雷獣発電機②
陰陽寮の七つある支部のひとつ、第六課。
周囲に住宅もビルもない、ぽっかりと穴の空いたような場所に、その施設は建てられている。周囲の気から影響を受けないように厳重な結界が張られ、出入り口には警備員と赤外線センサー、そして門の両側には式神が控えている。
「なるほど。視察の甲斐はあったな」
第六課の課長、
「しかし、『雷獣』を発電機に飛び込ませて、そこからエネルギーを得ようとは。その発想はいわずもがな、それを実現できてしまう技術力にも感嘆すべきだな」
「木山の研究チームに術を提供した『尾野田星辰会』は、どうやら陰陽寮とは無関係の民間団体のようです。術の精度は高いですが、ちょっと怪しいです。私のことも煙たがっていたみたいですし」
陰陽師を擁する民間団体のうち、正式に認知を受けているのは半数程度だ。残りの半数は陰陽寮から活動に口を出されることや、利益が減ることを嫌って、陰陽寮とは完全に関係を断って活動していることが多い。こういった団体とのトラブルを折衝するのは珍しいことではなかった。
「今回の視察に関しても、タワーの管理会社と、寮の本部との話し合いで決定したことですし、木山はこちらの事情には明るくないようでした。もしかしたら星辰会には、私たちに首を突っ込まれると都合が悪い何かがあるのかもしれません」
「調べてみる価値はあるな。分かった、そっちは俺の方で当たってみよう。お前は引き続き、調査を続けてくれ」
「はい」
悟が煙草を灰皿に押し付けていると、サっと影がかかったように空が暗くなり、たちまち土砂降りの雨に変わった。悟は換気のために開いていた窓を閉じ、椅子に深く腰掛けた。
「最近多いですね。ゲリラ豪雨っていうんですか?」
「季節の変わり目だからな。こういう時は気が乱れやすい」
「それにしても、ここ何週間かは特に……」
ドゴロォオン……!
近くに雷が落ちたようだ。建付けの悪い事務所の窓が、ガタガタと震える。
それを見て、弥生は何か感付いた。
「もしかしたら……」
「ん?」
「課長。ちょっとお昼行ってきます」
○
弥生はビニール傘をさしてコンビニへ行き、昼食を調達して、戻ってきたころにはもう雨は止んでいた。ミンミンと蝉が鳴き、あちこちの水たまりから陽炎が揺らめいている。
半径二百メートルほどの広大な敷地の中心には、煙突の生えたひときわ異形の建造物が聳え立っている。もうもうと黒い煙が吐き出され、その周囲はさらに濃い陽炎が立ちのぼっていた。近付くだけでむせ返るほどの熱と、煤の匂いが感じられる。
扉を開くと、クリーム色のタイルが敷き詰められた廊下を跨いで、さらにもうひとつの扉がある。そこを開くと、より一層の熱気が隙間から吹きつけてくる。ガゴゴン、ガゴゴン、ガゴゴン、という、重たい金属の軋み合う音も聞こえてくる。
建物の大部分を占める巨大な黒鉄の城がそこにあった。熱気も煙も騒音も、すべてこれから発せられるものだ。
「おつかれ!
コンビニの袋を片手に、弥生は巨大な空間に精いっぱい声を張り上げた。広い空間に響いた声は、ブシュー! と蒸気の吹き上がる音でかき消されてしまった。
しかし、声は聞こえていたようで、作業服姿の蒸気技師・
「水座さん! お疲れ様です。なにかご用ですか?」
「差し入れ。ここでお昼食べていい? ついでに話したいこともあるし」
「ええ、いいですよ」
男は巨大な空間の隅にある詰所の煤けた扉を開いた。中は冷房が音を上げて唸り、外の空間とは別世界のように涼しく快適だ。
金髪の白人女性がひとり、古ぼけた機械に向き合って一心不乱に操作をしていた。古いミシンのようにペダルを踏み、手元のキーボードを叩いている。その度にバチンバチンと物々しい音がする。
「ニーナさん。休憩にしましょう、差し入れが入りましたよ」
男の声で振り返った女性は、青い目を細めて微笑んだ。
「ちょうど、ワタシも休もうと思ってた」
「ニーナさん、サンドイッチ勝って来たよ」
「ワオ。ありがとう、弥生さん」
冷房の効いた涼しい詰所の中にいても、壁一つ隔てた巨大な機械が唸る音は聞こえてくる。地鳴りと轟音。その動きに呼応して、壁の隅に設置されたパンチカード出力機から蛇腹状になった厚紙の束が吐き出されてくる。
「つまり、『
弥生の問いに、真白は頷いた。
「ただ、外れると言っても、ギリギリ誤差の範囲内なので、あえて報告書とかは作っていませんでしたが……なにか問題が?」
「まだ問題ってほどじゃないけど。ちょっと気になることがあってさ」
「気になること?」
「その予測が外れた時ってさ、『晴れ』の予測の日ばかりじゃない? ううん、正確には――予測が外れて雨が降るってことが多いんじゃないかな?」
真白はもぐもぐと弁当を口にかき込んで両手を空けると、棚から書類を取り出して素早くめくった。
「たしかに……その通りですね。『晴れ』の予測が『雨』になることはあっても、逆はほとんどないです」
「やっぱりね……」
「でも、ここ十数年じゃ、珍しいことでもありませんよ。予測の精度は年々低くなっていますし、地質学的に見てもそれは避けられないことです。星の巡りや地を回る気の流れは絶えず変化していて、いつも同じように巡るわけじゃない。調整にも限度があります。ついこの間も、大規模な
