幸福の男と新たな子ども
ディナは他の人に比べて、俺への依存心が強い気がする。物心付いた時から、奴隷で家族も知らない所為だろうか。俺から離れるこの機会に、自分や他の事に興味を持ってくれたら良い。俺だけが良い思いをするんじゃなくて、皆で楽しく暮らしていきたいんだから。
ディナは、俺の事を「ご主人様」と呼ぶ。「ご主人様」なんて、気色が悪い。俺はディナを、ペットや奴隷だなんて思っていない。だから、「ご主人様」と呼ぶのを、止めさせようとした。だが、ディナは俺を「ご主人様」と呼ぶと、幸せな気持ちになるから、そう呼びたいと言ってきた。潤んだ瞳で震えながら、そう言われたら、ダメだとは言えなかった。前の持ち主が、ひどい奴だった反動だろうか。でも、出来れば、「旦那様」と呼んでほしい。「旦那様」も、俺に相応しい呼び方だとは思っていない。それでも、「ご主人様」よりはましだ。他の使用人達は、俺を旦那様と呼んでくれていた。それなのに、ディナが俺をご主人様と呼び続けるもんだから、自分達も、ご主人様と呼ばないと無礼だと言って、皆、俺をご主人様と呼ぶようになった。
皆がそうしたいのなら構わないが、でも、やっぱり、俺はご主人様なんて呼んでほしくはない。「ご主人様」に良い印象がないし。俺は皆と、仲良くやって行きたい。人を奴隷にして従えたいなんて、これっぽっちも思っちゃいない。
引越しの準備をしていたら、ディナの妊娠が発覚した。獣人と人で、子どもができるなんて思っていなかったから、本当に驚いた。だが、子どもができるのは、目出度い事だ。ディナは何時も、屋敷の中を、ちょこまかと動き回って働いている。偶には、ゆっくり休むように言っても、やりたくてやっているのだと言って、休日を作らない。だから、引っ越す前に、妊娠が判って良かったと思う。仕事なら、他の使用人が幾らでも、代わりにやってくれる。だから、この機会にゆっくり休むべきだ。ディナを働かせないように、皆に言って、協力してもらおう。あいつは、幾ら言っても大丈夫だと言って、働こうとするだろうから。
仕事を休むよう、ディナに告げた。ディナは捨てられた子犬のような顔をして俯いてしまった。お腹の子どもの為に、安静にするように言ったら、案の定、「大丈夫」だと言ってきた。
「ディナ、俺の言う事を聞いてくれ。もう、お前一人の身体じゃないんだ。お前が無理をして、お腹の子に何かあったら、どうするんだ。俺は、お前のお腹の中にいる子どもに会いたいんだ。だから、俺の為に、働くのを我慢してくれないか」
「ご主人様の為に、ですか?」
涙目で俯いていたディナは顔を上げて、俺の顔をじっと見つめてきた。
「ああ、そうだよ。俺の為に安静にしてくれ」
「解りました。ご主人様の為になるのでしたら、私、お仕事をお休みさせていただきます」
「ああ・・・。よろしく頼むよ。皆にはもう頼んであるから」
「はい。お気遣い、感謝いたします。ご主人様のご希望に添えるよう、励みたいと思います」
そう言うと、何時もの様に俺に一礼して、普段よりもゆっくりと歩いて行った。
ディナの姿が見えなくなって、俺は溜息を吐いた。ディナは言葉は、自分の子どもを、何とも思っていないように聞こえた。ディナのお腹は、小さいままだ。だから、まだ、自分のお腹の中に、子どもがいる自覚が持てていないだけなのだろう。うん。お腹が大きくなったら、ディナも自覚するだろう。俺も、マリアのお腹が大きくなっていくのを見て、父親になるのだと思ったのだから。
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