目が笑ってない篠塚さん

「まさか、桜宮先生と付き合ってたりしないよね?」


 ニコッと笑みを浮かべつつも、ハイライトの消えた暗い瞳で、俺を見つめる篠塚さん。突然、耳元に息を吹きかけられた時のような、鳥肌が立つ感覚。


 俺はじんわりと汗をシャツに滲ませながら、血の気が引いていた。


 どうするのが正解なんだ?


 この際、正直に話すか?

 それが一番誠実だし、余計な疑念を残さずに済む。


 いや……。

 だが、それをするリスクが大きすぎる。


 学校の先生、しかも担任と付き合い始めたなんて話、絶対に漏洩しない方が良い。

 なにより、それがバレて困るのは桜宮先生だ。今後の教師生命に大きな打撃を与える結果になりかねない。だから、ここで正直に話す選択を取るのは難しかった。


 今の篠塚さん、ちょっと怖いし……。


「ありえないですよ。ミナトにいはとししたがすきな”ろりこん”さんです。ユミねえはすとらいくぞーんからはずれています」


 俺が回答に困っていると、シィちゃんから救いの手が伸ばされた。


 ちょいちょい毒を吐くけれど、頼りになる幼女である。俺がシィちゃんの発言に安堵を覚える中、篠塚さんは顎に人差し指をやる。


「へぇそうなんだ。ところで、どうして桜宮先生の下の名前知ってるの? シィちゃん」


「……っ。え……えっとそれは……たすけてくださいおねえちゃんっ」


「え? ここであたしに振る!?」


 おっと、シィちゃんが墓穴を掘っていた。


 俺を擁護するための一声が、結果的に俺を追い詰めることにつながる。

 普通に考えたら、シィちゃんが桜宮先生を認知しているのはおかしい。篠塚さんの指摘は、もっともだ。


 ここで俺に助けを求めてくれれば、釈明の余地があったが、シィちゃんが頼ったのは楓だった。楓は、動揺をあらわにしながら、「えっと……由美ねえとは、その……」と困ったように笑う。


「あれ、楓ちゃんも桜宮先生のこと知ってるんだ? それならさっき、、、教えてくれればよかったのに。なんで隠してたのかなっ?」


「あ、いやあはは……みーくん、助けて」


 楓の顔が斜めにひきつる。作った笑い声を上げて、俺に視線を向けてきた。完全に悪い方向に話が転がっている。


 俺は一呼吸を置くと、一度思考をリセットした。

 クリアになったところで、篠塚さんに目を合わせて切り出した。


「誤解与えちゃってるみたいだけど、桜宮先生と俺は付き合ってなんかいないよ」


「でもじゃあ、なんでさっき手を繋いでたの?」


「──実は、俺と桜宮先生は、親戚なんだ」


『え?』


 この場にいる俺以外の声が重なる。

 唖然とする四人をよそに、俺は続けた。


「偶然、さっきそこで桜宮先生とばったり会ってさ。その流れで、お化け屋敷に入ったんだ。けど、桜宮先生すごいビビりで、それでなし崩し的に手をつないでた。だから、付き合ってるとかではないよ」


「そう、なの?」


 俺の釈明に篠塚さんが目をぱちぱちさせる。俺と桜宮先生を交互に見つめた。

 言うまでもないことだが、そんな事実は存在しない。真っ赤な嘘である。


 俺と桜宮先生に、親戚の繋がりはない。


 だが、嘘も方便だ。多少無理がある設定だが、この嘘を突き通すしかこの状況を打破する方法は思いつかなかった。

 婚約者のフリしている件を話すことも考えたが、それを話したところで手を繋いでいた理由に繋げるのは難しい。いっそ、親戚設定にすることで、恋人の可能性を根本から断ち切っていく。


