雷獣発電機④
弥生はありったけの護符をこしらえながら、地上にいる悟へと電話をかけた。一般の来場客の避難が完了し、慌ただしいものの、動きやすくはなっているということだった。
『本部からの応援も到着し始めてる。人手は十分あるぞ』
「重畳。それじゃあ、タワーの周辺に結界を張ってください。そっちに星辰会の陰陽師が向かってますから、やり方はそいつが詳しいと思います。とにかく、『雷獣』を、タワーの敷地から外に出さないように」
『どうするつもりだ?』
「巨大な『雷獣』が使うための、どでかい
『つまり……東京タワーそのものを砲針にして、あれを天に返すと?』
「はい」
弥生は今にも破れてしまいそうなほど激しい音で揺れる扉を眺めた。
「たぶん、この小さな結界だけじゃ、あの『雷獣』を封じ込めておけません。だから、一度タワー全体を巨大な結界の中心に見立てて、こいつのエネルギーを逃がします。落雷を、アースで地面全体に逃がすように。その後で、タワーを結界の中心、天と地を繋ぐものとして見立てて、こいつを天に送り還します」
悟はううむ、と電話越しに唸ったが、やがて決心したように息を呑んだ。
『分かった、結界は任せろ。五分でやる。そっちも、しくじるなよ』
「はい」
地上からの連絡を待つ間に、弥生はスーツを脱ぎ、金属のワイヤーが入った下着も全て外し、一度裸になってから、ワイシャツとスーツの下だけを身につけた。そして、スマートフォンを壁に立てかけて、セルフィーカメラで全身を確認しながら、朱墨でできるだけの呪文を書き連ねる。
電話がかかってきた。地上の悟からだ。
『東京タワー全体は封鎖した。結界も、急拵えだが敷設した。随時結界は厚塗りしていくから、いつやってもいいぞ』
「いってきます」
意を決して弥生は実験場の扉に手をかけた。金属の取手はゴムのカバーが被せられて絶縁されていたが、熱湯を注いだマグカップのように熱せられていた。
「ふぅ。よし」
覚悟を決めて、扉を開く。
雷鳴が耳をつんざいた。
すでに祭壇はぼろぼろに壊れ、結界は破壊されていた。弥生は、部屋いっぱいに身を広げた『雷獣』に相対する。
白く長い身体。体長は数メートルではきかない。まるで恐竜だ。こんなものが、あの狭い結界の中に押し込められていたとは。むしろ、よく今まで保ったというべきか。鱗のひとつひとつが七色に輝き、巨大な翼は蝶の翅のように色めいている。美しかったが、見惚れていると一瞬で気をやられてしまう。
雷獣はゆったりと身をもたげながら、その巨大な顎で吼えた。どこかもの悲しい響きにも聞こえた。
「日本国諸仏諸神奉天忽忽――九九八十一、蘇民将来子子孫孫――」
呪文を唱えると、部屋中にとどろいた稲妻が、勝手に弥生の身体を避けていく。黒い壁や床が、さらに焦げ付いてひび割れていく。
弥生は、部屋の隅に倒れていた巨大な銅鑼を起こし、近くに転がっていたバチを拾い上げた。深呼吸。護符を掲げ、『雷獣』の黒い瞳を凝視する。
「目を見る」は、「指をさす」と同様に、原初の呪術のひとつだ。『雷獣』は咆哮を止め、ぴったりと、こちらを見極めるように見つめ返してくる。右手にバチを握りしめながら、左手では絶えず印を結び続ける。
「臨兵闘者皆陣列在前――南天朱雀、悪鬼退散――」
呪文に呼応して、雷獣の身体から、雷が静かに消えていく。弥生は不思議と落ち着いていた。雷獣も、落ち着いているからだろう。
やがて、目の前が真っ白になって……
銅鑼のバチを掲げる。
「悪鬼雷神打返――尸鬼、急急如律令」
力強く、銅鑼を叩いた。
雷鳴のような銅鑼の音に重なって、真の雷鳴が轟いた。地響きと同時に壁が震え、天が震えた。
全方位からの衝撃で押し潰されそうになるのをこらえ、視界が開けると……そこには何もいなくなっていた。
あたりはしんと静まりかえって、弥生がずっと感じていた重圧が消え去っていた。『雷獣』は、首尾良く天へと還っていったのだ。
◯
「うーっ。メイク落とし、メイク落とし……ふだんメイクしないからなあ。お、あった。古いけど使えるかな」
移動用のワンボックスカーの中で、弥生は身体中に塗りたくった墨をなんとか落とし、スーツに着替えてようやく元通りの姿に戻った。
車を出ると、非常線の内側で慌ただしく動いている、救急隊員と警察官、それから陰陽寮の本部の構成員の姿があった。
その中に悟と、彼と立ち話をする、異様な雰囲気のスーツの男がいた。三十代くらいだが、細面で妙に若々しい。猛暑の中でジャケットまで完璧に着込んでいて、見ているだけで暑苦しくなるほどだ。異様な雰囲気の原因は、腰に刺した短い『刀』――それは最高位の陰陽師の印だ。真剣ではないが、現代において佩刀を許可されている人間はそれだけで目を引く。
彼はこちらに気が付くと、目配せして、眉をわずかに動かした。挨拶のつもりなのだ。
弥生はますます胃の奥を冷たくしながら、ふたりの元へと向かった。
「……どうも。久弥さん」
「おう」
悟は何も言わずにいる。
男――御影久弥は、東京タワーをしげしげと眺めて、それから弥生を見た。
「なんですか……じろじろ見て」
すると、白い布手袋に包まれた親指で、弥生の目元をぐいっと拭った。
「朱墨が付いてる。どうした?」
「急場の策で」
「ふむ……」