「分かってる。でも、今回はそれだけじゃないような気がするの」
真白は急ににっこりと笑った。
「勘ですか?」
「うん」
「陰陽師の?」
「女の、かな」
弥生は、東京タワーの実験室でもらった資料と、東京タワー周辺の地図、そして電車の中で描いた、結界の写しを真白に手渡した。真白とニーナは、ふたりして食い入るように資料を覗き込みながら、それぞれの昼食をもぐもぐと口に押し入れた。
「これは?」
「今回の『雷獣発電』のプロジェクトには、どうもうさんくさい連中が絡んでるみたいなの。たぶん、こいつらが何か、良からぬことを考えてる。だから、この結界の文法を計算に入れた上で、再度、東京タワー付近の天候予測をして欲しいの。たぶん、天候を変化させているのは、この連中の術だと思う」
「つまり……突然雨が降るのは、人為的に天候が変化させられてるから、と言いたいんですか?」
「雨が降っている日に『雷獣』を結界に呼び込んだり、空に送り返したりするのは勝手よ。放っておいても、『雷獣』が落ちてくるのは避けられないし。だけど、そのために天気まで操作するのは、さすがにやり過ぎている。いたずらに天を刺激したら、この惑星全体の気の調和が取れなくなって、そのうちに取り返しのつかないことになるわ」
「でも、なぜ、わざわざそんなリスクの高いことを?」
「まあ、目先の利益に目が眩んだんでしょうね。相当な大金が絡んでるプロジェクトみたいだし、連中もたくさんもらってるんじゃないかしら」
「よし、やってみましょう。ニーナさん、これを」
「ハーイ。まかせて」
ニーナは金髪をギュッと結いあげて、弥生の資料をもとに入力機に目まぐるしく打鍵していく。凄まじい速さでパンチカードが吐き出されていき、紙を送るペダルの音と、キーを打鍵する音が、まるでシンセサイザーのように響き渡った。
「はい、できたよ」
ものの数分で、二十枚ほどのパンチカードが真白の手に渡った。ニーナは涼しい顔をしている。
「さすが、本場大英の蒸気技師はレベルが違うわね」
「差し入れもらったから、その分は働かなくちゃ。一宿一飯のオンってやつ?」
「さっそく『
真白は詰所を飛び出し、巨大な黒鉄の城――『
十九世紀末ごろに大英から輸入された技術で建造された巨大蒸気演算機関『
二十一世紀の科学万能の時代にあっても蒸気機関を使い続けるのは、それが陰陽の観点から非常に都合がよいからだ。『鉄』で作られた機関。元は『木』であった石炭や木炭を使って、窯に『火』を入れ、『水』を熱して蒸気を作り、『土』へ還る灰と煙を吐き出す。単体で五行の循環を為す蒸気機関は、外部からの影響によって演算の狂いを起こしにくく、種々の演算や予測を行うのに理想的な機構だった。
「予定外の仕事だけど、頼むぞ、『
真白がバルブを開くと、ゴゴゥン……と、『
弥生は何度見ても圧倒される光景だと思った。陰陽寮に入るまで、こんなものは見たことがない。大英の蒸気文明とは、どこもかしこもこんな風だったのだろうか。
金属の擦れ合うやかましい演算は、ほんの数分で終了した。
真白はあちこちの歯車やクランクを点検している。弥生が詰所の扉を開くと、すでに計算結果が出力され、ニーナがそれを解読しているところだった。
「さっすがニーナさん。仕事が早いわ」
ふふん、と得意げに金髪が揺れる。振り返ることなく出力機に向き合いながら、ニーナは後ろ手に資料を差し出した。弥生はさっそく手に取り、覗き込むようにそれを見る。
「やっぱり……」
予想通りだ。ここ最近の予測外れの雨は、ほとんどが人為的に起こされたものだ。それも、あの星辰会の連中が使っている結界に刻まれた呪文と、そっくりな
詰所の扉が開いて、煤だらけの真白が飛び込んできた。
「どうですか、水座さん?」
「大当たり。これだけ証拠が集まれば、陰陽寮の権限で術式濫用の咎で強制捜査できるわ。お手柄よ真白くん、それにニーナさんも」
「『
唸り続ける出力機から目を挙げたニーナが、ゆったりと腕を組んで唸る。
「でも、雷から電気を作るなんて、夢みたいな話。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だね」
ニーナはにこにこしながら、のんびり首を傾げた。
「安全に、たくさんの電気が作れるなら、それはすごいこと。でも、やめさせないといけないの?」
「世の中、そう都合よくできてないってことよ。人間が踏み込んではいけない領域ってものは、どんな世界にもあるわ。その人自身にバチが当たるのなら、別にいい。だけど、そのせいで私たちまでとばっちりを食うんじゃ、やってられないでしょう?」
「ふぅむ。この国の考え方は難しい」
「終わったらまた差し入れしてあげるから。ありがとうね」
軽く挨拶をして外へ出ると、こんなに日差しが強いのに、少しの風でとても涼しく感じられた。弥生は改めて、蒸気技師の気概に感心する。あんな暑苦しい場所に毎日詰めて、よく平気でいられるものだ。
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