桜宮先生、今日は泊まっていってください②

「由美ねえ。ここ教えて‥‥‥」

「えとね、それは──」


 現在、時は流れて夕方。

 リビングにて、桜宮先生が楓に勉強を教えていた。


 桜宮先生は現国教師ではあるが、中学生の範囲ならお手の物らしく、教えている教科は数学やら英語やらと多岐にわたる。


 いきなり時が飛んで戸惑っているかもしれないが、まぁ、結果は言うまでもないだろう。


 普通に格付けするだけならば、楓を一位にすれば波風が立たずに済む。だが、楓を一位──正確には、桜宮先生より高い順位にした場合、俺は桜宮先生の婚約者役を降りることになる。


 俺としてはありがたい展開だが、やはり俺の性格上、一度引き受けた役を途中で放棄するのはしたくない。


 そんなわけで、無事桜宮先生に負けた楓が、勝者の言い分を聞き入れ、桜宮先生の呼び方を『由美ねえ』へと変更していた。


「シイナはがっかりです。もっとばちばちに"しゅらば"になるのをきたいしてました」


「どこでそんな言葉覚えてくるの? マジでさ」


 ソファにて、俺の膝の上に座っているシィちゃんが退屈そうに漏らす。

 あれから散々、桜宮先生に付き合わされ疲弊しているようだな。


「とはいえ、ユミねえとおねえちゃんはなかよくなったみたいですね」


「そうか? 宿題終わらせるのに桜宮先生を利用してるだけに見えるけど」


「ちっちっち」


 シィちゃんは人差し指を立てて、振り子のように左右に動かす。


「おねえちゃんは、ちょろいですから。もうユミねえになついてるころです。たぶんそろそろ、れんらくさきのこうかんをたのみはじめます」


 シィちゃんが、楓の行動を予想する。

 にわかには信じ難いが、一応、楓の様子を見てみるとしよう。


「あ、あのさ。連絡先、交換してよ。‥‥‥あ、べ、別にアレだから、今後も勉強で分からない所あったら、聞けた方が便利だし。みーくんのこと私情に巻き込んでるの黙ってる代わりに、そのくらいの報酬があってもいいんじゃないのかなってだけだし」


「え、うん、全然いいよっ。嬉しいな。勉強だけじゃなく、なんでも相談してよ」


「ふ、ふんっ──まぁ、気が向いたらね」


「ほら、どうですか」


 ドヤ顔で、シィちゃんが俺を見上げてくる。

 す、すげえ‥‥‥。ホントに連絡先交換した。この幼女、半端ねぇ。


 俺が唖然とする中、シィちゃんが続けて口を開く。


「けいごからためぐちにかわったあたりで、かくしんしてましたっ。やはり、おねえちゃんはちょろいです」


 桜宮先生、話しやすいし、明るくて好かれるタイプだしな。楓が懐くのも時間の問題だったか。


 元々、二人の仲を取り持つ目的はあったが、これはいい意味で裏切られた。



 かくして、平穏に終わるかと思ったのだが──。


 日が暮れて、そろそろ桜宮先生が帰る時間帯が近づいた時だった。そこで問題が起きたのだ。


「‥‥‥す、すげえ雨」


 突発的な大雨。外を歩こうものなら、雨で視界を遮られ、傘があっても全身びしょ濡れは免れない量の土砂降り。


 それだけなら問題はない。桜宮先生は車で来ているし、多少危険は増すがしっかりと注意すれば帰れないことはない。


 だが、


「あ、またひかりました」

『ぃひゃッ』


 大雨に加えて、雷まで落ちている。

 音にわずかに驚きはするが、俺とシィちゃんも極めて冷静だ。悲鳴を上げているのは、残りの二名。


 雷なんて、事前に光るから音が来ることに身構えられるし、家の中にいればそれ程怖がるものではない気がするが。


「ゆ、由美ねえ。また鳴った。また鳴ったよ!」

「だ、大丈夫。私が守っ──ヒャッ」


 桜宮先生と楓が二人寄り添いながら、ギュッと抱きしめ合っている。


 昨日までなら考えられないな。この構図は。


 ともあれ、問題なのは桜宮先生だ。

 先程から雷にビビりまくっており、完全に腰が引けている。この状態では、車を運転して帰るのは難しいだろう。


 この雷がいつまで続く分からないし‥‥‥。


 当然ながら、俺に車の免許はない。

 叔母さん──楓たちのお母さんなら免許はあるが、さっき『今日は同僚の家に泊まるねー』と軽い内容のメッセージが届いていた。


 まぁどのみち、叔母さんと桜宮先生を鉢合わせたくないので、好都合ではあるのだが‥‥‥。


「どうしたもんか‥‥‥」


「ユミねえをウチにとめるしかありませんね」


「いやそれは──‥‥‥あ、そうだ。タクシー呼ぶとか」


「おかねのむだです」


「けど、流石に泊めるのはマズイだろ」


 使っていない部屋はあるし、ウチに泊めること自体は問題なくできる。けれど、それは流石にマズくないか? 


「由美ねえ。今日一緒に寝よ。あたし一人じゃ無理!」

「で、でも、私もう帰らないと」

「この雷雨で帰れるの?」

「絶対無理!」


 楓と桜宮先生は、依然として抱き合っている。

 その光景を見たシィちゃんが、ニッと口角を上げた。


「おねえちゃんも、さんせーみたいですよ」


 俺は額に手を当てると、少しの間黙考する。


 どう考えても、桜宮先生は帰らせるべきだが‥‥‥タクシー使ってしまうと、あとで桜宮先生がウチまで自分の車を取りに戻る手間が発生する。


 それに、桜宮先生が居なくなれば、楓は俺に引っ付いてきそうだしな。


 雷が治る頃には、夜も遅くなってくるだろう。無理に帰らせても仕方ないか。


 俺は小さくため息を吐くと、桜宮先生の元へと向かう。


「桜宮先生、今日は泊まっていってください」


「え? でも‥‥‥」


「こんな状態じゃ、家に帰せませんし」


「いいの?」


「はい。楓の相手してやってください」


「ち、ちがっ、あたしが由美ねえの相手をしてあげ──ひぃぁッ」


 再び雷の音がなり、楓が桜宮先生の身体にぎゅっと抱きつく。


 雷が落ちると、楓は夜に眠れなくなる。

 毎度、俺の布団に潜り込んでくるのだ。


 年端もいかない子供なら問題ないが、楓はもう中学二年生。


 いくら従姉妹といえど、高校生と中学生が一緒に寝るのはマズイ。この際、桜宮先生を泊めて一緒に寝てもらった方がいいだろう。


「じゃあ、お言葉に甘えていいかな?」


「はい。そうしてください」


 俺はそっと微笑むと、四人分の夕食を作るために、キッチンへと向かったのだった。

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