「久弥さん。ちょっと」
若い女性が非常線の内側から呼びかけた。男は声のするほうに軽く手をあげて応えると、隣にいた悟に軽く一礼して、それからゆっくりと非常線の奥へと入っていった。
声が届かないくらいの距離になったところで、弥生は悟に悪態をついた。
「ちょっと、何であの人がいるんですか」
「たまたま近くにいたからだとさ。それに、お前の顔を見たがってたぞ」
弥生は見られたくなかった。
「現場はあいつに引き継いだ。後始末は本部の人間でやってくれるってさ」
「後始末に呼ぶような人じゃないでしょ。仮にも、日本最高位の陰陽師のひとりを……」
「あいつは優秀だから何でもできるのさ。さて、とりあえず俺たちは事務所に戻ろう。あとあと、報告書という名の始末書を書かなきゃならんからな」
しかし、と悟は煙草に火をつけながら、東京タワーを見上げた。
「よくやった。いや、壮観だったぞ、東京タワーが真っ白に光り輝いたかと思ったら、『雷獣』がまるで流れ星みたいに天に還っていく光景は。この世の終わりかと思ったが、神々しかったなぁ。写真か何か、撮っておけばよかったな」
「そうですか」
弥生は正直くたびれ果てていて、冗談に反応する余裕もなかった。それに、この世の終わりかと思ったのは、こっちも同じだ。
『雷』は、『神なり』。世界中あらゆる文化圏で神格化される、この世とあの世をひっくるめたうちで最も純粋なエネルギーのひとつだ。その化身と相対して、怪我もなく無事でいられただけでも、奇跡と言っていい。
「『東京タワー』をうまく利用したな。ここは皇居からみて南側、それにタワーは赤い――雷の持つ『木』の気は、『火』の気を増長させる。『雷獣』のもつエネルギーを逃がしてから、増長させたエネルギーを、鉄塔として持つ『金』の気のエネルギーに変えて、その反発力で『雷獣』を天に撃ち還した――ってところか。立地も、建築的な特徴も、すべてが味方した。ここに実験場が設置されていたことも含めて、不幸中の幸いだったな」
「これだけ巨大な建造物ですから、それ自体がかなりのエネルギーを持っているでしょうし。適当に設定しても、案外うまくいきましたね」
それがうまくいかなかったらお手上げだった。弥生は改めて冷や汗をかく。東京タワーが赤と白のツートンカラーなのは、航空機が安全な高度を識別しやすくするためらしいが、それが偶然うまく働いたのだ。
「そうだ。木山さんと、星辰会のあの男は?」
「とりあえず病院に搬送されたよ。まあ、目立った外傷はないし、落ち着いたら事情聴取がはじまるだろう。お前の気にしてた、星辰会の天候操作の件も、そのときに改めて追究される。ここまで大事になったら、本部も動かざるを得ないだろうしな」
「一件落着?」
「とりあえず、な」
弥生はほっとした。それなら、命を張った甲斐もあるというものだ。
悟が運転席に、弥生は助手席に乗り込んで、ワンボックスカーが走り出す。タワーの周辺では、警察と、タワーのスタッフが慌ただしく駆け回っている。
「でも、これだけの事故が起こってしまったら、『雷獣発電』の計画は頓挫することになりそうですね」
「お前がタワーの上にいる間に、意識のあったプロジェクトの参加メンバーに話を聞いてみた。お前の睨んでいた通り、尾野田星辰会は木山の研究チームから、多額の報酬を得ていたそうだ。『雷獣』を効率よく呼び込むために、天候を不正に操作していたことも証言した。星辰会の関連施設は全て洗い出されるだろう。そのときは、俺たちも一仕事あるぞ」
「実現すれば、エネルギー問題を解決する夢のプロジェクトになったでしょうに。なんだか勿体無いですね」
「この世のものではない力を、高々人間の私利私欲のために使おうとすると、碌なことにならないということだな。それを戒めるのも、俺たちの仕事だ」
赤信号で停車した時、窓ガラスにぽつぽつと雨粒が落ちてきた。空は雲ひとつない快晴、なのに、雨粒だけが落ちてくる。
「お、狐の嫁入りってやつだ。また天候予測が外れたな」
「この乱れた気を安定させるのも、時間がかかりそうですね……はぁ、仕事が山積み」
ゴロゴロ、と遠くで雷鳴まで聞こえてくる。
地平線の彼方から、薄黒い雨雲が、こちらに向かってくるのが見えた。
「どうやら本格的に一雨来そうだな。お前が送り還した『雷獣』が、仲間を引き連れてお礼参りに来るんじゃないか」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでくださいよ」
「そうだ、帰りに昼飯買っていくか。ポップコーンにしよう、それとも焼きトウモロコシがいいか?」
ゴロゴロゴロ……
遠くの空が、ぴかぴかっと点滅した。
「くわばら、くわばら」
ため息とともに、弥生は指を三本広げて『桑畑』の地図記号の形にしながら、古いおまじないを呟いた。もうしばらく、雷はうんざりだ。
YY6〜陰陽寮第六課・水座弥生の事件簿〜 王生らてぃ @lathi_ikurumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。YY6〜陰陽寮第六課・水座弥生の事件簿〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます