第3話 伊織の弁当は
「お兄おはよー」
「おうレナ。おはよう」
普段通り台所で弁当を作っていると。
妹のレナが眠そうに目を擦りながら起きて来た。
「お兄、今日の朝ご飯はー?」
「お前、起きてすぐにそれかよ」
「だってお腹空いてるんだもん」
確かに朝は腹が減るもんだけど。
「その前にまずは顔洗ってこい」
「はーい」
俺が言うと、レナは「あわわ」とあくびをしながら洗面所に向かった。
その間に俺は出来上がったおかずを急いで弁当に詰めて、その残り物をテーブルに並べる。ついでに箸も並べる。
「なになにー、もしかして卵焼きー?」
「ああ」
「やったー! お兄の卵焼き美味しいんだよね!」
戻って来たレナは目をキラキラと輝かせながら一度椅子に座ったが、何やら思い立ったように立ち上がっては、スタスタと俺の隣に。
「私も何か手伝おうか?」
「いやいいよ。あとはご飯よそうだけだし」
「そしたら私がやるよ」
どうやら準備を手伝ってくれるつもりらしい。
別にそのまま座って待っててくれていいのに。
「わるいな手伝わせて」
「いえいえ」
慣れた手つきで茶碗にご飯をよそうレナ。
担当外のはずなのに、レナはいつもこうして俺の手伝いをしてくれる。洗い物とか後片付けとか、頼んでもないのに率先してやってくれるんだよな。
「お兄このくらい?」
「もうちょい少なめで頼む」
「はいはーい」
うちには両親がいない。
正確には今仕事の都合で家を空けている。
俺が高校に入学すると同時に始まったレナとの二人暮らしだけど、一年以上経った今でも特に大きな問題とかは無く、何とか普通に暮らせてる。
それは俺たち兄妹の仲が良いというのもあるけど、一番は至らない俺をレナがフォローしてくれているというのが大きい。
「あ、お兄。またお箸あべこべー」
「ああすまん。見間違えた」
「もう、おっちょこちょいなんだからー」
こんな感じで。
基本俺は抜けてるからレナがいてくれて本当に助かってる。
ちなみにうちの家事は俺とレナとで分担してる。
俺が料理担当で、妹のレナが掃除や洗濯の担当。それ以外の細かいところは、気づいた方がやるという決まりになっている。
普通この状況下なら、担当以外の家事をどちらかに押し付けたくなるところだけど、幸い俺たちの間にそういった争い事は無く、むしろレナがフリーな部分を率先してこなしてくれている状況だ。
「お兄もお茶飲むでしょ?」
「ああ、飲む飲む」
「そしたら用意しとくねー」
細かいところまでよく気がつく。我が妹ながら本当に良くできた子だと思う。おまけに見た目も可愛いのだから、学校ではさぞモテるのだろうな。
「いただきまーす」「いただきます」
手を合わせてすぐ、レナは大好きな卵焼きに箸を伸ばした。それを一口で口の中に入れると、「んん〜!」と今にもとろけてしまいそうな顔を浮かべる。
「お兄の卵焼きやっぱり美味しー!」
「そうか。ならよかった」
「もう最高だよー。これは嫁に行っても苦労しないね!」
「おいおい、これでも俺は男だぞ。断じて嫁には行かん」
そんな冗談混じりの会話をしながら、箸を進めていると。
「ところでお兄」
「ん、どうした」
「お弁当、何で今日は三つもあるの?」
「え、あっ……」
そういえば。
おかずを詰めてそのままにしてたの忘れてた。
「もしかして私の分もあったりする?」
「いやすまん。レナの分は作ってないや」
「えー」
不満そうに口を尖らせるレナ。
言っといてくれたら用意したのに。
「でもお前、いつも購買のマジカルイティゴ&べナナクリームパンだよな」
「そうそう! あれ凄く美味しいんだよね!」
「そんなこと言って、菓子パンばかり食べてると太るぞ?」
「もうっお兄! 余計な心配しなくていいの!」
むぅぅ〜と鋭く睨まれる。
まあ今の発言はデリカシーに欠けていたけど。
「ちゃんと栄養あるものも食べろよ?」
「そうだね。若いうちから気をつけないと」
兄としては遠慮がちな妹のことが少し心配だ。
おそらくレナがお昼を購買で済ませるようになったのって、俺への負担を少しでも減らそうとしてくれてるからなんだよな。
去年まではレナが中学生で、学校に購買とか無かったから俺が弁当を作ってたけど、高校になった途端『今日からお弁当いらないから』って言い出したんだ。
