第4話 梓の本音は

 今朝、昇降口で伊織に会った。

 でもまともな会話は一切出来なかった。


 今思うと凄く不思議だ。


 昨日までは伊織のことを考える度に悲しくなって、夜通し落ち込んでたはずなのに。いざ顔を合わせると、無性にイライラが湧いて来たんだから。


 初めは無視しようかと思った。

 でも向こうから声を掛けて来てくれて、ようやく仲直り出来るって期待したけど。結局どう接していいのかわからなくて、あんな態度を取ってしまった。


 ほんとは早く仲直りしたいって思ってる。これ以上伊織に嫌われたくないって思ってる。でも今朝の私は自分から見ても凄く素っ気なかったと思う。


 伊織は頑張って話題を振ってくれてたのに。きっとあいつも仲直りしようと必死だったのに。私はその気持ちを無下にして、逃げるようにその場を後にしたんだ。


「はぁ……」


 思い返すとため息が出る。

 朝はイライラしてたくせに、今度はまた落ち込んでるんだから。ほんと私ってめんどくさい女だ。


(自覚はあるんだけどなぁ……)


 わかってはいるけどどうにもできない。

 伊織のことになると、昔からずっとこんな調子。


 あの二人の間には何も無い。


 一度はそう思うことにしたはずのに……『でもやっぱり付き合ってるかも』とか『お互い好き同士なんだ』とか、マイナスな妄想を次から次へと生み出してしまう。


 そのせいで昨日はあまり寝れてないし。おかげで目の下にはクマができてるし。イライラして当たっちゃうし……はぁ、ほんと最悪。







「梓、大丈夫?」


「へっ……⁉︎ な、何が⁉︎」


「ちょっと顔色悪いみたいだけど」


 授業の合間の休み時間。

 席でぼーっとしてたら、突然美緒に声を掛けられた。


「保健室行く?」


「だ、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」


 ちょうど二人のこと考えてたから、身体がビクッとなっちゃった。この感じだと、きっと私のことを心配してくれてるんだろうけど。


「梓? どうかした?」


 なんだろう。

 この複雑な気持ち。


「やっぱり体調悪い?」


「う、ううん。何でも無いの」


「ならいいんだけど」


 親切にしてもらってるはずなのに。

 なぜか私は美緒の顔を直視できなかった。


「何かあったらボクに相談してね」


「う、うん。ありがと」


 美緒はとても良い子。

 そんなのは中学の頃から知ってる。



 でも——。


 

 思えば今日一日、私は無意識のうちに美緒を避けてた気がする。普段は『大』が付くくらい仲が良いはずなのに。どうして私、こんなに動揺して……。


「えっとね梓」


 ちょっとだけ気まずい。

 そんなことを思っていた矢先だった。


「一つ聞いてもいい?」


「うん?」


 美緒は真剣な面持ちでこんな一言を。








「梓って彼氏とかいたりする?」


「へっ……?」








 前振りのない急な方向転換に、思わず素っ頓狂な声が漏れる。


「か、彼氏?」


「うん」


 まるで全身から力が抜けるような、不思議な感覚になった。まさか美緒の方からそんな話題を振って来るなんて、意外だったからちょっとびっくり。


「ごめんね急に変なこと聞いて」


「う、ううん。別に大丈夫だよ」


「おかしいよね。ボクがこんなこと聞くなんて」


「おかしくはないけど、でもどうして?」


「えっ? どうしてって?」


「ほら、今までの私たちってその手の話しなかったじゃん? だからどうしてそんなこと聞くんだろうなって」


「あー、えーっと、それは……」


 折り返し尋ねると、なぜか美緒はわかりやすく目を泳がせた。そして難しそうな顔で「んん……」と喉を鳴らしては。


「き、気になるからだよ!」


 と、まるで今思いついたように一言。

 これには私も苦笑いをするしかなかった。


「そ、そうなんだ」


「うん! そうそう!」


「ちなみに他の理由は?」


「んー……無い!」


「無いのね……」


 ここまでわかりやすいといっそ清々しい。どうやら美緒は何かを誤魔化そうとしてるんだろうけど、わざわざ私に彼氏がいるかどうかを聞く理由って一体……。





(もしかして……伊織と付き合ってるからって私をおちょくりに——?)





