思い出の中の忘れ物

灰色テッポ

思い出の中の忘れ物

 君の夢をみたよ。

 

 最近は夢と現実の境界が曖昧になるばかりで、起きて現実にいる時でもまるで夢をみているような。


 そんなふうに思い出の中に沈み込んでいることが多いんだ。


 君は笑っていて──


 あの一年にも満たない幸せでかけがえのない遠い昔の日々で、僕を出迎えてくれてたね。

 


 どうやら僕はそろそろ死ぬらしいんだ。


 遺伝子医療も細胞医療も最早なんの役にも立たない。もちろん機械との置換医療も無駄だ。何をしても自然死に行き着いてしまう。


 つまりは老衰なのだからもう仕方がない。


 人間はいくら身体が健康でも、百八十年程の記憶を持つと、もう生きるのが限界になるようで、心の老衰とでも言うのかな。

 それはその歳に近づいてくると不思議と実感できてしまう。


 現実に生きるよりも、思い出の中に生きていたい衝動が抑えられないんだ。


 どう説明したらいいかな……


 そう、子供の頃に夢中で遊んでいたら、ふと気が付くと夕闇が迫っていて、何だか慌てて家に帰りたくなる気持ちに似ているかもしれないな。


 まあ見た目や身体は健康な若者のままだから、記憶を消してしまえば何度でも人生を繰り返せるのだけれども。


 そんな事をしたいと思うのは若いうちだけで、この歳にもなると誰一人として思い出を手放したいなどとは思わない。


 幸せだった思い出だけでなく、辛く悲しい思い出も、後悔さえもその全てが愛おしくて掛け替えがないんだ────



「そろそろ機内への移動をお願いします」


 僕はアテンダントに自分の名前を呼ばれて振り向くと、彼女はこれまで諄いほど念を押して伝えたきた禁則事項をまた言った。


「くれぐれも現地の人間との接触はしないで下さいね、会話はもちろんアイコンタクトさえ駄目ですからね」


「大丈夫、わかっているよ」


 アテンダントにしては妙に馴れ馴れしいというか、フレンドリーというか……

 言葉遣いに厳しいサービス業では珍しい事だと思ったりする。


「もし人間と何かしらの意識の交換が認められたら、その瞬間にタイムトラベルは中止になりますからね? 同様に文字等の伝達手段を用いても……」


「わかったってば……」


「開始早々に中止になっても返金要求には応じられませんよ?」


「ハイハイ」


 それにしてもいくらタイムトラベル業が斜陽産業だとはいえ、もう少し社員教育はしておいて損はなかろうに。


 まあ今どき制約の多いタイムトラベルなどを、わざわざ好んでする物好きも少ない。

 特定の人間を視認したいという欲求を満たす事くらいにしか、レジャーとしてのタイムトラベルに意味はないのだから。


 過去の世界を楽しみたいのなら、実際と寸分違わぬ仮想空間トラベルの方がよほど楽しいもんな。

 本物の過去と変わらぬ世界で、どんな人生のRPGでもできるんだし。


 物好き相手の商売なんかは、なかば投げやり気分でないとやっていられないのかもしれないけれど……


 それでも僕はその商売をしてくれているタイムトラベル業界に感謝をしている。


 だって僕には死ぬ前に、どうしても君にもう一度逢いのだから。


 逢って伝えたいことがあるんだ。


 遠い昔に伝えられなかったその言葉は、今も心残りとなって僕の思い出の中に顔をだす……


 

「では良い旅を、行ってらっしゃい」


 僕は彼女に目で頷くと、これから僕が企んでいることも知らないこの馴れ馴れしいアテンダントに、ちょっぴりだけ申し訳ない気持ちになった。


 初めから禁則事項を破るための旅だからな、強制中止で帰ってくるかもしれない訳だし。


 でも必ず君に伝えたい。


 死ぬ前の僕の最後の旅は、いつ中止になるのか分からない不確かなものだけれども、それでも挑戦する価値はある。


 思い出の中の忘れ物を、そのままにしておく訳にはいかないのだから────




 気が付くと僕は誰もいない夜の建物の中にいた。


 腕に装着させてある旅行会社から支給されたライフガードリングの時計は、現地時間に修正されて午前二時ちょうどを表示している。


 場所の表示には僕が指定した病院名が書かれてあるところを見ると、どうやら無事にタイムトラベルは成功したようだ。


 病院の監視機能にはライフガードリングからジャミングがかかるから、機械的警備システムに引っ掛かることはないとしても……真夜中の病院を徘徊している不審者である事は間違いない。


