第8話 世紀末の勘違い

「僕と梓ちゃんは付き合ってないよ」


「はぁぁっっ⁉︎」


 観覧車から降りたその直後。ようやくできた俺の覚悟を全て無効化するような瑠夏の一言に、俺は過去最大級の「はぁっ⁉︎」を漏らした。


「お、お前今なんて言った⁉︎」


「僕と梓ちゃんは付き合ってないって言った」


 再度繰り返されるその言葉を聞いても、到底信じきれないその事実。あまりにも唐突で衝撃的なその告白に、俺が度肝を抜かれていると。


「あ、ちなみにボクと伊織も付き合ってないからね」


 流れに乗るようにして美緒もそんな当たり前のことを。俺と美緒がただの友人だということは、周知の事実だと思っていたけど。


「えぇっ⁉︎ み、美緒、それってほんとなの⁉︎」


 どうやら知らなかったであろうお方が一名。俺が驚いたのと同じように、梓は目ん玉おっ広げて、食い入るように美緒に聞き返していた。


「ほんとだよ。ねっ伊織」


「あ、ああ」


「嘘でしょ? てことは私ずっと勘違いしてたの⁉︎」


「まあー、そうなっちゃうかな」


「えぇぇ……」


 ため息にも似た力無い声を漏らす梓。

 この反応からしてマジで知らなかったんだろうけど。そういえばさっき、梓はその手の話をしていた気がする。


 俺と美緒が付き合ってるだの何だのって。

 今日はデートしに来たんだろって。


 あの時は頭に血が上ってたせいで、冷静な判断が出来なかったけど、今思うとあれは、俺と美緒の関係を勘違いしていた故の発言だったのか。


「やっぱり二人は勘違いしてたんだねー」


 とはいえそれは俺とて同じこと。瞬きを忘れるほどに固まっていると、全てを察していたであろう瑠夏は、得意げな顔でそう言った。


「でも良かったよ。誤解が解けたみたいで」


「ほんと良かった! これでボクたちの作戦は成功だね!」


「うん、そうだね」


 ん? 作戦?


「ほんと一時はどうなることかと思ったよぉ」


「確かに、最近の二人はギクシャクしてたからね」


「そうそう。ボク見てるだけで疲れちゃった」


 ふぅぅ……と、一仕事終えた時のような息を吐く美緒。二人の会話からして、俺たちの為に裏で何かしてくれていたんだろうけど。


「そうだ伊織」


「な、何だ?」


「もうあんなことしちゃダメだからね」


「あんなこと……?」


 俺が場の空気をイマイチ掴めないでいると、続けて美緒にそんなことを言われた。あんなことしちゃダメだよって……俺、美緒になんかしたっけ?


「お弁当だよ、お、べ、ん、と、う!」


「あ、ああ……」


「もう、伊織ったら忘れ症なんだから」


 その単語を聞いてハッとする。

 思えば俺はあの日のことをちゃんと美緒に謝罪していなかった。善意100%だったとはいえ、少なからず美緒にも迷惑かけたからな。


「あん時はすまん。俺どうかしててさ」


「私を気遣ってくれたのは嬉しかったよ? でもそういうのは事前に相談してくれないと。ただでさえ伊織は女心がわからない鈍感君なんだから」


「ああ、確かに……って、そこ⁉︎」


「当たり前じゃん。じゃなかったら梓と喧嘩なんてしてないよ」


 男として何か反論したかったけど……。


 どうしたものか。

 何も言い返せる言葉が無い。


「とにかく。今後何かする時はボクを通してからにすること!」


「通してからって……お前は俺のマネージャーか何かかよ……」


 ビシッと指を突き立てる美緒に、俺は控えめな突っ込みをいれた。


(……でもまあ、そうなるのも仕方ないよな)


