花村先生

「えっと、私のことが好きな人って‥‥‥」


「はい。花村はなむら先生のことです」


 放課後。グラウンドにて。


 陸上部の顧問をしている男性教諭を、俺と桜宮先生は遠巻きから観察していた。


 担当教科は保健体育。

 歳は桜宮先生と同じか少し上、彫り顔でシュッとした男前だ。男子人気はともかく、女子からの人気は高い。


「でも、なんで瀬川くんがそんなこと知ってるのかな? 花村先生って、瀬川くんの親戚とかなの?」


「いや違いますよ。‥‥‥この学校の人間なら、みんな知ってるというかなんというか」


「え?」


「あぁまぁとにかく、どうですかね花村先生。桜宮先生の婚約者候補になりませんか?」


 早速本題に移る。


 桜宮先生は、うーんと唸ると、小さく首を横に傾げた。


「イケメンはちょっと‥‥‥。浮気とかされそうだし」


「いや、あれで結構一途だと思いますけど」


「なんでわかるの?」


「まぁ根拠はないですが」


 花村先生は、桜宮先生に気がある。

 どうしてそれが言えるのか、理由は単純明快だ。


 花村先生の態度があまりにも分かりやすいのだ。


 桜宮先生と話している時だけ、露骨にテンションが高いし、挙動不審だし。

 何かと理由をつけてウチのクラスにやっては、桜宮先生と接点を持つ機会を得ている。


 以前、クラスのお調子者が、「花村せんせーって、桜宮せんせーのこと好きなのー?」と聞いた時、顔を真っ赤にして狼狽していた事もある。花村先生が桜宮先生に片想いしているのは間違いない。