 いやいや。

 美緒に限ってそれはない。

 ちょっと性格悪すぎだよ私。


「それで、梓に彼氏はいるの?」


「え、あ……うーんとね」


 理由はイマイチわからないけど、彼氏がいるかいないかぐらい、仲の良い美緒になら教えてあげても問題ないよね。この子なら誰にも口外しないだろうし。


「今のところはいないかな」


「えっ⁉︎ いないの⁉︎」


「う、うん。普通にフリーだけど」


 控えめに答えると。

 なぜか美緒は嬉しそうに語尾を強めた。


 そして探るようだった表情をパッと明るくして。


「やっぱり! ボクの思った通りだ!」


 と、大きめの声でそんな一言を。

 これには私も疑問に思って目を細める。


「”やっぱり”って、一体どういう意味?」


「梓には彼氏なんかいるはずないって思ってたから!」


「彼氏なんかいるはずない⁉︎」


「うん! だって男子に興味無さそうだし!」


「ちょ、ちょっと待って美緒。なんか言い方酷くない⁉︎」


 何をそんなに嬉しそうなのかと思ったら……私が男子に興味無い⁉︎ そりゃ私は生まれてこの方伊織一筋だけど、だからってその言い方はちょっと引っかかるよ⁉︎


「もしかして私のことディスってる?」


「ディス……⁉︎ そんなわけないじゃん!」


 目で圧を送ると、美緒は慌てて困り顔を浮かべた。

 そしてわかりやすく目尻を下げては。


「ごめんごめん、悪気はないの!」


「えー、ほんとかなぁ」


「ほんとだよ⁉︎ 信じて梓!」


「うーん。そこまで言うならまあ」


「あ、ありがと……! よかったぁ」







「でも」


「ん?」


 ホッとしている美緒に私はジト目を向ける。

 そしていかにも気にしてますよ的な口調で。


「私、ちょっと傷ついたかも」


「えっ……⁉︎」


 ほんのちょっとだけ意地悪を言ってみた。

 すると美緒の表情には目立って焦りの色が。


「そ、それってボクのせい……?」


「うーん、どうだろうねー」


「えぇぇ⁉︎ 梓ぁぁ⁉︎」


 続けて答えを濁してみると、今度は私の手をギュッと握りしめてきた。縋るように私を見つめるその綺麗な瞳は、不安からか、ゆらゆらと小さく震えていた。


「ねぇごめん! ほんとに悪気はなかったから!」


「悪気はないって言われてもなぁ」


「これでも梓のこと凄く凄く大好きなの!」


「うーん、それは嬉しいんだけどー」


 やがて真剣な面持ちで告白までされちゃった。ここまでされたら許してあげたいけど、もうちょっとだけ困ってる姿も見たいかも。






 なんて、意地悪なことを考えていると。





 

「えっ……ちょ、ちょっと美緒⁉︎」


 それを阻むかのように美緒は私に密着してきた。

 そしてその細くて柔らかい身体で、力強く私を抱きしめるのだ。


「ごめんよぉぉ! 梓ぁぁ!」


「えっ、えぇぇぇ⁉︎」


「ボクのこと嫌いにならないでぇぇ!」


 涙ながらに抱擁する美緒の迫力に、思わず私は気圧される。


「わ、わかったから落ち着いて!」


「嫌だぁぁ! もう離れないっ!」


 慌てて宥めようとしたけど、聞く耳は持ってもらえない。おまけに気づいた時には、教室中から怪訝な視線が集まっていた。


「み、美緒……! みんなに見られてるから……!」


「そんなの気にしないっ!」


「気にしないって……」


 今触れ合っているのは美緒だけど、不意を突かれたせいもあって、同性ながらも私の心はドッキドキのバックバク。


 こんなにも密着されると……その……む、胸とか思いっきり当たっちゃってるし。美緒のは大きいからいいけど、私のはちょっと……。







「じょ、冗談だから!」


「……えっ? 冗談?」


「そう! だからとりあえず離れよ?」


 あまりの恥ずかしさに耐えられず、慌ててネタばらしをすると、美緒は身を引いてキョトン。


「ごめんね。ほんとは全然怒ってないの」


「怒ってないって……えっ⁉︎」


 初めこそまだ状況を掴めていないようだったけど、申し訳なさから出た私の苦笑いで、虚ろだった美緒の表情は一気に砕けた。


「もぉー! からかわないでよー!」


「ごめんごめん。つい美緒が可愛くって」


「かわっ⁉︎ 全然そんなことないよ!」


「えー? 可愛いよー」


 こうしてピュアな反応を見せてくれるあたり、私にしたあの質問の裏に、後ろめたい事情とかは一切ないんだと思う。


(やっぱり美緒は良い子なんだ)


