桜宮先生、今日は泊まっていってください④
突然だが、現在、俺の頭は真っ白になっていた。
疑問ばかりが浮かんできて、それを払拭できる材料がない。
鼻腔をくすぐる柑橘系の良い香りや柔肌の感触を直に感じつつ、俺は体温を一段階上昇させる。
火照った体を鎮めつつ、俺は一度瞑目した。
どうして、桜宮先生が俺のベッドの中にいるんだ?
思い出せ‥‥‥思い出せ俺。
確か、シィちゃんにせがまれて絵本を読み聞かせていた。そしたら俺まで眠くなったから、少し早いが寝ることにしたんだ。
寝る場所を間違えたわけがない。
自分の部屋で寝た。それは間違いない。保証する。
でも、なんで桜宮先生が俺のベッドにいるのか、それが分からなかった。
雨が屋根や地面を叩く音を窓越しに聞きながら、俺は仮説を立てる。
考えられるパターンとしては、桜宮先生が部屋を間違えたってところだろう。トイレなどで夜中に起きて、間違えて俺の部屋に来た。それなら、納得はいく。
桜宮先生は楓と一緒に寝ていたから、俺を楓と間違えたと仮定すれば辻褄は合う。少し無理がある気はするけど。
俺は全身を熱くしながら、桜宮先生の肩を優しく叩く。
「桜宮先生‥‥‥桜宮先生‥‥‥っ」
起きるよう声を掛けてみるが、桜宮先生の反応はない。スヤスヤと心地良さそうに寝息を立てている。‥‥‥それどころか、俺を抱き枕と勘違いしたのか、抱きついてきた。
「‥‥‥っ、ちょ、ちょっと」
動揺をあらわにしながら、俺は背筋を伸ばす。
逃げ道を探すが、どうしようもなかった。
ベッドから起き上がるには、桜宮先生を押しのけるしかない。
「桜宮先生。起きてください桜宮先生っ」
耳元で囁くが、何度呼んでも桜宮先生に起きる気配はなかった。ど、どうしよう‥‥‥。
てか、もし起きたところで、この状況で顔を合わせるのは気まずすぎるよな‥‥‥。
暗い部屋の中、天井を見上げながら、俺は頭を悩ませた。
結局、桜宮先生を起こすのは諦めることにした。
今は大体何時くらいだろう。外は暗いから、夜中の二時か三時ってところか?
普段なら二度寝に洒落込むところだけれど、桜宮先生と添い寝状態のこれでは寝れそうにない。
だが、今はなんとしても二度寝するべきだ。俺が寝ている間に桜宮先生が目を覚まして、元の部屋に戻ってくれれば丸く収まる。
俺は脳内で羊を数えながら、雑念を振り払っていく。‥‥‥と、意外にもこれが効くのか、二十分ほどして、俺は再び夢の世界へと旅立っていた。
「‥‥‥せ、瀬川くんっ。瀬川くんっ!」
焦燥を孕んだ甘い声が、俺の脳を刺激する。
ゆさゆさと体を揺らされ、俺の意識は現実へと帰還した。
重たいまぶたを半分ほど開くと、ぼやけた視界に焦茶色の髪を発見する。小さくまとまった綺麗な顔を目の前にして、俺はハッと目を見開いた。
「さ、桜宮先生‥‥‥」
「あ、やっと起きた」
桜宮先生は安堵の息を漏らす。赤くなった顔で、照れ臭そうに笑いながら。
「あ、あの離してもらっていいかな」
「え? あ、す、すみません!」
俺は慌てて桜宮先生から手を離す。
どうやら、俺は寝ている間に桜宮先生に抱きついていたらしい。それで、桜宮先生が出られなくなっていたようだ。さっきの逆だな。
桜宮先生は赤くなった顔を、小さく横に振る。
「ううん‥‥‥謝るのは私の方だよ。夜中に間違えて瀬川くんの部屋に来ちゃったみたい」
「そうですか。‥‥‥えっと、あの起きないんですか?」
俺はもう桜宮先生から手を離している。なのに、桜宮先生はまだ俺のベッドから動いていなかった。
間近で見る桜宮先生は、彫像のように綺麗で、毛穴とかそういう概念がないようにすら感じる。
あまりこの状況が続くと、俺の身体が火照って熱を出しそうなので、早いところ退いて欲しいのだけど。
「いや、その、これは流石にマズイことしてるなという自覚が芽生えてきて‥‥‥腰が引けちゃってさ、身体がうまく動かない」
「ちょっと冗談キツイですよ?」
「だ、だって、教師が生徒と添い寝だよ? こんなの教育委員会が知ったら‥‥‥私は秘密裏に死刑──」
