第7話 観覧車で二人
「お、おい……いい加減に——!」
美緒に引きずられながら園内に入った俺。
掴まれた腕を振り解こうとしたその直後。
「伊織はまだ振られてなんかないよ」
美緒は慰めのようなそんな一言を吐いた。
おそらく落ち込む俺を気遣っての言動だろうけど。
「はぁ……だから俺は振られたってば」
「どうしてそう言い切れるの」
「どうしてって、そりゃあ……」
「あれかな。伊織はついに告白でもしたのかな?」
「それはまあ……してないけど」
梓とはただいま絶賛喧嘩中だ。
そんな状況で告白なんて出来るわけがない。
「じゃあ何で振られたって決めつけるの?」
「それは……」
食い下がるような美緒の物言いに、俺は自然と後ずさりする。何で振られたって言い切れるかって……それを聞かれると少し言いにくいけど。
「いたんだよ、梓に彼氏」
「えっ? 彼氏?」
「ああ」
あとは適当に察してくれ。
そう思って言葉を止めたのだけど。
鈍チンな美緒は、無情にも首を傾げていた。
「はぁ……あいつ今日瑠夏と一緒に来てるんだと」
「あー、はいはい。それで?」
「それでって……言葉の通りだろ。あいつら付き合ってんだよ」
「付き合ってる?」
「そうだよ」
何が悲しくてここまで言わなきゃならんのか。
流石に同情してくれるだろうと思ってみれば。
「あー、なるほど。そうなるのか」
なぜか美緒は難しい計算が解けた時のような清々しい表情を浮かべる。そして納得したようにウンウンと頷いた。
そこからは俺への同情とか、哀れみの感情とかは全く感じられない。それどころか、心なしか口角が上がっているようにも見える。
「おい、何でちょっと嬉しそうなんだよ」
「えっ、ボク?」
「お前以外に誰がいるんだ」
「べ、別に嬉しいとかないよ?」
「それにしては口元ニヤついてるけど」
俺が疑いの視線を向けると、美緒はハッとして手で口を覆った。まさかとは思うけど……この子、失恋した俺をバカにしてるのかな?
「あのー、美緒さん? 何を考えていらっしゃるのですか?」
「全然何も、何も考えてないよ? ただ……」
「ただ?」
美緒は初めて哀れむような視線を俺に向けた。
そして慰めの一言でもくれるのかと思いきや。
「伊織ってほんと残念だなって思って」
「……えっ?」
呆れた口調でまさかの追い討ちをかけてきたのだった。
* * *
梓の彼氏が瑠夏だったのはショックだった。でも今となると、美緒に無理矢理にでも引き止められたのは、結果的によかったのかもしれない。
おそらくあのまま家に帰っていたら、間違いなく俺は落ち込んでいただろうし。そうなるくらいなら、まだ美緒にあれこれ言われた方が百倍マシだっただろうから。
とはいえ、この遊園地内には現在進行形で梓たちがうろついてる。
何とかメンタルを持ち直したところではあるが、それでも好きな女子が彼氏とデートする様なんて死んでも見たくないわけだ。
まあこれだけ広ければそうそう会うこともないだろうけど。でも万が一という言葉があるので、ばったりと出くわすのだけは何としても避け……。
「え」
「は」
そんなことを思っていた矢先。とりあえずで乗ろうとしたコーヒーカップで、早々に梓たちと出くわしてしまった。
「な、何で梓がいるんだよ」
「それはこっちのセリフだし」
お互い顔を見合わせ、早速ガン付け合う俺たち。
言われていた通り、梓の隣には彼氏である瑠夏の姿が。
「カップルでコーヒーカップって、ダジャレかよ。ツマンネ」
「そっちこそお笑いのセンス磨いた方がいいんじゃないですかー?」
目が合った瞬間こそ多少の気まずさはあったが、いざ二人並んでいる絵を目の当たりにすると、再び腹の底から謎のイライラが湧き上がってくる。
「俺らが先に乗ろうとしたんだぞ! 邪魔すんなよ!」
「私たちだって最初はこれに乗ろうって決めてたし!」
結局俺は自ら梓に突っかかってしまった。
それには梓も当然のように反発してくる。
「他にも乗り物はあんだろ! 別なとこ行けよ!」
「そんなの無理! 私コーヒーカップ好きだもん!」
「それを言ったら俺だって大好きだわ!」
みたいな感じで。
失恋した後だというのに、不思議とよく舌が回った。
「じゃあ証明してみろよ!」
「はぁ? 証明?」
「どっちがカップを早く回せるか勝負しろ!」
「いいわよ! やってやろうじゃない!」
そんなガキみたいな掛け合いをし。
やがてカップはゆっくりと動き出した。
「行くぞおらぁぁ!」
溜まりに溜まったイライラをここで発散してやろう。そして完膚なきまでに彼氏持ちの幼馴染を叩き潰してやるんだ。
なんて思っていたけど。
回し始めてすぐ、美緒に「やめて」とマジ顔で言われ、それでも回そうとした俺だったが、闇深い笑顔でガッシリと腕を拘束されてしまった。
声のトーンがあまりにもマジだったので、俺は仕方なくカップを回す手を止め、片や正月のこまばりに高速回転する梓たちを、遠い目で眺めることにしたのだが。
(幾ら何でも回し過ぎだろ……あいつら死ぬんじゃねぇの?)