「そ、そうだよ。私と瀬川くんは親戚なの。みんなには内緒にしてるんだけど」


 俺の目論見を理解したのか、桜宮先生が援護射撃をしてくれる。

 楓がぽかんと口を開けたまま、なにか言いたそうにしていた。が、シィちゃんが必死に口止めしてくれていた。


 ここで楓が口を挟むと、ややこしくなりそうだからな。物分かりがいい幼女である。


 ホントに五歳なのかな。最近真面目に疑い始めている俺がいる。


「そう……だったんだ。でも、だったら、なんで湊人、桜宮先生のおでこにキスしてたの?」


『ブフゥ!?』


 俺と桜宮先生が同時に吹き出す。

 ごほごほ咳き込んで、頬に朱を差し込んだ。


 とんでもない場面を見られていたらしい。


「え、そんなことしてたのみーくん……」

「しー! しーです、おねえちゃん。いまはしずかにしていましょう」


 シィちゃんが口元に人差し指を置いて、楓に静かにするよう促す。

 ここで楓が会話に入ってくると、話がしっちゃかめっちゃかになりそうだからな。空気が読める幼女である。


「な、何のこと言ってるのか分からないけど、俺はそんなことしてないよ」


「嘘だよ。わたし見たもん」


「あ、そういえば、桜宮先生の前髪についたゴミを取った気がする。それをキスしてると誤解したんじゃないか?」


「え、そんなはずは……」


 篠塚さんの声がだんだん尻すぼみになっていく。

 実際、篠塚さんの記憶は正しい。けれど、俺の弁解を受けて、それに確証を持てなくなっている様子だった。万事休すか。


「桜宮先生。ホントに湊人とは何もないんですか?」


「な、ないよ。瀬川くんも言ってたけど、ただの親戚。色々誤解を生むことしちゃってごめんね?」


「そうですか。じゃあ、なんで湊人は文化祭で桜宮先生に告白したの?」


「え? そ、それは……」


 この追撃が来るとは想定していなかった。

 あのときは、ああするしか他に方法が思いつかなかった。


 俺がどう答えるべきか逡巡していると、これまで空気を読んでいたシィちゃんの目の色が変わる。


「シイナのしらないところで、そんなおもしろそうなはなしが……!」

「まさかあたしが帰った後……っく、由美ねえ、油断ならないなホント」


 口々に何か言っているが、会話に参入してくるほどのボリュームではなかった。完全に外野ポジションにいるので、あの従姉妹たちは一旦放っておこう。


「あ、あれは、瀬川くんが私に助け船を出してくれただけだよ。結果的に丸く収まってたでしょ?」


 桜宮先生が俺に代わって回答する。


「ふーん。そうなんですね……」


 しかし、桜宮先生の回答に満足がいかなかったのか、篠塚さんは声のトーンを一段階下げていた。笑顔こそ浮かべているが、さっきからずっと目が笑っていないのが気にかかる。


 篠塚さんは、俺の近くに寄ると、左手を握ってくる。


「疑っちゃってごめんね湊人。怒ってる?」


「いや怒ってない。疑いが晴れてよかった」


「そっか。じゃ、今度はわたしとお化け屋敷行こうよ。いいでしょ?」


「え、あ、あぁ……」


 俺の身体に密着して、指を絡ませてくる。

 その様子を近くで見ていた桜宮先生は、一瞬複雑そうな顔を浮かべるも、すぐに愛想の良い笑みを浮かべて。


「そっか、楽しんできてね。私はもう帰るけど、あんまり遅くなったらダメだよ」


「はーい。さようなら桜宮先生っ」


 ひらひらと桜宮先生に手を振る篠塚さん。どうにか篠塚さんから距離を置こうにも、そう簡単に離れられない。篠塚さん、結構力あるな……。


「し、シイナたちもかえりますっ」


「え、何勝手に決めてるの? あたしはまだ……」


「シイナのかんがいっています。かえるがきちと」


「帰るが吉? って、ちょ引っ張らないでよ。ここで帰るのが一番ダメでしょ」


「シイナのかんをしんじてください。さんわりくらいあたります」


「打率微妙すぎない? ってああもうわかったから、引っ張るのやめて! 帰る、帰るから! ……はぁ、なんかシィちゃんうるさいから、あたし達も帰るね。じゃあねみーくん、水菜ちゃん」


 楓がシィちゃんに引っ張られるがまま、この場を後にしていく。


「あ、おお……じゃあな」


「またね。楓ちゃん。シィちゃんもばいばい」


 篠塚さんが笑顔で手を振る。今度はいつもと同じ笑顔だ。

 さっきまでの、目が笑っていないあの感じは、なんだったんだ。気のせいならいいのだけど……。


 何はともあれ、結果的に俺と篠塚さんの二人きりになった。

 篠塚さんは、俺の手をぎゅっと握り直すと、微笑みながら切り出す。


「じゃ、お化け屋敷行こっか。わたし、怖いの苦手だから、湊人のこと頼りにしてるね?」


「それなら行かない方がよくな──」


「れっつごー」


「あ、ちょっと」


 篠塚さんが、俺の手を引いてお化け屋敷へと進んでいく。ホントに怖いもの苦手なのか? 苦手だったら、こんなノリノリで行けないと思うけど……。


 受付に到着すると、従業員が、俺のことを奇異なものを見る目で見つめてくる。


 このスパンでお化け屋敷を周回している事に対するものか、別の異性と手をつないでいる事に対するものかはわからないが、とにかく視線が痛かった。


 穏便に事が済めば良いが……そう思う俺だった。

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