第二章
プロローグ
宿で一人、月明かりに照らされた室内でタバコを吹かしながら手元の書類を眺める男――商会お抱えの調査員はその依頼に則り、現在王国内で良い話を聞かないウェスタという荒廃とした町に来ていた。
その手にしている資料のタイトルには「ケビン・オーティア 調査概要」とあった。
「ふぅ……」
雇い主と知己であるバーンウッド卿、ギルバート・グレイドハイドよりカクラム商会へと入った依頼。 二年前に突然現れた青年、現在はケビン・オーティアと名乗っている人物の身に起こった事件の調査と、その青年の過去にまつわる“何か”を調べてほしいというものだった。
かなり長期に渡って操作が続けられてきたこの案件だが、しかし、予想以上に難航している。
二年以上に渡り、人数も金も使って調査されているというのに、いっこうにその全容が見えてこない。
取っ掛かりとなった事件現場の車両から調べ始めたが、調査を進めれば進めるほど不可解な点が多く、商会をあげての調査だというのに、今日に至るまで事件の全容どころか、片鱗すら見えてこない。
「くそ……」
それが一転して、今日唐突な進展を見せた。
にわかには信じがたく、しかし、直感ではなく客観的な事実を精査していった結果、驚くべき答えへと辿り着いた。
本来であれば、即座にこの調査内容を商会へと知らせ、職務完了となる。 本来であれば、だ……。
「どうしたものか……」
その調査結果は、ケビンという青年の個人情報に触れる内容だった。 正確には、ケビンと名乗る以前の、記憶を失った一人の人間の過去。
そして、何を成さんとしてバーンウッド近辺にいたのかが判明した。
その内容を改めて確認し、調査員は煙を燻らせる。
これをそのまま、バーンウッド卿と商会に渡すことは、職務上当然のことであり、義務だ。 それは分かっている。
ただ、青年はグレイドハイド家とカクラム商会が懇意にしており、その縁は決して薄くはない。 そして、バーンウッドの人々の覚えもよい。 その点を慮ってしまう程度には、調査員の男もケビンのことを知っている。
「……」
加えていたタバコを吸いきることなく灰皿に押し付ける。
どれだけ考え、思慮を働かせようと、自分が調査員であり雇われの身である以上、結局はありのままを報告するしかないのだ。
「しかし……彼がな……」
――コンコン
扉をノックされた瞬間、男の全身がこわばった。
誰にも自分がここに滞在しているとは言わなかった。 部屋のベッドメイクも断っている。 用向きがあったとしても、主人がわざわざ部屋の前まで足を運ぶようなことはありえないだろう。
急いでテーブルに広げてあった紙の束をまとめて、ベッド脇にある金庫に放り込み、鍵をかけた。
聞こえてくる足音から、来客が一人ではないことが伝わってくる。
そして、このままここに留まっても事態が好転しないことは誰にでも分かることだ。
唯一の逃走経路である窓を明けると、二階建ての宿から見る眼下には、おあつらえ向きに人の気配はない。
しかし、恐らく見えないところで飛び降りるのを観察しているだろうことは想像に難くなかった。
「……っ」
それでも、脱出する場所はここしかない。
背後から扉をこじ開けようとする音が、気持ちをはやらせる。
一度だけ、金庫のほうに目をやり、窓のふちに手をかける。
願わくば、自分が行動した成果が、正しい人に渡ることを――。
そんなことを胸の内で祈りつつ、扉を蹴破る音とほぼ同時に窓の外へと飛び出した。
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