早過ぎて二人の残像しか見えない。
ああまでして勝負に勝ちたいとか。
どんだけ負けず嫌いなんだよあいつ……。
「あ、梓ちゃん……ちょっとあれはやり過ぎじゃない……?」
「ぜ……んぜん……やり過ぎとかじゃ……ないから……」
「その割には随分と具合悪そうだけど……」
スリル無くコーヒーカップを終えた俺たちに対し、梓たちはカップを降りた瞬間から、生まれたての子鹿のように足元をフラつかせていた。
「辛かったら手貸すよ?」
「あ、ありがとう瑠夏……」
そのままぶっ倒れてしまえばいいものを……あろうことか奴らは、俺が見てるにもかかわらず、仲良くラブコメを始めやがったのだ。
(クソッ……裏でやれよ裏で)
不可抗力ならまだしも、自分で回してそうなったんだろうが。そんなあっさり手なんて借りて、どうせお前は一人で歩けるんだろ⁉︎ こんちくしょうが!
「俺らも行こうぜ」
「え、あ、うん」
あまりにも見るに絶えず。カップル同士でワラワラやってる姿を尻目に、俺は美緒を連れてすぐさま違うアトラクションへと向かった。
* * *
二度と梓とは口聞かねぇ。
なんて一度は固く心に誓ったけど。
「は」
「え」
あっちに行っても梓たちと会い。
「ん」
「あ」
こっちに行っても梓たちと会い。
「……わぁっ!! って、何だ梓か」
「何だって何よ」
最終的にはお化け屋敷の中ですらバッタリと出くわすそんな始末。
「どうなってんだよこれ」
「知らないし。伊織たちが合わせてるんじゃないの」
「んなわけないだろ、バカなのか?」
「バカッ⁉︎」
最初こそ頑張って無視していたのだが、あまりにも偶然が重なる上に、今絶賛喧嘩中ということも相まって、俺たちは必然的にガキ臭い言い合いをしてしまっていた。
「てかついてくんなよ」
「そっちこそ。隣に立たないでもらえる?」
「立ってねぇし。お前が勝手についてきてんだろ」
「はぁ? んなわけないでしょ、変な勘違いしないでよ」
「勘違いなんてしてねぇよ。元はと言えばお前が——」
これは一体今日何度目の言い合いだろうか。顔が見える外ならまだしも、暗闇の中ですら飽きもせず喧嘩とか……いい加減アホらしくなってくる。
「はぁ……もう疲れた。いい加減やめようぜ」
「そ、そうね。私も喉が限界だし」
終盤ということもあってか、お互い言い争う元気は失われ、やがて俺たちはカップルとか関係なく、4人で遊園地を回っていたのだった。
* * *
それから何やかんや楽しんで、締めの観覧車。
「伊織は梓と乗りなよー」
「はっ⁉︎ なんで俺がこいつと⁉︎」
「梓ちゃんも。伊織くんと一緒ね」
「えっ、ちょ……! ちょっと瑠夏⁉︎」
なぜか俺は美緒に唆されて梓と同じ観覧車に乗せられた。どうやら瑠夏も梓とじゃなく美緒と乗るみたいだし。
「おい瑠夏、お前いいのかよ」
「いいって何のこと?」
「いやその、おかしいだろこの組み合わせは」
「どうして? 全然おかしくないと思うけど」
必死に訴えるもなぜか瑠夏は目を丸くする。
恋人なら普通は同じ観覧車に乗るものだと思うけど。
「いいから二人で乗りなよ」
平気な顔でそれを言うあたり、どうやら瑠夏にはその辺の常識が無いっぽい。美緒も俺に余計な気なんて遣わず、付き合ってる者同士よろしくさせとけばいいのに。
「伊織くんたちは幼馴染だよね?」
「まあそうだけどさ」
「なら一緒に乗りなよ」
「いやいや……そうは言ってもだな」
どうしても気が乗らず渋っていると。
「ほらほら伊織。いつまでも拗ねてたらダーメ!」
「ちょ、美緒……! お前余計な真似を……!」
「梓ちゃんも。二人でゆっくり話しておいでよ」
「え、ちょっと……瑠夏ぁぁ⁉︎」
バタン。
俺は美緒に、梓は瑠夏に背中を押され。
