第5話 二つの弁当

「い、伊織っ⁉︎」


 やっと教室から出て来たと思ったら、なぜか梓は俺の顔を一目見るなり、化け物でも目の当たりにしたかのような驚愕の表情を浮かべた。


「ど、どうして伊織が⁉︎」


「どうしてって、お前に用があって来たんだよ」


「わ、私に⁉︎」


「ああ」


 おまけに語尾はずっと上振れたまま。

 話し方にも普段のような落ち着きは感じられない。


「何でそんなきょどってんの?」


「う、うっさい! きょどってるとか言うな!」


 俺が突っ込むと反発してくるのだけは、どうやらいつも通りらしい。


 てか俺たちは仮にも幼馴染なんだから、用事で会いに来たくらいでそんな動揺しないで欲しいのだけど。


「あー、えー、とりあえず落ち着け」


「い、言われなくても落ち着いてるしぃ?」


 そう言いつつ梓の目は世界水泳くらい泳いでる。まるでこのまま太平洋を横断してしまいそうな勢いだ。


「声めっちゃ裏返ってるぞ」


「は、はぁ⁉︎ 別に裏返ってなんかないし! たまたまだし!」


「あと目、泳ぎ過ぎな。ちゃんと俺を見てから言えよ」


「み、見てるし。別にビビってなんかないし」


「はいはい、そうですか」


 俺が呆れた視線を送ると、梓はリスみたいな顔でそっぽを向いてしまった。だが何も言い返してこないあたり、自分でもおかしい自覚があるんだろう。


「そ、それで、私に何の用なの」


「……ああ、そうそう」


 絞り出された梓の一言で思い出す。らしくない姿に気を取られてすっかり忘れてたけど、そういえば俺はこいつに弁当を届けに来たんだった。


「ほれ」


「え、何これ」


「何ってお前の弁当」


「弁当?」

 

 包みを渡すと、梓は小首を傾げて言った。


「なんでお弁当?」


「何でって、昨日メールで言ったろ? 持ってくんなって」


「う、うん。確かに言われたけど」


「だからこれお前の分」


 そう言うと、梓はポカンとして目を丸くする。


「これって伊織が作ってくれたの?」


「ま、まあな」


「もしかして私の為に?」


「あ、ああ。一応」


 そして最後は口を詰むんで露骨に視線を落とした。


「ど、どうしたよ。急に黙り込んで」


「ううん、何でもないの。ただ凄く嬉しくて」


「っっ……!! そ、そうかよ」


「うん、そう」


「ならまあ、よかったけど」


 急に大人しくなったと思ったら、今度は乙女みたいに顔を真っ赤にしやがった。


 こうして渡すだけでも緊張するってのに、そんなビックバン級に可愛い顔……じゃなくて、梓らしくない顔しないでくれよ。


「私、伊織の作る料理好きなんだよね」


「お、おう。それは知ってる」


「特に卵焼きとか! 昔食べたの美味しかったなー」


「卵焼きなら今日の弁当にも入ってるぞ」


「えっ⁉︎ ほんと⁉︎」


「ああ」


 よっぽど嬉しいのか、柄にも無くぴょんぴょん飛び跳ねる梓。激レアな乙女チックな表情に加えて、こんな無邪気な姿まで見られるとは。


(弁当作って本当よかった)


「ほ、ほら。いつまでもこうしてると食う時間無くなっちまうぞ?」


「ああうん。それもそうだね」


 これ以上梓のこんな姿を目の当たりにするのは、あまりにも危険と判断し、俺はあくまで平静を装いつつ一言。


「お弁当ありがと」


「お、おう」


「今日の帰りに感想言うね」


「いいよ別に、感想なんて」


「嫌だ。言うの」


「はいはい」


 こんな砕けた表情の梓を見るのはいつぶりだろうか。


 ここ最近はずっとツンツンしてて、俺に対しての当たりが強かったから、昔の素直で可愛らしい梓を思い出して、何だか懐かしい気持ちにさえなる。


(てか今、”今日の帰りに”って言ったよな)


 ということはつまり。

 今日は一緒に帰れるということだろうか。

 もしそうならめちゃくちゃ嬉しいんですけど。


「それじゃね、伊織」


「お、おう。またな」


 ひらひらと手を振りご機嫌に踵を返す梓。そんな彼女と俺の間にはもう、今朝のようなギクシャクした空気は一切無い。


 一時はどうなることかと思ったこの『手作りお弁当仲直り大作戦』だけど、いざ実行してみれば、美緒を信じて本当に良かったと思う。


 あの様子だと梓は、もうこの前の喧嘩のことは気にしてないだろうし。俺も梓に喜んでもらえたことで、心の内に溜まっていたモヤモヤが一気に晴れた気がする。


(流石は美緒だな)


