ウェスタ

第39話 出立

 翌朝、珍しく朝起こしに来なかったベルカの事が少々気になりはしたが、ケビンは当初の予定通りウェスタへ出発するため、必要な旅支度を済ませて家を出た。

 天候は晴天。 絶好の遠出日和となった。


「ケビンさん、おはようございます。 もうすっかり体調はよさそうですね」


 カクラム商会の正面まで来ると、いつも顔を合わせている守衛の人がいつもと変わらぬ姿勢でケビンを迎えた。

 いつ見ても微動だにしないその振る舞い。

 カクラム商会に訪れる人間がまず最初に顔を合わせる関係者――商会の顔とも言える役職。

 簡単そうに見えて、誰にでも出来る仕事ではないと、つくづくケビンは尊敬する。


「おはようございます。 むしろ、以前よりも良いくらいです。 ここでエタンを待たせてもらって良いですか?」


「エタンさんですか? しかし……」


 守衛は怪訝そうな顔をする。


「何か?」


「いえ、エタンさんでしたら、なんだか急用が出来たとかで、先刻トレーラーで出て行かれましたけど……」


「え!?」


 思ってもいなかった報告に驚くケビン。

 ここにエタンが来ていたと言う話から、来るには来ていたことは確かだ。

 つまり、今日ウェスタまで送ってもらうという話は通っていたが、何か外せない用事がエタンに入ったか、断らざる事情ができたと言うことだ。


「何があったんだ……いやそれよりどうしよう。 エタンにはウェスタまで送ってもらう予定だったのに……」


 いきなり出鼻をくじかれ、スケジュールが大きく狂ってしまう。

 しかし、仕事に対して真面目なエタンがただ自分の都合を優先して仕事を放り出すとも思えなかった。


「あの、エタンは何か言っていませんでしたか?」

 

「はい。 確か、自分の代わりが来るはずだとおっしゃっていましたが」


「代わり……?」


 一体誰だ? ケビンが疑問と共に幾人か頭の中に候補者を並べていった時、遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。


「……え?」


 どこかで見たような豪華絢爛な馬車に、どこかで見たようなそれを引く二頭の白馬。 

 それは徐々にカクラム商会の建物へと近づき、御者として手綱を握っている人物が自分のよく知る赤髪の女性だと頭が理解に追い付いた時、薄々この後の展開が想像できてしまった。


「遅くなった。 さあ乗れ」


「あ、その……ひょっとしてベルカが着いてくるの?」


「そうだ。 聞いてなかったのか?」


「うん、聞いてない」


「どうやら情報伝達に行き違いがあったようだな。 あと、これを預かってきた」


 その手にあるのは、一枚の便箋。


「これは、ギルバートさんと、会長から?」


 ベルカから受け取ったそこには連名で二人の名が書かれていた。 考えようによっては非常に価値のでそうな手紙ではあるが、そこに書かれている内容はそうでもなかった。


 そこにはただ一言、「申し訳ない」という旨の文章が書かれていた。

 厳密には、ベルカに今回の件を知られ、送迎車と護衛は自分にやらせろと強行的に押しきられたらしい。


「あ、あぁ……」


 声なき声を上げたケビンは全てを察した。

 

「ちなみになんだけど、この馬車はどうしたの?」


「察しの通り、昨夜話していたトカゲの尻尾からの貢ぎ物だ。 存外乗り心地は悪くないから、長旅でも体に負担はないぞ」


 ベルカの言うトカゲの尻尾というのがヘムロックであるということが確定した。

 相手の立場を考えるとそら恐ろしいことではあるが、ケビンはあえて口にしなかった。 


「そう、なんだ。 これで……行くのかい?」


「脚が必要なんだろう、だから用意した。 安心しろ、御者の経験ならある」


「……ありがとう」


「何か不満がありそうだな?」


「え!? いやいや、そんなこと無いよ。 ベルカが一緒なら、凄く心強い。 けど、ギルバートさんはまだ回復しきっていないし、誰かが側にいた方がいいんじゃないかな?」


「問題ない。 最近じゃまたガレージで機会いじりをしているくらいだ。 私が二、三日留守にしたくらいでどうこうなることもないだろう。 それに、何だかんだで家を出るときに、「しっかりな」って背中を押してくれた」


「ギルバートさん!?」


「では行くぞ。 馬の足だと今から出れば夕刻前には着くだろう」


 当初の話とかなり状況は変わってしまったというか、結局ケビンの置かれている状況は変わらなかった。

 なんとなく、薄々こういうことになるんじゃないかと思っていた時点で、ケビンはグレイドハイド家との付き合いは短くないということだ。

 もうここまで来たら、いくら自分がゴネたところで状況は変わらない。 

 ならば、本来の主要目的である消息の途絶えた諜報員の情報集めに全力を尽くすとしよう。 ケビンは気を取り直して馬車に乗り込むのだった。

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