第35話 訪問

「ただいま父さん」


 朝食を済ませたケビンとベルカがグレイドハイド邸に

到着したとき、ギルバートは丁度エントランスで二人を迎えた。


「お帰りベルカ。 ケビンもいらっしゃい。 来てくれてありがとう」


「いえ、ギルバートさんもお加減が良くなったようで何よりです。 おじゃまします」


 現在は一線を退いており、今ではデスクワークと趣味の機械いじりをライフワークとしている。


「本当に、よかったです……」

 

 その立ち振舞いには陰りがなく、普段見慣れた健康そのものといった様相だ。

 しかし、数日前まではこうではなかった。

 先の一件、ケビンが戦うことの発端ともなった機上槍試合。 初めは領主であるギルバートと、その案件を持ち込んできたキルベガン子爵、“ヘムロック・グルーバー”との領地とベルカを賭けての一騎討ちであった。 その際、不当な試合によって重い傷を負った身ではあるが、現在では日常生活に差し障りない程度には回復している。


「昔よりも治りは遅くなったがね。 まったく、歳には勝てんよ」


 ギルバートは苦笑しながらケビン達を迎え入れ、客間へ歩いていく。 確かにギルバートの歩の進め方に違和感などは見られず、健康的な様子が見てとれる。

 それを見て心のそこから安堵をするケビンは、ギルバートとベルカに続いて応接室に入った。


「こんにちはケビン」


「え、あれ、会長……?」


 部屋の長椅子から声をかけてきたのは、国内最大級の商会であるカクラム商会の会長で、本来であればこの時間、事務室で目録の確認などをしているであろうリュネット・ライゼフだった。


「最近はよく眠れていますか?」


「は、はい。 最近は……眠れています。 というより、眠らされています」


「それは良かった。 君は睡眠を疎かにする癖があると聞いていましたからね」


 時計職人として熱が入りすぎると寝食を忘れて仕事に没頭してしまうケビンの癖は、いつのまにかバーンウッドに住む人々にとって周知の事実となっていた。


「はは。 いや、お恥ずかしい限りです」


「私はお茶を入れてくる」


「あ、うん」


 気を利かせたのか、ベルカは男三人を応接室に残してキッチンに向かった。

 そんなベルカの後ろ姿を見送り、ギルバートに促されるままリュネットの正面の長椅子に腰掛ける。

 そして、今回ケビンを呼び出し、多忙であるはずのリュネットも同席することになった理由を語りはじめた。


「グレイドハイド領の領有権に関する問題なんだが、ようやく正式な形で落ち着いたよ」


「本当ですか! それはよかったです!」


 ヘムロックが闘った大会の後、事後処理に関しては殆ど関知していないケビン。

 その後の動向、やり取りに関して完全に門外漢であったがゆえに状況がどうなっているのかを把握していなかった。

 しかし、ギルバートからの報告はその問題から一歩引いていたケビンにとって、個人的なモヤモヤに一区切りをつけるものだった。


「ケビンが戦ってくれたあのヘムロックが、王都側にバーンウッド領主に掛かった嫌疑の調査報告書と、継続統治の嘆願書を送ったのです」


 続けて報告するリュネットのそれは、ヘムロックがケビン達との約束を守ったということに他ならない。

 正直なところ、ケビンはヘムロックに対してそこまでの信頼は置いていなかった。

 もしかしたら、あの試合のあとに自分の預かり知らぬところで何か心変わりをするような出来事でもあったのだろうか――。


「加えて、先の試合の件でヘムロックの父君、キルベガン公爵からバーンウッド領に正式な謝罪の文が届いた。 本人にとっても寝耳に水の事態だったようだから、相当慌てていたよ。 公爵が伯爵にだぞ? こちらの方が驚きだ」


「無理もありませんよギルバート。 まさか遠征している間に自分の息子が領有権問題を起こし、それをなんとか納めようと急ぎ戻ってみれば、既に問題は解消しているというのですから、公爵でなくとも誰だってうろたえるでしょう。 それが、かのギルバート・グレイドハイドとの問題であれば尚更ね。 爵位に差があろうと、あなたは既に英雄というシンボルなのですから当然です」

 

 リュネットが苦笑しながら肩をすくめる。

 キルベガン公爵の人柄などはケビンにしてみれば詳しくないが、王国側に踊らされたとはいえ、自身に関わりのない領地の略奪を息子が企み、領主であり知らぬ者のいないJ.E.Mの英雄に重傷を負わせたともなれば、その事実に驚愕し、大いに狼狽えたことだろうことは想像にかたくない。