 本当なら自分一人で何とかできると言い張りたいけど、あいにく俺はそれを自信満々に言えるほど、完成された人間じゃない。


 最近起きたあれこれだって、端から俺が梓の気持ちを理解していれば、起こることの無かった問題であって。


 美緒の言う通り、事前に相談してから行動に移すことが、喧嘩をしないための最善策だと思うのは確か。



 でもだ——。



「まあなんだ。困った時はまた力になってくれよ」


「困った時って、そうならないためにボクを通すんでしょ!」


「確かにそれが一番なんだけどさ」


「ん?」


 わからないこと、苦手なことは全部誰かに丸投げ——って、正直なところ俺はあんまり好きな考え方じゃないんだ。


 そりゃ後ろに美緒がいるというのは凄く心強いし、実際助かってるけど。だからって友達を頼り過ぎるのは、ダメな自分を肯定してしまっているようでならない。


「ほら、人って何事も自分自身でやらないと覚えないだろ?」


「それってどういう意味?」


「勉強もそうだし運動もそうだけどさ、結局やるのは自分なんだよな。だから俺が女心をわからないっていうのも、結局は俺自身が何とかしようとしないと、いつまで経っても解決しない問題だと思うんだよ」


 レナにも散々言われていたはずだった。

 お兄は女の子との付き合い方を知らな過ぎるって。


 今まではそんなことないだろと思って、一切気にも止めていなかったことだけど、最近多発した梓との衝突で、自分の未熟さには嫌というほど気付かされた。


「これまでは目を背け続けて来たけど、今回のことでもう一度自分を見直そうって思えたんだ。だから美緒の提案は有難いけどさ、もう少しだけ俺に時間をくれないか」


 自分の本当の気持ちと素直に向き合うため、そして梓との関係を望むものにするためにも、俺は今人として成長するべき時なんだと思う。


 だからこそ俺は美緒に伝えた。

 もう少しだけ俺を見ていてくれと。


「伊織……」


 すると美緒はなぜか瞳を潤わせているよう。

 泣くほど感動的な話をしたつもりは無いんだけど。


「君はいつからそんな立派になっちゃったの⁉︎」


「立派って、別にそんなんじゃ」


「立派だよ! ねぇ瑠夏!」


 美緒の振りに瑠夏は大きく頷く。


「そうだね。僕も思わず感動しちゃったよ」


「んな大げさな」


「大げさじゃないよ。だってあの伊織くんが自分を見直したいって言ったんだ。そりゃあ友達として感動の一つや二つするよ」


「そ、そうか?」


「もちろん」


 いつになく瑠夏が熱く語っている。

 もしかして俺、今二人に褒められちゃってたりする?


「一年の時、クラスの男子が次々と付き合い始めたのを知って、『女なんか別に興味ねぇし。めんどくさいだけだろ』とか、負け犬みたいなことを言ってた伊織くんが」






 ……ん?






「女の子に対して致命的なほど無神経で、事あるごとに梓ちゃんの地雷を踏み抜いて来た『地雷回収常習犯』のあの伊織くんが」







 ……無神経? 地雷回収常習犯?






