


「くくっ……あははっ、あははははは!」


「ねえ、なんでそんな笑うの? シィちゃんには人の心がないの? 笑わないでよ、実姉の失恋現場なんだからさ……うぅ」


「わらえといったり、わらうなといったり、おねえちゃんの"じょうちょ"、めんどーです」


 ジトーッと半開きの瞳で、あたしを睨み付けてくる妹。まぁ、五歳児だからね。そんな彼女に、気を遣えとお願いする方が間違っていたかもしれない。


 シィちゃんは腰に手を置き、小さくため息を吐くと、胡乱な目であたしを見てくる。


「そこまでおちこむくらいなら、どうしてユミねえとミナトにいをふたりきりにしたんですか? それこそ、『しおをおくる』ことなんじゃないですか?」


「ふんっ……あたしだってよく分かんないよ。ただ、」


「ただ?」


「あたしって脈なしなんだなって思ってさ」


「しつもんのこたえになってないです」


 シィちゃんが余計な指摘をしてきたけれど、特に気にすることなく続ける。


「覚えてる? みーくん、水菜ちゃんに由美ねえとの関係を疑われた時、『俺と桜宮先生は、親戚なんだ』って言い訳したんだよ。それってさ、『親戚=恋人はありえない』ってみーくんの中で結論付いているわけでしょ? だから、そのつまり、あたしは、さ……」


 そこまで口を開いたところで、途端、声がうまく出せなくなる。頭では分かっていても、声に出すのは躊躇いが生じた。


 もし、みーくんの中で親戚との恋愛もアリだと考えていたのなら、あの場であんな言い訳を作ったりはしない。みーくんの中で、親戚は恋愛対象にならないと思っているから、出てきた言い訳だ。


 それはつまり、親戚──従姉妹であるあたしは、恋愛対象にはならないということに、他ならなかった。


 困ったように笑うあたしを見て、シィちゃんは特に言葉を返すことはしなかった。

 無言のままベッドの上に登ってくると、あたしの元へとやってくる。


 そのまま、飛び込むように抱きついてきた。


「……え、ちょ、いきなりどうしたの?」


「シイナが、なぐさめてあげます」


「や、やめてよ……あはっ、そういうの……」


「おねえちゃんは、いいこですね」


「……っ。ほんと……ずるいなぁ」


 あれ、おかしいな。

 視界がぼやけてきたや。


「ミナトにいに、おねえちゃんはもったいないです」


「や、やめてよ……。普段生意気なんだから、急に、そんな……いつも通りでいてよ」


「シイナはいつもどーりですよ」


「……どこがいつも通りなの。もう、ほんとやだ」


 あたしはシィちゃんに抱き返すと、しばらく無言の時間を過ごした。



 ★



 翌朝になった。

 由美ねえは、昨日のうちに帰ったみたいだ。玄関に靴はなかった。


 あたしの言いつけ通り、正座を続けるよう指示したはずなんだけどな。

 まぁ、朝になってもまだ正座していたら、狂気の沙汰だけれど。


 あたしがリビングに入ると、すぐに見えるキッチンに従兄弟の姿があった。


 お母さんは昨日今日と泊まり掛けで、会社にいる。だから、みーくんが朝食の準備をしてくれているみたいだ。


 まぁ、我が家の炊事は、大体みーくんがやっているから、いつも通りといえばいつも通りだった。


 それにしても、やっぱみーくんってズルい。

 家事炊事万能とか、それだけでポイントが高いし。イケメンすぎない整った容姿に、スラッと細身の身体。あれで、運動神経も良かったりする。


 意外と気が回るし、機転が効くし、学力も高い。欠点は優柔不断なところくらい、かな。


 あたしの場合、『好き』のフィルターが入っているから、みーくんの欠点を洗い出す能力が欠如している。ほんとダメだあたし。


 もう諦めが付いたはずなのに、まだ未練がましい。


「おはよ。楓」


 あたしに気づいたみーくんが、卵焼きをひっくり返しながら、声を掛けてくれた。


「お、おはよ……。あたし、あのまま反省しているよう言ったはずなんだけどなっ」


 目を薄く開いて、睨みつけるあたし。

 すると、みーくんはあからさまに動揺した様子で、じんわりと汗を流し始める。


「さ、さすがに正座キープはキツイって。俺、すぐ足痺れちゃうし……」


「ふーん。根性ないねみーくん」


「うっ……」


 みーくんは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。と、今度はあたしの顔色を窺いながら、恐る恐る切り出してきた。


「あ、そうだ。その、俺と桜宮先生とのことは……くれぐれも内密にお願いできるか?」


「えー、どうしよっかな。この件、教育委員会に告げ口すれば、そこそこ大ごとになると思うんだよね」


「そ、それを控えて頂きたく……」


「……わかってるよ。せっかくモテないみーくんに、カノジョが出来たんだしね。それを従姉妹のあたしが、壊したりしない。これでもあたし、結構良い女だからね」


「ありがと楓。助かるよ」


「むっ、ちょっとはツッコんでよ! これじゃあたし自分で良い女とか言う痛い子みたいじゃん!」


「え、ツッコミどころだったの? 別に間違ってないと思うけど」


「……っ」


 あたしは、自然と頬を赤らめると、みーくんに見られないようにするべく、顔をそっぽに背けた。

 ほんと、このすけこまし、早く誰かに刺されないかな……。しれっと、こういう事言うからズルい。


「あ、そうだ。手空いてるなら味噌汁の味見てくれない? ちょっと薄いかなって思うんだけど」


「……」


「楓?」


「あ、うん。しょうがないから、みてあげる。しょうがなくなんだからね!」


「なんだよそれ」


 あたしはみーくんに言われるがまま、キッチンへと足を運ぶ。苦笑いする彼の隣に立って、味噌汁の鍋に入ったお玉で、少しだけ汁をすくう。


 せっせと卵焼きを作るみーくんの隣で、味噌汁の味見を行った。

 みーくんは、チラリとあたしに視線を配ると、感想を訊いてくる。


「どう? やっぱもうちょい味噌足したほうがいいかな?」


「……しょっぱい」


「え? 嘘。しょっぱいか?」


 みーくんは僅かに目を見開くと、あたしからお玉を奪い取る。

 少し味噌汁を掬って、ズズッと口の中に含んだ。


 一応、あたしと間接キスだけれど、それを気にする様子はみーくんにはなかった。


 あたしは、毎回ドギマギしてるってのにな……。


 みーくんは舌の上で、味噌汁を何度も転がすと、難しい顔をして首を横に傾げた。


「いややっぱちょっと薄くないか? 少なくとも、しょっぱくはないと思うんだけど」


「ううん、しょっぱいよ。みーくん、味覚おかしいんじゃないの? でもまぁ、今日はこのくらいのがちょうど良いと思う」


「ならいいけど。あ、そろそろ出来上がるから皿並べといてくれ」


「はーい」


 あたしは間の抜けた返事をして、食器棚からお皿を取り出す。いつもと差して変化のない朝の風景。


 こんな日常が毎日続いたらいいんだけど……。ひっそりとそう思う、あたしだった。

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