 意地悪しておいて何だけど、私今凄くホッとしてる。それは美緒が心優しくて思いやりのある良い子だってことがわかったから。


 美緒とは中学からの付き合いだけど。

 高校生になった今、改めて実感させられた。


 美緒がどれだけ魅力的なのか。

 そして私がどれだけ美緒に劣っているのか。


 女の私から見てもその差は一目瞭然。

 美緒は私なんかよりもずっと女の子で、そして可愛い。


 褒められた時の照れたような顔も、誰にでも素直に謝れる、笑顔になれるその性格も。そして……その大きな胸も。私には無い女の子としての確かな魅力を美緒は持っている。


 それに比べて私は、素直に照れることも謝ることもできない。その上好きな人の気を引くために嘘までついちゃうようなずるい人間で、魅力と言えそうな要素は何一つとして無い。


 側から見たら美緒の方が優ってるのは明白。きっと私が男子だったら、美緒みたいな女の子を好きになってるんだと思う。


 だからってわけじゃないけど、今なら伊織の気持ちがちょっとだけわかる気がする。幼馴染の私じゃなくて美緒を選んだその理由。悔しいけど、身を以て実感させられちゃった。


「とにかく私に彼氏はいないから」


「そっか。そうなんだね」


 私に彼氏がいないことで、美緒にどんな利点があるのかはわからない。でも美緒は心底ホッとしたような顔をしていた。


「これで美緒は満足?」


「満足満足! ……ってごめん!」


「あはは、いいよ無理に隠さなくても」


 相変わらずの美緒らしい姿に笑いが溢れ、やがてタイミングを見計らったかのように授業開始のチャイムが鳴った。


「じゃあ授業始まるからボクは席に戻るね」


 ひらひらと手を振り席に戻る美緒。去り際に見せたその無垢な笑みは、多分私には一生真似できないものなんだと思う。


(こんなの伊織も好きになるに決まってるよね)


 やっぱりこの子には敵わない。

 伊織の隣にふさわしいのは私じゃなくて美緒なんだ。


 より明確になって浮かび上がったその事実を前に、私の心はチクリと痛んだ。








 * * *








 ぼーっとしているうちに、気づけば午前の授業が終わってた。お昼にしようとしたけど、そういえば今日はお弁当を持って来ていないんだった。


 昨日の夜、伊織にメールで『弁当持ってこないで』って言われたけど。結局のところあのメールは一体何だったんだろう。


 もしかして、喧嘩した私に意地悪したかっただけなのかな。







「大野さん」


 そんなことを考えていると。

 不意に後ろから声を掛けられた。


「……江口さん?」


「やっほ、江口です」


 振り返ると、そこにいたのは江口さん。

 うちのクラスの学級委員長だ。


「えっと、何か用?」


「あのね、大野さんを呼んでほしいって人が来ててね」


「私を?」


「うん、廊下で待ってるって」


 どうやら私を訪ねて誰か来てるみたい。

 いきなり江口さんに話しかけられたからびっくりしたよ。


「それって誰かわかる?」


「うーん、多分四組の人だとは思うんだけど。名前までは……」


「そっか。わかった、わざわざありがと」


「ううん。大丈夫。それじゃ私は行くね」


「うん、ありがとね」


 そう言うと江口さんは、ヒラヒラと手を振りながら自分の席に戻って行った。今思うと江口さんと話したのは、結構久しぶりな気がする。


(誰だろう。わざわざ私に会いにくるのって)


 他のクラスの知り合いなんてたかが知れてる。

 だからこそ私は少し緊張のようなものを覚えた。

 

「い、伊織だったりするのかな……」


 可能性は大いにあり得るけど。

 でも今朝はあんな態度を取っちゃったわけだし。

 わざわざ伊織の方から会いに来てくれるなんて……。

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