 初めこそ自力で何とかしようかとも思ったけど、おそらくそれだとこんなに上手くはいかなかったと思う。美緒を頼った俺の選択はどうやら大正解だったらしいな。








「み、美緒⁉︎」


「わおっ! 何だ梓か、びっくりしたー」


「ごめんね。ちゃんと前見れてなくて」


「ううん。ボクの方こそごめんね」


 余韻に浸っていた俺の目の前。教室に戻ろうとした梓と、ちょうど教室から出て来た美緒が、ドア付近で危うくぶつかりそうになった。


「なんか梓、機嫌良さそうだねー?」


「そ、そうかな? そんなことないと思うけど」


「とか言ってー、お口は正直みたいですよー?」


「う、嘘⁉︎ もしかして私今ニヤついてた⁉︎」


「そりゃもう。さては何か良い事でもありましたな?」


 美緒の含みのある言い方に、必死な愛想笑いで誤魔化そうとする梓。弁当の事情を知っているからして、おそらく梓をおちょくってるんだとは思うけど。


(なんかこっちまで落ちつかねぇな……)


 俺が直接何かされているわけではないが、二人のやり取りを見ていると、こっちまで胸の辺りがモゾモゾしてくる。


「おやおやー? そのお弁当はー?」


「こ、これは。伊織に貰ったお弁当で」


「伊織にー?」


 なんて会話を耳にして、俺はふと思い出す。


(あ、そうだ弁当)


 恥ずかしがってる場合じゃなかった。

 美緒にも弁当を渡さないと。







「よう美緒」


「あ、噂をすれば。どうしたのこんなとこで」


「いやぁこれさ、お前にも渡そうと思ってな」


 二人の会話に割り込むようにして、俺は隠し持っていた弁当を差し出す。


「えっ、これって……」


「弁当だよ弁当」


 それを見るや否や、なぜか美緒は困ったように顔を引きつらせた。もしや何の連絡もせず、いきなり渡すのはまずかっただろうか。


「ど、どうしてボクにまで?」


「どうしてって、この間色々と相談聞いてもらったろ? そのお礼にと思ってさ」


 あの時美緒は『ボクも食べたい!』とか言っていたし。こいつは昔から昼飯は野菜ジュースしか飲まないので、弁当を作ったら喜ぶと思ったんだけど。


「え、あ、いやぁ……」


 なんだろう。

 この凄く微妙な反応は。


「もしかして要らなかったか?」


「別にそういうわけじゃないんだけどね」


「ん?」


 要らなくないなら、なんでそんな困ったような顔をするんだ?


「お前いつも野菜ジュースしか飲まないだろ?」


「そ、そうなんだけど……」


「なら今日くらい俺の弁当を食ったっていいんじゃないか?」


「う、うん、それはまあいいんだけどさ……」


「もしかしてダイエットでもしてるのか? それなら大丈夫だぞ? 何たって俺の弁当は完璧に栄養バランスを考えて作ってるからな」


「うーん、そうじゃなくて……」


「じゃあなんでそんなもったいぶってるんだよ」


「もったいぶってるっていうか……その……」


「この弁当、美緒の為に作って来たんだぞ?」


「んんんん……」


 どうしてこうも浮かない顔をしているのか。


 初めこそ弁当が要らなくて困ってるのかと思ったけど、どうやらそういうわけでもなさそうだし。手作りした弁当をここまで拒否されると俺とて少し傷付く。


「腹一杯になったら残してもいいから。とりあえず受け取ってくれよ」


「え、いや、それはちょっと……」


 手作りしておいて引き下がるわけにもいかず。俺は困惑する美緒に押し付けるようにして弁当を渡した。






 次の瞬間だった。






「ん」


 何やら俺の胸元に梓の手が伸びてくる。

 その手にはさっき渡したはずの弁当が。


「な、何だよ」


「……えす」


「えっ?」


「返すっ!!」


 投げやりにそう言い放ったかと思えば、梓は無理やりに弁当を押し付けて来た。


「お、おい……!」


「伊織のバカッ! アホッ! 間抜けっ!」


 そして逃げるようにして教室の奥へと行ってしまった。去り際に飛び出した大声での罵倒に、教室内からは多数の怪訝な視線が集まる。


「おい梓! 梓ってば!」


「うっさい! どっか行け!」


 入り口から必死に呼び戻そうとするもダメ。さっきまではあれほど機嫌が良かったはずなのに、何をそんなに怒っているのか。


(どうなってんだよ、まったく……)