「他人どころか、自分の気持ちにすら素直に向き合えず、いつまで経っても恋が成就しないあの——」


「ちょ、ちょっとストップ……!!」


 あまりにも聞くに耐えない瑠夏の言い分に、俺は慌ててストップコールを入れた。


「どうかした?」


「どうにもこうにも、ちょっと言い過ぎじゃない⁉︎」


「言い過ぎって?」


「負け犬とか無神経とか、僕普通に傷ついちゃうんですけど⁉︎」


 必死に訴えかけるも、瑠夏はポカンとして首を傾げる。


「それに『地雷回収常習犯』って一体何だよ⁉︎ 僕はそんなかっこいい名前の職業に就いた覚えは無いんだけど⁉︎」


「ああごめん。ついうっかり本音が出ちゃって」


「ほ、本音……?」


「でも伊織くんの考えに感動してるのは本当だから」


 そう言うと瑠夏は、これ以上にないくらい朗らかな笑みを浮かべた。あんだけ容赦ない罵倒を並べられた後で、感動してるとか言われても……。


「いくら感動してくれてても、ついうっかり出た本音が俺の心を容赦なくへし折りに来てるんだが⁉︎ てか絶対俺をバカにしたいだけだろコラッ!」


 最終的には俺が拳を掲げると、瑠夏は「まあまあ」と笑って誤魔化した。


 そりゃあ俺は負け犬で、無神経で、地雷回収常習犯で、おまけにいつまで経っても恋が成就しない残念な男だけどさ。


「そこまでハッキリ言わなくてもいいんじゃないですかね⁉︎」


「ごめんごめん。今のは全部冗談だから」


「冗談って、お前なぁ……」


「ちょっとからかいたくなっちゃって。伊織くん面白いからさ」


「いやそれ全然嬉しくねぇよ……俺はお前のオモチャじゃねぇんだぞ」


 俺がジト目を向けると、瑠夏はわかりやすく目尻を下げた。


 とはいえこいつとは、もう随分と長い付き合いになる。怒った風で反論こそしたけど、これらがジョークなのはよーくわかってるつもりだ。


「応援してるのは本当だよ?」


「はいはい……あんがとよ」


 中学の頃から瑠夏はずっとこんな感じだった。可愛い顔をしている癖に、急に畳み掛けてくるもんだから、時々傷口を抉られるような気分になるんだよな。


 まあ発言のほとんどが的を得てるから、何も言い返せないんだけどさ。


「とにかく、俺は出来る限り自分で何とかしてみるから。これからもお前らには迷惑とか掛けるだろうけど、しばらくはそんな感じで頼むわ」


「わかった。頑張ってね伊織くん」


「伊織がそう言うなら、ボクも精一杯応援しなきゃね!」


 俺の決意に瑠夏と美緒は揃って頷いてくれた。

 あとは梓に納得してもらうだけだけど……。


「梓も、それでいいか?」






 …………。






 返事がない。

 ただの屍のようだ。


「梓?」


「……え、あ、うん?」


 二回目にして、ようやく俺の声が届いた。

 しかし向けられたその表情は、心ここに有らずといった感じ。


「どうしたよ。難しい顔して」


「いやぁ、なんていうかさ」


「ん?」


 おまけに言葉の歯切れが悪い。いつもはあれほどズバッとモノを言うくせに、一体絶対どうしちまったっていうんだ。


「悩み事か?」


「うーん、悩みってわけでもないんだけど」


「もし何かあるなら遠慮なく言ってくれていいんだぞ?」


「ああそう? じゃあ聞くけどさ」


 







「ん」





 遠慮なくとは言ったけど。

 ちょっと待て……今こいつなんて?





「すまん、もっかい頼む」


「だからさ、伊織の彼女って結局誰なの?」


 繰り返されるその問いに、俺の思考は停止する。


 彼女……? 俺の……?


「待て待て、何の話だよ」


「だっているんでしょ彼女。それが美緒じゃないなら一体誰なわけ?」


「彼女って……俺にそんなのいるわけが——」






 ……あ。






 頭の中に舞い戻ってくるあの時の記憶。


 喧嘩して、仲直りして、勘違いして。そんな忙しない時間を過ごしすぎたせいですっかり抜け落ちていたけど、そういえば俺は過去にそんな詭弁を吐いていました。


「伊織が付き合えるような女子って他にいたっけ?」


「それは……」


 梓は俺と美緒をカップルだと認識していた。

 でもそれは美緒の告白で勘違いだと証明された。

 ならこの質問が飛び出すのは必然のことだろう。


「どうしたの。早く答えてよ」


「…………」


 まずい……これは非常にまずいぞ。


 これ以上嘘を積み重ねるわけにもいかないし。だからってあの時の詭弁を撤回すれば、間違いなく俺は梓に失望されて、人間としての尊厳を失うことになる。


 せっかく仲直りできたのに、梓に嫌われるのは絶対に嫌だ。でもこのまま彼女がいる設定を貫こうとすれば、いつか必ずボロが出る。


 一体どうすれば……。










「ん、待てよ」


 窮地に追い込まれていた俺だったが。


「それを言うなら梓もじゃないか?」


「えっ? 何の話?」


「彼氏だよ。瑠夏じゃないならどこの誰と付き合ってるんだ?」


「あっ……」

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