俺からすれば、もう一つ弁当を作るくらいなんてことないのに。昔からレナは何かと俺を気遣っては遠慮するところがあるから、我慢し過ぎてなきゃいいんだけど。
「たまには甘えても良いんだからな」
「うん、じゃあまた今度作ってもらおうかな」
「その時はレナの好きなおかず沢山入れてやる」
「ほんと⁉︎ やったー! 楽しみにしてるね!」
「ところでお兄。そのお弁当は誰にあげるの?」
ギクッ……。
自然と話は流れたものだと思ったけど。
どうやらうちの妹はそんなにちょろくないらしい。
「お兄が他の人のお弁当作るなんて珍しいよね?」
「ま、まあそうかもな」
「もしかして彼女でもできた?」
「べ、別にそういうわけじゃないけど」
「ふーん」
嘘をついてるつもりはない。
なのに何だよその含みのある顔は。
「一応聞くけど。渡す相手は女の人?」
「ま、まあ……」
「となると、やっぱり梓ちゃんかな?」
「そこは別に誰でも良いだろ……」
すると今度はニマニマとした笑みを浮かべる。
「な、何だよ」
「別にー」
何を言われるのかと身構えたけど、レナは何も言わずに卵焼きをパクリ。「ん〜!」と満足そうな顔をしているあたり、今回は見逃してくれるのだろうか。
(はぁ、やっぱり苦手だ……)
いくら仲が良いとはいえ、妹とこの手の話をするのだけは、どうしても気が進まない。恥ずかしいというか何というか、こう胸の辺りがソワソワするのだ。
俺は今まで女子に弁当を作るなんてことしなかったから、そりゃレナだって多少は気になるんだろうけど。だからって話題にされると息が詰まる。
「一つだけ言っておくね」
ようやく落ち着いたかと思えば。
今度は何だろう。レナはピタリと箸を止めた。
「お兄さ」
「お、おう」
そしてビシッと俺を指差しては。
「人が良いのは良いことだけど、あんまり四方八方に親切を振り撒いてると、本当に大切なモノを見失っちゃうからね」
そんなアドバイス的な一言を。
「本当に大切なモノ……?」
「そう。あのお弁当、両方とも女の子のだよね?」
「ま、まあ……」
「で、その片方は本命なんでしょ?」
「うぐっ……お前なんでそれを……」
俺が言葉に詰まると、レナは得意げに鼻を鳴らした。
「ふふっ、妹には何でもわかってしまうのですよ」
「だとしても勘が良すぎだろ……冷やっとしたわ」
これが世に聞く妹の勘というやつか。
確かにあの中の一つは梓に渡すものだけど。
「仮に本命だとして何かまずいのかよ」
「うーん。まずいっていうか何というか」
するとレナは顎に手を置いて思案顔を浮かべる。
そしてしばらく「んー」と喉を鳴らした末に。
「まっ、女の子には女心ってものがあるんだよ」
「何だよそれ……」
めちゃくちゃ簡潔にそんな一言を。
簡潔過ぎて到底俺には理解できない。
「やっぱりお兄にはわからないかー」
「お前その顔……今絶対バカにしてるだろ」
「てへっ」
ペロッと舌を出して誤魔化そうとするレナに、俺は細い視線をぶつける。とはいえ理解できてないのは確かだから、何も言い返せないんですけどね。
「……女心ねぇ」
小さく呟いてみても、やっぱり俺には分からない。そもそも俺が二人に弁当を渡すのと女心とで、何の関係があるのやら。
——人が良いのは良いことだけど、あんまり四方八方に親切を振り撒いてると、本当に大切なモノを見失っちゃうからね。
レナはそんなことを言ってたけど、別に俺は四方八方に親切を振りまいてるつもりはないし、大切なものから目を背けるつもりも全くない。
美緒の弁当だって、この間のお礼にと思って用意しただけの話で。どうせ梓に弁当を作るなら、ついでに美緒の分を作っても何の問題も無いはずだ。
「とにかく気をつけてねお兄。これは妹からの忠告だからね?」
「あいあい。よくわからんが気をつけるよ」
* * *
その日。俺は梓と別登校だった。
まあ喧嘩した後だから当然といえば当然だけど。
「ん」
「え」
なんて思ってたら。
昇降口で梓とばったり会った。
「お、おう」
「……うん」
無視するわけにもいかず、とりあえずで絡んでみたけど……やっぱり気まずい。この感じだと梓もまだこの間のことを気にしてるっぽいな。