 俺が呆気にとられていると。


「はぁ……伊織ってばもう……」


 何やら美緒は頭を抱えて見るからに落胆していた。


「ほんと伊織っておバカさんだよね」


「おバカさん……⁉︎」


「そうだよ。まったくもう……」


 ガクンと肩を落としそんな一言を。

 この様子だと相当呆れていらっしゃるようですが。


「もしかして俺、何かしました……?」


「はぁ、やっぱり気づいてないんだね。それも伊織らしいや」


「な、何だよそれ……今絶対俺のことバカにしただろ」


「はぁ……」


 短い会話でため息を三回。

 そんな露骨に呆れられると、訳を知らずとも傷つくんですが……。


「はい、これ返すよ」


「えっ……お前も⁉︎」


「だってボクだけ貰うわけにもいかないでしょ?」


「そうは言ってもだな……」


 梓に続いて美緒にまで受け取ってもらえないとなると、いよいよこの弁当たちがただの要らない子になっちゃうんですけど。


「とにかく、作戦は失敗だねー」


「失敗って、そんな簡単に言わないでくれよ……」


「だって失敗は失敗だもん。ちゃんと反省して」


「んなこと言われてもな。そもそも何がまずかったんだ?」


「知らなーい。そこは自分で考えなー」


 最後は投げやりな感じでそう言い残し、やれやれと教室に戻ってしまった。残されたのは、計り知れない虚無感と謎。そして行き場を失った弁当が二つ。


(何なんだよ本当……)


 一体どこで選択肢を間違えてしまったのか。

 弁当を渡すところまでは完璧だったはずなんだけど。


「女心ってわかんねぇ……」










 ……ん? 女心?


 ふと脳裏に浮かび上がってくる。

 今朝レナに言われていたあの話。


 女の子には女心があるとか何とか。

 お兄は四方八方に好意を振り撒き過ぎだとか。


 朝っぱらから何言ってんだと思って、あの時は適当に聞き流したけど。もしかしてレナが言ってたのって、こうならないように注意しろってことだったのか?


 だとするなら、俺が美緒に弁当を渡そうとした時、露骨に渋っていたこととも何か関係があるのだろうか。あの様子だと、美緒も何か勘付いていたっぽいけど。


「自分で考えろって言われてもなぁ……」


 あいにく俺は生まれながらの日本男児。ただでさえ口に出されにくい女の本音を解れと言われても、そんなの到底理解できるはずが……。








「……嫉妬」


 無自覚でそう言葉にしていた。

 何を根拠にしたのかは自分でもわからない。でも口に出したその瞬間、喉元につっかえていたはずの何かが、スッと腹の中に消えて行ったのがわかる。


(でも梓には彼氏がいるはずだろ……? なのに嫉妬って……)


 しかしながら嫉妬という感情は、好きの上に成り立つもののはず。だとするなら梓は俺のことが好きということになるけど、そんなわけでもないだろうし。


「……んー、わからん」

 

 その他にもいくつか可能性を模索してみたが、結局俺の足りない脳みそでは、それらしい答えは出なかった。


 とはいえ良かれと思ってやった行動が、見事に空回りしてしまったのは事実。これ以上関係を拗らせまいと、俺は必死になって梓に謝ったのだけど。


「梓! すまん! 俺が悪かったから!」


 プイッ。


「話だけでも聞いてくれ!」


 プイッ。





 こんな感じで。

 俺が何を言っても梓が目を合わせてくれることはなく、その代わりに周りからの視線があまりにも痛すぎた為、仕方なく俺は一度出直すことにした。





 その後。


 いつまで経っても不機嫌な梓に、俺は恥を捨て何度も頭を下げたのだが……聞く耳は持って貰えず。放課後一緒に帰る流れも、あいにくと打ち止めとなってしまった。


 ちなみに受け取って貰えなかった弁当たちはというと。心優しいクラスの野球部連中が、米粒一つ残さずペロリと綺麗に平らげてくれた。


「伊織の弁当マジ最高だわ!」


「また明日も作って来てくれよ!」


 なんて高評価を貰えたがこれっぽっちも嬉しくない。


 幼馴染の機嫌は取れなくとも、野郎たちのハートはガッチリと掴むことが出来る。そんな残念な星の元に生まれた俺であった。

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