結婚の挨拶(仮)
車に揺られること、一時間弱。
到着したのは、ドラマでしかお目にかかれないような豪華な和風の家だった。
テニスくらいなら余裕で出来そうな広い庭には、鹿おどしや池があり、何LDKかも分からない室内は、和テイストで彩られている。
これ、相当なお金持ちだぞ‥‥‥。反射的にそう理解させられるほど、敷居が高かった。
なんで桜宮先生、普通の高校で教師なんてやっているのだろうか。これだけお金持ちの家の娘ならば、もっと普通の人じゃ就けない仕事をしていそうなものだが。
玄関で靴を脱いで上がると、家政婦を名乗る小綺麗な人に案内される。向かったのは、畳の部屋だった。
色合いのいい畳が六畳敷いてあり、真ん中にテーブルがある。
座布団に腰を下ろし、用意されたお茶を一口含むと、俺は緊張で凝り固まった身体をわずかに脱力させた。
まだ、桜宮先生の両親は見えていない。今のうちに気を抜かないと、身体が持たなそうだ。
「‥‥‥さ、桜宮先生って名家のご息女的な感じなんですか?」
左隣に座る桜宮先生に視線を配ると、俺は胸に抱いてきた疑問をぶつける。
「まぁそんな感じかな。あ、でも全然気負う必要はないからね? お母さんもお父さんも、多少過保護が行きすぎてるだけで、優しい人だから」
「だといいんですけど‥‥‥」
俺は再びお茶を一口飲む。
と、足音が廊下から聞こえてきた。俺の身体に緊張が走る。
少しして、
俺は咄嗟に、座布団から腰を上げると、深々と頭を下げる。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。せ、
学校から先生の自宅へと向かう最中、車内で何度も練習した言葉を早速使う。
緊張で甘噛みしまくったが、十分頑張った方だ。自分で自分を褒めたい。
力強く両目を瞑り、反応を窺う。
桜宮先生のお母さんはスタスタと俺の元によってくると、下から持ち上げるようにして俺の頬に触れてきた。強制的に目を合わせられる。
「まあ、本当⁉︎ 湊人くんって実在したのね。てっきり、妄想で作り上げた架空の存在なんじゃないかと疑ってたのだけれど、安心したわぁ。まだ若いのに、甲斐性あるのね!」
ニッコリと満面の笑みを咲かせて、キャピキャピした声を上げるお母様。好意的な反応に呆気を取られる。
「あ、自己紹介がまだだったわね。由美の母の桜宮
「は、はい」
桜宮先生のお母さん改め、清香さんが右手を差し出してくる。恐る恐るその右手を握ると、清香さんは満足げに微笑んだ。
「あ、座って座って。お話ししましょ」
「は、はい」
「お母さん、テンション上げすぎだから。瀬が──
「そうかしら。そんなことないわよね?」
「え、あぁまぁはい」
「ほら?」
「どう見ても困ってるから!」
桜宮先生と清香さんが、母娘らしい気の置けない空気感で喋る。勝手に堅苦しいイメージを作り上げていたが、そんなことはなかったか。
「お母さん、私たちが今日来た理由わかってる?」
「結婚の挨拶でしょう? わかってるわよ。あ、そうだ。お父さんは今ちょっと出かけててね。顔出せなくてごめんなさいね」
「どこ行ってるの?」
「北岳って言ってたかしら」
「どこそこ?」
「山梨とか言ってた気がするわ。ほんと、山登りが好きよねあの人」
「あ、山の名称だったんだ」
桜宮先生のお父さんは、現在登山に行っているらしい。アクティブな人なんだな。
「話逸れちゃったけど、とにかく結婚の挨拶をしに来たの。だから、お見合いの話は受けれません。私、湊人くんと結婚するから」
桜宮先生がハッキリと宣言する。
今日俺をここに連れてきた目的を、早速果たしにかかった。
それに対する清香さんの反応は──