「なりませんよ。どんだけ恐ろしい機関ですか教育委員会。まぁ教育的に良くないのは間違いないですが、俺から訴えることはないので安心してください」
「ほんと? 後でお金たかってきたりしない? バラさない代わりに、毎月十万円振り込めとか」
「しませんよ。するわけないでしょう」
「いっそしてよ! その方が安心できるから! 私にお金をせびってよ瀬川くん!」
「そんなお願い聞いたことないんですけど‥‥‥。ともあれ、この事はお互い他言無用でいきましょう。バレて損にするのは俺も桜宮先生も一緒ですから」
「瀬川くん‥‥‥」
俺がハッキリと告げると、桜宮先生の瞳がわずかに潤む。
「なので早いところ退いてください。こんなところ誰かに見ら──」
「ん? どうしたの瀬川くん。急に青ざめた表情し──」
途端、俺は喉を詰まらせて、上がった体温を急激に下げていく。時が止まったような錯覚を覚える中、桜宮先生が俺の視線の向かう先と同じ方向を見やる。
口の端を緩めてニヤケ顔をした幼女を発見すると、桜宮先生は俺と同じく顔を青ざめていた。
──パシャ、パシャパシャ
俺と桜宮先生が硬直する中、フラッシュが焚かれる。その幼女──シィちゃんは、満足げにその写真を見ると、そのまま俺の部屋を後に──。
「うおおおおおおあおちょっと待ったあああああああああああ⁉︎」
「ま、待ってシィちゃん! 誤解、誤解だよ! 絶対誤解してるよ⁉︎」
俺と桜宮先生は、目にも止まらぬ速さでベッドから起き上がると、シィちゃんを引き止める。
階段を降りてリビングに向かおうとするシィちゃんを、そのまま部屋へと連れ込んだ。
「え、えっとシィちゃん、絶対誤解してる!」
「あんしんしてください。シイナは、だれにもはなしません」
「だから誤解してるって! 今のはなんというか不慮の事故みたいなやつなんだよ。てかそのスマホ、楓のだろ。今すぐ写真消してくれないかな!」
「シイナは、きんだんのこいをおうえんします」
「だから違う! 俺と桜宮先生は何もないから!」
「そ、そうだよ! ‥‥‥私が寝惚けて瀬川くんのベッドに潜り込んじゃったの。それで、出られなくなって朝になってただけで、恋愛関係にあるわけじゃないよ?」
「そんなはなしがしんじられるとでも?」
『うぐっ』
俺と桜宮先生が、同時に喉を鳴らす。
客観的に見ると、かなり信憑性の欠けた話だった。
信じろと言われて、はい信じますとなる内容ではない。
「あ、そ、そうだ。さっき撮った写真を消して、この件を黙ってくれたら、シィちゃんが欲しいものなんでも一つ買ってあげる。それでどうかな?」
「‥‥‥っ。ほんとですか、ユミねえ」
「うん。もちろんだよ」
「けします」
シィちゃんは小さい手でスマホを拙く操作しながら、俺と桜宮先生の添い寝を収めた写真を削除する。
それにホッと安堵する俺だったが、すぐに憂いを帯びた瞳で、桜宮先生に視線を送った。
「いいんですか? なんでも買ってあげるとか言って。高価なものせがまれるかもしれませんよ?」
「大丈夫だって。私、お金だけはあるの」
「ならいいですけど‥‥‥」
シィちゃんは嬉しそうに破顔すると、軽やかな足取りで俺の部屋を後にしていく。
全く、油断も隙もない幼女である。
「ところで一つ聞いてもいい?」
シィちゃんが部屋を出た後、桜宮先生が小首を傾げて切り出してきた。
「なんですか?」
「瀬川くん、寝言で私の名前呼んでたんだけど、どんな夢見てたの?」
「‥‥‥知らないです。呼んだ覚えもありません」
「え? 絶対呼んでたよ。私、ちゃんと聞いたし」
俺はサッと視線を逸らして、知らぬ存ぜぬを突き通す。言えるわけないだろあんな夢。
「とにかく知らないです。顔洗ってきますね」
「あ、うん」
俺は赤くなった顔をさりげなく手で隠すと、顔を洗いに洗面所へと向かった。
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