第34話 新しい朝

 普段から熟睡するという感覚には馴れていない。 それが存外心地よいものだと再認識しながら気だるい感覚を名残惜しくも手放す。


「……っ!?」 


 目を覚ました瞬間、心臓が爆縮した。


「お、おはよう――ベルカ」


 時計職人、ケビン・オーティアは驚きのあまり早鐘を鳴らす心臓の動きが声に表れないようにしつつ、赤髪を肩口出揃え、切れ長の目で自分に視線を向ける女性、ベルキスカ・グレイドハイドにしどろもどろに挨拶をする。

 その反応も当然だ。 寝入っていた自分の隣で一緒に横になっているでもなく、枕元で直立不動、無言のまま見下ろしている女性がいるともなれば、いくら見知った人であってもケビンと同じ反応を示すだろう。 


「おはようケビン」


 当の本人はそのようなことを気にも止めず、その一言で用は済んだとばかりにベルカは振り返り、寝室である二階から一階へと降りていく。


「はぁ……」


 その様子を上半身を起こして見送りつつ、ケビンはここ最近使用頻度の上がったベッドを見下ろす。

 今までであれば業務の流れで作業場デスクに体を預けて寝るのが常だったが、ここ最近は常にベッドで寝る事を強いられている。 それも監視付きでだ。

 おかげで日々前日の疲れを引きずる事もなく、快調そのままに朝を迎えることが出来ている。

 そのことに複雑な気分で感謝をしつつ、勢いをつけてベッドに沈んだ腰を上げる。


「ただ、なぁ……」


 ケビンからしてみれば、気にかけてくれているのは嬉しいが、ベルカを初めとした身近な人々が気負いすぎていると感じてしまうのも確かなわけで……。

 しかし、それも仕方の無いことかもしれないと深い息を吐く。

 

 数週間前、ケビンの住むバーンウッドの領地と、その地を納める領主、ギルバート・グレイドハイドの娘であるベルカが王都からの陰謀によって窮地に陥った際、一介の時計職人でしかないケビンが、一度も経験したことの無い機上槍試合、ジョスト・エクス・マキナという大舞台で奇跡のような戦いを繰り広げ、陰謀を振り払い、状況を打開した。

 代償として軽くはない怪我を負ってしまったが、それも今では大分回復してきた。

 そのケビンが体を張って勝利した大会の後、怪我が回復しきるまでの間、ケビンの身の周りの世話を申し出たベルカと、それを承諾した彼女の父ギルバートの押しの強さに折れるような形で承諾した結果が、こうした健康的な生活を“強制的に”送ることに繋がっている。


「ケビン、父さんが今日顔を出してほしいと言っていたぞ。 時間はあるか?」


「ギルバートさんが? まぁ、急ぎの仕事も無いし……分かった。 じゃあ朝ご飯を食べたら、一緒に行こう」


 バーンウッド領主であり、男爵の爵位を持つベルカの父――ギルバートとは、偶発的な出会いから今日までケビンがもっとも世話になっている人物であり、親身な間柄とも言える。

 その彼は機上槍試合でその名を馳せた英雄であり、またその辣腕は世界中に散らばる遺跡「シップ」の調査においても知られ、バーンウッドという領地と爵位はその功績によって賜ったものだ。

 そのギルバートからの呼び出しなど滅多にあるものではないので、少々不思議に思わなくもないケビンではあったが、断るほどの理由も用事も無かった。

 

「ああ。 そう言えば、久々だな。 ケビンが館に来るのは久しぶりじゃないか?」


「だね。 あれからギルバートさんは元気?」


「趣味の機械いじりは殆どしなくなったが、元気だ。 ケビンの顔も見たがっていたし、行ったら喜ぶぞ」


「うん、僕も久々に会うのが楽しみだよ」


 二人で席に着き、ベルカの用意した朝食を口に運ぶ。

 一人暮らしの時はキッチンなどほとんど使うことは無かったが、ベルカが家に来てからは毎朝温かい食事を取っている。

 やはり、火を通した食事は心身を温めてくれる。

 自分ひとりの時は朝食など食べることの方が稀で、食べたとしても乾きものか、街まで出てホンキートンクでモーニングを注文していた。

 それが、今では温かいコーヒーまで出てくる。

 独り身には、もったいないほどの待遇だ。

 だが、親身な仲であるが故に忘れてしまいそうになるが彼女は伯爵家の令嬢。 いつまでも侍女のような真似をさせるのは、多少なり気が引けるのは確かだ。

 ありがたい思いと申し訳ない思いが同じ重さで天秤を揺らす。

 ほとんど傷がいえた今、これ以上の世話は要らないと何度言おうとしたことか……。

 これで本人が嫌々やっていたのであれば話はもっと簡単なのだが、全く苦に思っていないことが伝わってる分、面と向かってその点を口にするのも憚られる。


「……ん、どうした?」


 考え込んでいたケビンにベルカが気付く。


「あ、いや……今日のご飯も美味しいよ」


「……そうか」


 会話も少なく、しかし、落ち着いた雰囲気のまま互いに食事を口に運んでいく。

 いつまでもこうしてベルカと食事が続くことも、悪くはないと思っている。

 しかし――誰かが切り出さなければ終わらないのであれば、そろそろ一区切りつける為に、自分から言い出すべきだろう。 呼ばれているのなら、これがよい機会だ。

 ケビンはその決心を口にせず、ほろ苦いコーヒーと共に胸の内へと流し込んだ。


 





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