俺たちは観覧車の中で二人きりになってしまった。
* * *
言わずもがな空気が重い。
高いところまで来たからだろうか。
それとも絶賛喧嘩中だからか。
梓と二人っきりのこの空間は、まるで息が詰まるような、言葉を発してはならないような、そんな緊迫した雰囲気に包まれていた。
観覧車に乗り込んでからもう随分と時間は経っている。それなのに俺たちは、会話するどころか、ろくに目すら合わせられていない。
お互いが別々の窓から景色を見下ろし、ただ静かにこの時間が終わるのを待っているだけ。おそらく梓には、俺と会話をする気などさらさら無いのだろう。
思えば俺たちは、昔から上手くいかないことだらけだった。
何をやるにも喧嘩ばかりで、その度に美緒や瑠夏、ましてや妹のレナにまで相談を聞いてもらって、慰められて、的確なアドバイスまでされたりもした。
至らない自分を振り返って、一瞬こそ反省する俺だったけど、それでも梓に対してだけは、いつまで経ってもヘタレで意地の悪い幼馴染のままだった。
本当は心の底から好きなはずなのに。大事にしたいはずなのに。どうしてもその気持ちに向き合えない、素直になりきれない自分がいる。
自覚はある。
自分がダメな男だって。
でもそれを認めて素直になることが、昔からどうしてもできなかった。だからこそ俺は初恋を成就できず、大好きな幼馴染を瑠夏に取られてしまったんだと思う。
情けない——。
今の俺にあるのはそれだけだった。
梓に彼氏ができたからって、意地になって虚言を吐いてしまう。梓を怒らせてしまった原因に、いつまで経っても辿り着くことはできない。
そんなんで何が幼馴染だ。
何が一番に梓を愛しているだ。
「この間はすまん」
「えっ……」
気づけば俺は自ら重い沈黙を破っていた。今まで窓の外ばかりを眺めていた梓は、俺の言葉に小さく肩を弾ませこちらを見た。
「俺って本当に情けないよな」
「ど、どうしたのいきなり」
「いや、なんか情けないなと思ってさ」
いきなりこんなことを言われても、梓からしたら『?』だとは思う。でも俺は今、どうしても梓に一言謝りたかった。
「弁当のこと覚えてるか」
「う、うん。もちろん覚えてるけど」
「今更何だよって思うかもしれないけどさ、本当はお前に喜んで欲しくてあの弁当を作ったんだ。その前にあった喧嘩の仲直りのきっかけになればいいと思ってな」
「そう……だったんだ」
「でも結局渡せず終いだった。それどころか余計にお前を不快にさせちゃってさ。そりゃ同じ弁当を他の誰かが貰ってたら、良く思わないのは当然だよな」
あの時の俺は著しく配慮に欠けていた。
そもそもあれは梓と仲直りするために用意した物だったのに、いつの間にか美緒にまでいらぬお節介を焼いてしまって、結果レナに言われた通りになってしまった。
「梓は喜んでくれてたのに……その気持ちを裏切って本当にすまん」
「伊織……」
正直なところ、あの日梓を怒らせてしまった原因の全てを理解したわけじゃない。でもだからこそ、俺は謝らなければいけない立場なんだと思う。
いつになっても女心を理解できない、幼馴染の真意に気づけない、このダメな自分を変えるためにも、俺は余計なプライドを一切捨てて、素直に頭を下げた。
すると——。
「ねぇ伊織」
不意に梓に名前を呼ばれる。
何かと思い顔を上げれば……。
「その……私の方こそごめんね」
「えっ?」
俺の目をまっすぐに見つめ。
神妙過ぎるほどの表情でそう呟いたのだ。
「何でお前まで謝るんだよ」
「だって私、伊織の気持ち全然知らなかったから」
「俺の気持ち……?」
折り返すと梓はコクリと頷く。
その丸い雰囲気には思わず目を見開かされる。
「どうしたんだよいきなり」
「いきなりじゃないよ。ずっと私は伊織に謝らなきゃって思ってたの」