「な、なあ梓」
「何」
「昨日のメール見たか?」
「見たけど」
「そ、そうか」
重い空気に反するように、俺は続けて聞いた。
というのも俺は昨日、弁当被りを防ぐために『明日昼飯持ってこないでほしい』と梓にメールしていた。
喧嘩中だから無視されるという不安はあったが、どうやら言った通り弁当を持ってきてないっぽい。てかメールを見てたなら、一言くらい返信してくれればいいのに。
「て、天気いいな」
「は、いきなり何」
「い、いや。今日は天気がいいなって思って」
何がともあれ、今のうちに渡しておこう。
なんて思ったけど。
いざ渡すとなると、どう切り出したらいいのやら。
「あ、そうそう。昨日の『帰ってQ』観たか?」
「観てないけど」
「いやー、エモトがさ、超でっかいナマズ捕まえてさ」
「へー」
「マジで面白かったんだよー」
…………。
「で?」
「……え?」
「だから、で?」
「い、いや……終わりだけど」
出来るだけ梓の機嫌を取ってから渡そうと思ったが、俺が口を開けば開くほど、梓の眉間に干し梅のようなシワが寄るのは明白だった。
会話をしようにも全くキャッチボールが続かないし、俺の会話センスが無さ過ぎるせいで、いつまで経っても弁当に話題をシフトできない。
(どうすればいいんだよこれ……)
おかげで梓とは終わりの見えないにらめっこ状態。俺がもっとしっかりしてれば、弁当なんてさくっと簡単に渡せるんだろうけど……。
「結局何が言いたいわけ?」
「いやー、何というかその……」
「用があるから話しかけたんでしょ?」
「べ、別に用ってほどでもないけどさ」
あいにく俺は生まれながらのヘタレ。梓とは十年以上の付き合いがあるのに、弁当の一つも渡せやしない。
素直に「はいどうぞ」って、それだけで済むのに。なんで俺はそんな簡単なことも満足に出来ないのだろう。今のとか割とチャンスだったのにな。
「用が無いならもう行くから」
「ちょまっ……!」
そして毎度お馴染みのゲームオーバー。
梓は振り返りもせずにそそくさと階段を登って行ってしまった。
「伊織くんおはよう」
「ああ、瑠夏か。びっくりした」
去り行く梓の背中を呆然と眺めていると。
登校してきた瑠夏に背後から声をかけられた。
「なんか暗いね。どうかしたの?」
「いやぁ、別に何でも……」
幼馴染と仲直りをするためせっかく弁当を手作りしてきたのに、ヘタレ過ぎて渡せませんでした……なんて、口が裂けても言えない。
「そう言えば伊織くん」
「ん」
「伊織くんに彼女がいるっていうのは本当?」
「いやいやそんなワケ……って、はぁっ⁉︎」
突然何を言われるのかと思えば。
俺に彼女がいるだって⁉︎ はぁっ⁉︎
「おまっ……それどっから⁉︎」
「まあ、風の噂で?」
「どこの風に聞いたらそんなネタ吹いてくるんだよ……!」
曖昧な物言いの瑠夏に、俺は精一杯の突っ込みを入れる。
きっとこの感じだと、誰かから聞いたんだろうけど……そもそも俺はそんな嘘、梓にしか言った覚えがないんだが⁉︎
「お前絶対梓に聞いたろ……」
「さぁ、どうだろうねぇ」
この誤魔化し方、間違いない。
瑠夏にしては珍しく顔に書いてあった。
(あの野郎……人の個人情報をペラペラと)
ってのは一旦置いておくとして。
梓と繋がってるとなると真実だと言う他ない。
「い、一応いるけど」
「へぇー」
控えめに答えると、なぜか瑠夏は俺の顔を覗き込むように見つめてくる。これはもしや……俺の渾身の嘘に気づいたのだろうか。
「な、何だよ」
「ううん。何でもない」
この含みのある表情。
何でもないわけが無かろう。
「言いたいことあるならハッキリ言えよ」
「別にないよ。だって伊織くんには本当に彼女がいるんだよね?」
「ま、まあ……いるけどさ」
「なら僕はそれを信じるだけだから」
嘘を突き通す覚悟はとっくに出来ていたはずだったけど……。
どうしてだろう。
梓の時とは違い心が痛い。
「それじゃ僕は先に教室行ってるね」
「お、おう……」
そのまま一人階段を登って行った瑠夏。
残された俺にはやるせないモヤモヤだけが残ったのだった。
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