 他人の恋路に口出しするのは野暮だと分かっているが、事情が事情だ。


 俺は小さく、花村先生に向けて手を合わせる。


 お節介を焼くことを許してください。花村先生。


「‥‥‥ともかく、一回食事とか行ってみたらどうですか? 同じ教職に就くもの同士、積もる話もあったりするんじゃないですかね」


「食事かぁ。たしかに、花村先生にはよく食事に誘われるんだよね」


 なんだ、花村先生意外と行動してるじゃん。

 奥手で何もしてないのかと思ったけど。


「毎回理由つけて断ってるけど‥‥‥」


「うわ、可哀想に‥‥‥。せっかく勇気出してるんだから、ちゃんと行ってあげてくださいよ‥‥‥」


「え、うーん、花村先生はなぁ」


「そんなにイケメンが嫌なんですか?」


「というよりは、仕事とプライベートは分けたいって言うのかな。仕事場で顔合わせるのに、それ以外でも顔合わせるのって結構疲れるんだよ。わかるかな? この気持ち」


「‥‥‥まぁなんとなく分かりますけど」


 結局、仕事仲間である以上、プライベートの交流も仕事の延長みたいになるって事だろう。


 会話の内容も仕事絡みになるし、友人や家族と話すような気の置けない空気感とはどうしても異なる。


 休日や仕事終わりは、ゆっくりと心を休めたい人にしてみれば苦行以外のなにものでもない。


「とはいえ、文句言ってる場合でもないよね‥‥‥」


「まぁ無理にとは言いませんが、検討くらいは。それに、ちゃんと話してみたら意外と気が合うなんてこともあると思いますよ」


「それは一理あるかも」


「でしょう」


 花村先生の矢印が、桜宮先生に向いているのは間違いない。

 あとは、桜宮先生の矢印が向けば、万事解決だ。そこまで上手くいくかはわからないが。


「でもさ、ホントに花村先生って私のこと好きなの?」


「じゃあ試してみましょうか」


「試す? どうやって?」


「今から俺が、『桜宮先生が校舎裏で告白されてますよ』って伝えてきます。そしたら、花村先生はどうすると思いますか」


「どうもしないでしょ。教師が野次馬するわけないよ」


「普通はそうですよね。‥‥‥ただ花村先生、血相変えて速攻で来ますよ、絶対」


「いや、さすがに‥‥‥」


 それはない、と苦笑いする桜宮先生。


 普通、教師が顧問の仕事を抜け出して、告白現場に向かうわけがない。そう思うのは当然だ。しかし、俺には確信があった。


「じゃあ今から実際に言ってくるので、先生は第二校舎の裏あたりに行っててください」


「え? うん、わかった。それでホントに瀬川くんの言う通りきたら信じてあげる」


 俺はコクリと頷くと、花村先生のところへと向かった。


 陸上部が、50m走の記録を伸ばすべく、各々努力する中、ボードを片手に部員の様子を眺める花村先生。

 駆け足で近づくと、足音に気づいたのか首だけで振り返ってきた。


「‥‥‥ん? なんだ瀬川か。お前、やっぱり陸上部に入りたくなったのか?」


 そういや、前に陸上部に誘われたことあったな。普通に断ったけど。


「いや、すみませんそうじゃなくて。花村先生にお伝えしたいことが」


「なんだ?」


 くいくいと人差し指を振り、耳を貸すように指示する。


 不信感を抱えながらも、花村先生は膝を落として耳を貸してくる。


「今、第二校舎の裏のとこで、桜宮先生が告白されてます」


 ボソッと、簡潔にその内容を告げる。


 と、花村先生の肩が大きく上下した。


 カッと目を見開き不自然なまでに黒目を泳がせる。じんわりと汗を吹き出していた。


「そ、そそ、それがどうしたんだ。桜宮先生ならば、告白の一つや二つされそうなものだろう。わざわざ、俺に伝えるようなことじゃないな。部活の邪魔だ」


「そうですか。すみません、では俺これで」


「いや待て瀬川。ちなみに、どこの馬のほ──どこのどいつが告白してたかわかるか。生徒か? 教師か⁉︎」


 血相を変え、俺の両肩をがっしりと掴んでくる。


 自分からけしかけておいてアレだが、ちょっと怖い。


「そこまではわからないです。じゃあ俺は戻りますね」


「あ、おお。実に意味のない情報だったぞ瀬川。そんなことを伝えにくる暇があるなら、勉強してろ」


「はい、すいませーん」


「あ、やっぱりちょっと待て、第二校舎の裏って言ったよな?」


「はい」


「ああ、すまんな。もう行っていいぞ」


 しっしっと、手を振り俺をグラウンドから追い出そうとする。だが、花村先生の挙動はおかしく、貧乏ゆすりを始めていた。


 やがて、俺が校舎の中に姿を隠すと、それを待っていたと言わんばかりに花村先生は、部員に休憩を命じる。グラウンドを後にした。


 大の大人が全力ダッシュである。


 俺も気付かれないように、花村先生の後に続く。


 と、第二校舎の裏で足を止めた。当然そこには、桜宮先生がいる。


 俺は草陰に身を隠しながら、傍観者に徹した。


「さ、桜宮先生‥‥‥!」


「‥‥‥ほ、ホントにきた‥‥‥っ」


 ぜぇぜぇと息を切らし、焦燥感たっぷりの花村先生。

 対照的に、桜宮先生は驚きと戸惑いの混じった声を小さく漏らしていた。


 花村先生は、キョロキョロと周囲を見回す。が、桜宮先生以外に誰も居ないことを確認すると。


「あ、あれ‥‥‥桜宮先生一人ですか、告白されてたんじゃ‥‥‥」


「え、あー‥‥‥それはついさっき終わりました」


「そ、そうですか。それで、その‥‥‥返事はどうしたんですか⁉︎」


「断りましたよ」


 花村先生は安堵めいた表情を浮かべると、大きく息をつき全身の力を脱力させた。


 そのまま腰をつきそうな勢いだったが、持ち前の体幹でそれは堪える。


「花村先生はどうしてここに?」


「風の噂で桜宮先生が告白されているという話を聞いて気になったと言いますか。生徒と教師が恋愛沙汰になったら問題でしょう? 特に今は、なにかと煩い世の中ですし。それで心配になって見に来たといいますか」


「そうなんですね。心配してくれてありがとうございます。お優しいんですね」


「‥‥‥っ。そ、そんなことは──あ、その、部活があるので、私はこれで。ではでは」


「はい。暑いですから、熱中症とか気をつけてくださいね」


 桜宮先生がニコッと笑みを浮かべる。


 と、花村先生はみるみると顔を赤らめていく。


「は、はい! では、また」


 すぐに視線を逸らして踵を返すと、足早にグラウンドへと戻っていった。


 花村先生の姿が完全に見えなくなってから、俺は草陰から姿を現し、桜宮先生の元へと向かう。


「あ、瀬川くん」


「これで、納得してもらえましたか。花村先生が先生のことを好きだってこと」


「まぁ、うん、そうだね。正直に言っちゃうとまだ半信半疑って感じではあるけど」


 流石に、すぐに信じ切ることは難しいか。


 コイツ、俺のこと好きなんじゃ‥‥‥と思っても、そう簡単に確信は持てないものだ。だからこそ告白には勇気がいる。


「それで、花村先生を婚約者候補にするってのは──」


「瀬川くんはどう思う? 私と花村先生ってお似合いに見える?」


「え、あー‥‥‥」


 花村先生が一方的に桜宮先生に好意を持ってるから、婚約者候補に挙げてみたが。


 実際、桜宮先生と花村先生が付き合う、ひいては結婚する想像まではしていなかった。


 少し想像してみる。‥‥‥が、しっくりはこなかった。


「美男美女って感じで、絵にはなるんじゃないですかね」


「そっか。ま、せっかく瀬川くんがキッカケくれたんだし、今度ご飯くらいは誘ってみようかな。それで改めて決めるって感じで」


「はい、それがいいと思います」


 柔和な笑みを浮かべて、首を縦に振る。


 でももし、桜宮先生と花村先生がこのまま上手くいって、結婚なんてことになったら‥‥‥桜宮先生この学校から離れるかもしれないよな。


 自分からけしかけておいて何だが、それは少し寂しいなと、ひっそりと思う俺だった。

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