「うん、いいわよ。ちゃんと約束通り結婚相手見つけてきたんだもの。貴方が決めた人に文句をつける気はないわ」
「え、いいんですか‥‥‥?」
思わず、声を出してしまう俺。
そんな簡単に許可が出るとは思っていなかった。
「もちろんよ。湊人くんは由美を大切にしてくれるんでしょう?」
真っ直ぐな目で、微笑を湛えて、優しい声で訊いてくる。
俺の心臓がピクッと嫌な跳ね方をした。
俺は、桜宮先生の婚約者のフリとしてやってきている。本当の婚約者ではないのだ。
だから、その質問に対する答えは、清香さんが求めるものを持ち合わせていない。
「当たり前でしょ。こうして、挨拶に来てるんだから」
つい黙ってしまうと、桜宮先生が助け舟を出してくれた。清香さんの口角がわずかに上がる。
「そうよね。‥‥‥あ、でも湊人くんはまだ十七歳なのよね?」
「あ、はい。そうです」
「じゃあ今すぐには結婚できないのね。残念だわ、すぐに挙式を挙げたいものだけれど」
「すみません」
「あ、ごめんなさいね。湊人くんを責めてるわけじゃないのよ? ‥‥‥そうだ。まだ正式に結婚はしてないとはいえ、私のことはお母さんだと思って、接してくれていいからね」
「ぜ、善処します。‥‥‥お、お義母様」
「あら、そんな畏まらなくていいのよ。ママとかでもいいんだから」
「ちょ、ちょっとお母さん! 湊人くん、困ってるからやめてよ」
「えーなに嫉妬? 嫉妬してるの?」
「そんなんじゃないから!」
清香さんのノリに戸惑っていると、すかさず桜宮先生がフォローしてくれる。
俺はほっと安堵の息を吐く。が、それも束の間。
清香さんの銃口は、再び俺に向けられる。
「ところで湊人くんは、由美のどんなところに惚れたのかしら。顔は私に似てそこそこ良いんだけれど、誰に似たのかガサツだし、気品もないし」
「お、お母さん‥‥‥彼氏の前で娘を侮辱するのはやめてくれるかなっ!」
桜宮先生は額に青筋を立てながら、引きつった笑みを浮かべる。
俺はポリポリと頬を掻くと、清香さんの質問に答えた。
「困ってる人を放っておけないところ、ですかね。採算度外しに行動できるところは尊敬してます」
それは、本心からの答えだった。
桜宮先生は、誰であろうと困っている人がいればすぐに手を差し出す。だからこそ、学校内でも人気があるし人望も厚い。
そんな先生のことを、俺は尊敬している。
「他には?」
「え、他、ですか‥‥‥」
清香さんは和やかに笑みを浮かべる。
この答えひとつで乗り越えられるかと思ったが、そう上手くはいかなかった。
「び、美人なところですかね」
「なるほどねぇ。それは大事よね。結婚したら毎日顔を合わせるわけだし」
「は、はい」
「でも、今はまだいいけれど、湊人くんが三十歳になった時には、由美はもう四十過ぎよ。ちゃんと愛せるのかしら」
「え、えっと俺‥‥‥じゃなく僕は、歳上が好きなので。それは大丈夫です。はい」
ホントは歳下の方が好きだが、やむを得ない。熟女好きの設定で行こう。
「え、もしかして私のこともかしら⁉︎」
「何馬鹿なこと言ってるのお母さん! 歳上が好きって言っても限度があるから!」
「ふふっ、分かってるわよ。冗談に決まってるでしょう」
「はあ。ごめんね。私のお母さん、湊人くんに会えたのが嬉しくてテンションおかしくなっちゃってるみたい」
そうみたいですね‥‥‥。
俺は苦く笑いながら、緊張から湧いて出る手汗をギュッと握りしめる。
俺の予想を大きく裏切る形で、結婚の挨拶は順調に進む。それだけに、取り返しのつかないことをしているのではないか、とそんな焦燥感が俺の胸の中にジリジリと募っていた。
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