「謝る? 俺に?」
「そう、だって悪いのは全部私だから。せっかく伊織が私の為にってお弁当作って来てくれたのに、私はその気持ちを踏みにじっちゃったから」
「踏みにじったって、そんな大げさな……」
「ううん、大げさなんかじゃない」
迷いなく首を振り、梓は続ける。
「だってあのお弁当には伊織の気持ちが詰まってたんだよ?」
「そりゃまあ……多少なりとは気合い入れてたんだろうけど」
「でしょ?」
「だからって、梓が謝る必要はないだろ」
「ううん、私こそ謝るべきだよ」
梓はこう言ってるけど、自分が素直に謝って、それで梓に許してもらえるのなら、俺はそれで構わないと思っていた。
だって悪いのは俺だから。同情とか、ましてや謝罪なんてこれっぽっちも求めていなかったし、それを強要するつもりもさらさらなかった。
「ほんとにごめんね……伊織」
でも俺がいくら宥めても、梓は聞く耳を持たなかった。私こそが悪いんだって、謝るべきなんだって、何度も何度も頭を下げるのだ。
「こんな幼馴染でごめん……」
「いいって。もう気にすんな」
そして最終的には、柄にもなく揺ら揺らと瞳を潤わせる。これにはヘタレな俺もじっとしていられず、無意識で梓の頭に優しく手を置いていた。
「俺は大丈夫だから、もう泣くな」
「でも——」
「いいから」
「……うん」
俺の手の下でコクリと頷く梓には、どこか昔の名残があった。
あの泣き虫で臆病で、いつも俺の後ろをついて来ていた幼気な少女。最近では見られないウルトラレアな梓の姿に、不覚にも俺の胸の鼓動は加速する。
喧嘩をしてしまったあの日に後悔を残したのは、自分だけなのかと思っていた。でも俺の知らないところで、梓もまた色々と悩んでくれていたみたいだ。
(やっぱり梓は梓なんだな)
普段は気が強くて傲慢で、俺には刺のある態度ばかりとる奴だけど、こうして昔のような気弱で素直な姿を目の当たりにできて、俺としては正直ホッとした。
「これで仲直りできたかな」
「ああ、きっとできたさ」
「そっか。それならよかった」
安堵から綻ぶその顔も、俺が知るあの頃のまま。
そして俺はそんな梓のことをずっとずっと好きだった。それは高校生になった今でも変わらない、生涯に一度だけの初恋なんだ。
「私、勿体無いことしちゃったね」
「勿体ないこと?」
「ほら、伊織のお弁当。結局食べられなかったでしょ?」
「ああ」
続いて梓は残念そうな顔でそんなことを。
確かにあの日は弁当を渡せず終いだったけど。
「弁当くらいいつだって作ってやるさ」
「えっ⁉︎ ほんと⁉︎」
「当たり前だ。俺はお前の幼馴染だからな」
彼氏がいようがいまいが、俺は梓の幼馴染。
その事実はいつになっても変わることはないし、幼馴染が望むのなら、弁当だろうが何だろうがいつだって作るに決まってる。
「また卵焼き入れてくれる?」
「もちろん。そん時は特別サービスしてやるよ」
「やった! 楽しみにしてるね!」
もっと早く素直になれていれば——。
その純粋無垢な笑顔を見て、今更ながらそう思ってしまう部分は少なからずある。でも今日一日梓たちの様子を見ていて、俺の中で何かが吹っ切れたのは確か。
梓の彼氏が瑠夏だと知った時は、もちろん驚いたし辛かった。でも梓が笑っていてくれるなら、幸せていてくれるなら、隣にいるのは自分じゃなくてもいい。
友達以上で恋人未満な今の関係で、俺は梓の恋を全力で応援する。それが幼馴染として、梓を心から想う立場として、残された唯一の道なのだと思う。
「……幸せにな」
「ん? 今何か言った?」
「ああいや、何でもない」
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