 巡回の警備員や夜勤の看護師なんかがいるとも限らないのだし、ここは慎重に行動しよう。


 ばったり出くわしてハイ中止! ってのだけは勘弁だもんなあ。



 でもそんな心配は杞憂に終わったみたいだ。


 僕は難なく逢いたい君のいる病室を突き止め、そっと部屋のドアを開ける。


 いた! 君は確かにそこにいた。


 思い出の中の君に、やっと逢えたと思ったら、なんだか不思議な気持ちになって少し驚いたよ。


 タイムトラベルそのものが、この過去の時代が、まるで思い出の中で生きているような錯覚に陥らせてくれて妙に心地良いんだ。


──心の老衰か。


 死ぬのも悪くはない。僕は何だか自然と笑みが浮かんできて、心楽しくなってくる。


 おっと、急がなきゃ。


 いつ誰がこの部屋に来るともわからないのだからな……僕はそっと君に近寄った。


 微かな寝息をたてて君は寝ている。 


 そおっと起こさないように、僕は君の寝顔をのぞきこんだ。


 この時点ではまだやはり接触とは認識されていないようだな……眠っていて意識がないのだから当然だけれど、やっぱり緊張する。


 さて、ここからが正念場だ。僕は君を眠りから覚まさせねばならない。

 睡眠を妨げて申し訳ないけれど、伝える為にはそこはやはり譲れないんだ。


 優しく君の頬に触れながら、慎重にその人が目覚めるのを待った。


 すると君の目がゆっくりと開き虚空を見つめだす。

 ゆっくり、ゆっくりと目の前にいる僕へと、その視線がずらされはじめ──


 とうとう、君の瞳は確かに僕の瞳を捉えた。


 果たしてタイムトラベルは中断されたであろうか?


 いや大丈夫だ。僕はまだここにいる。


 ここにいて確かに君と見つめ合っている。


 思った通りの現状に僕は満足していた。というよりホッとしていた。



 これでようやく伝えられる。


 君はその目をじっと僕に向けたまま動かない。それはまるで僕の言葉を待っているかのようにも思えた。


 いやもちろんそれは僕の思い込みに他ならなくて、言葉を伝える自分への励ましな訳であるのだが……


 ともあれ僕はこの時代へ来てはじめて言葉を声にのせた。中断されないことを祈りながら────



「お誕生日おめでとう」



 その言葉は……このタイムトラベルを中断させる事はなく、僕はさらに言葉を続ける。


「君が、今日この日に生まれて来てくれてありがとう。いまから三十一年後に僕は君ともう一度出会います。そしてそれは僕にとって幸せを与えてくれる始まりの瞬間です。だからどうしても君に伝えたかった。未来には君を待ち望んで待っている僕がいることを。君が生まれきてくれたことに心から感謝している人間がいることを──」



 君は黙ったまま僕の言葉を聞いていた。

 そう、生まれたばかりのまだほとんど視力のないその瞳なのだ。僕を認識など出来てはいないだろう。


 当然言葉も理解していないに決まっている。だからこそ最後までタイムトラベルが中断されずに、こうして伝えることができたのだ。


 だけど……


 僕には何故か君が、確かに僕の目を見つめているように思えたんだ。


 そんな訳ないんだけどね。


 もしかしたら、これはただの一方通行の告白なのかもしれない。


 いや、きっとそうだろう。


 でも僕はそれでよかったんだ。だって僕はただ君の誕生日を祝い、その感謝を伝えたかっただけなのだから。


 一度も君に誕生日おめでとうを伝えられなかった、僕の思い出の忘れ物。



 ならどうして眠っている君を起こしたのかって?


 それはね……


 大好きだった君の瞳を見つめながら伝えたかったから────


 ずっと昔に自らの手で逝ってしまった君。


 忘れられなかった、忘れられるはずないんだ。


 自分はこの世に不必要な人間なのだと泣いていた君のことが……


 あの頃の僕は君に何もしてあげられなくて。


 いまも君に何もしてあげられないけれども。


 せめて君は僕にとっては必要な人間で、僕は君が生まれてくる事を待ち望んでいるんだって。


 それだけは伝えておきたかったんだ。


 奇跡なんて信じた事はないけれども。


 君のまだ視力のないはずの瞳が僕を見つめ、僅かに微笑んだような気がしたのは。


 それは────


 僕のタイムトラベルはその瞬間に中止されたんだ。



《おしまい》

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