「そうだな。 だからこそ、こういう時に頼りになる知己をもっている私は幸運だった」


「知己っていうと、会長のことですよね……? 会長もこの件に何か絡んでるんですか?」


 ケビンの問いかけに、リュネットは眼鏡の位置を直し、笑みを浮かべる。


「こういう時はね、たとえこちらが望んでいないとしても、あちらにとっての償いという形で体裁を整えなければ、それこそ貴族としての沽券にかかわるものなんです」


 例えキルベガン公爵に対して遺恨を抱いていなくとも、謝罪の機会を与えなければ酷だということらしい。


「そういうことだケビン。 それを了承して初めて、今回の件は一応の終息となるということだ」


「許し方にも、建前が必要ということですか」


「そういうことです。 ただでさえ公爵という重い爵位を背負っているのですから、少しでもあちらの精神的重荷を軽くしてあげるのは貴族社会のみならず、人として当然のこと。 さりとて、無償で全てを許されるということは、キルベガン公爵も体裁が悪いのですよ」


「ま、まぁ……そう、なんですかね……」


 ケビンにとって貴族同士のそういった建前などはよく分からないが、社交辞令として必要な行程なのだということは何となくで理解した。 


「そこで、私の出番です。 ギルバートのようなお人良し領主の場合、いつまでも償いの中身に関して話が進まないのはこれまでの付き合いで分かっています。 それに、伯爵から公爵に意見するというのも、なかなか難しい。 しかし、私の本業は商人だ。 互いに納得が出来て遺恨を残さない案を出してくれと言われ、任されていたんです」


 それで、頼れる知己という話が出たわけだ。


「そういうことだ。 本来なら私が決めてしかるべきなんだが、何せ相手が公爵ともなると調整が難しい。 そこで、リュネットに此度の和解案を相談して、幾度かキルベガン公爵とも相談し、それが概ね承認されたからその報告の為に、ケビンを呼んだんだ」


 二人の視線がケビンに集中するが、当の本人は未だにその意図をつかみきることが出来ない。

 

「報告、僕にですか?」


 ケビンとしては、自分の役割はギルバートの代わりとなって大会に出場し、ヘムロックに勝利したことで終了している。 となれば、あとは政治的な問題であり、自身に関係することはほとんどない。


「もちろんです。 ケビンは今回の問題に対する一番の功労者なんですから、当然ですよ。 それに、この和解案の骨子はケビンを軸に考案されたものなんですから」


「……え?」


 唐突に自分の名前が出てきたケビンは更に話が分からなくなる。


「おや、てっきり既に聞いているものかと」


「初耳です。 それに、僕が功労者というのも……」


「そりゃそうだ。 実質的にバーンウッドもベルカも被害はなかったが、なら何を落としどころとするかになる。 となると、此度の件でもっとも活躍した人間に功を持たせるのが当然だ」


 ケビンは、それが自分に当てはまるとは――思えなくはなかった。

 確かにギルバートが大怪我を追った際、骨董品同然に倉庫で埃を被っていた機体を稼働状態にまでもっていった。 打つ手なしの状況から光明を見いだす為に尽力したのは間違いない。

 そして、機士としての経験が一切無い身でありながら、大舞台でキルベガン子爵、ヘムロックと戦い、勝利したのも。


「……」


 しかし、ケビンは理解している。

 あの勝利の要因を占めるものが何かあるとしたら、それは……運だ。

 本来ならば、逆転の目など一切無かった最終Lap。

 ヘムロックとの最後の打ち合いの時、誰も把握できていなかった機体の何かが起動し、ほとんど勝手に動いた――。

 ケビンにしてみれば、リュネットと、ヴェトロニクスと呼称する声に従い、最後に槍を突き出しただけだった。

 あの勝利に、自分の実力が反映された場面など一度もない。 だから功労者などと言われても、むしろ恐縮してしまう。 というより、ばつが悪かった……。


「まぁ、ケビン自身がそう思っていなくとも、お前以外の皆がそう思っているのだから、納得してもらう以外にないぞ」と、ケビンが思っていることを察しながらも、いまさら何を言っても変わらないぞと念を押すギルバート。


「そこまで言われると……。 分かりました。 そのご提案をお受けします」


 既に結ばれているという案件、ここで当事者が首を横に振ったら、ただ話が拗れるだけだ。 なら、素直に受け入れるのが吉というもの。


「で、だ。 これがその案件になる。 目を通してくれ」 


「えっと……?」


 ギルバートから受け取った用紙には、文字がびっしりと書き込まれていた。 表題を見るに、何かの契約書のようだが……。

 その情報量に圧倒されていると、リュネットがメガネを直しながら視線をこちらに向ける。


「キルベガン領で、君の時計を卸す契約を結んだ」


「……え、僕の、時計?」


「もちろん、君の時計はハンドメイドというのが売りでもあるが、そろそろ需要に供給が追いつかなくなってきていたんだ。 そこで、マニュファクチュール(自社一貫製造)として、工房を作る。 もちろん、設備投資に関してはカクラムが出資しよう」

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