第20話 エキシビションマッチ
打ち上げ花火が開会の合図を告げ、ファンファーレが高々と鳴り響く。 それが、工業都市イグニカの新人大会公式戦の幕が上がった。
興奮で立ち上がった延べ一万人の観客達はあらん限りの大声と拍手でもって、これから行われる試合を称えていた。
その大音響はコクピットで入念に動作チェックをしているケビンにも装甲板を通して聞こえてきている。
出来れば第一試合からその様子を見に行きたいという気持ちはあった。 ただでさえ搭乗経験の皆無なケビンは、実際の戦闘をこの目でより多く見てでも学習しなければならないことが多すぎるからだ。
「でも、そうも言ってられないよな……」
ただケビンの場合、いくら常人より速い速度で学習しているとは言っても、操縦の習熟はまだ完全とは言えない。 初歩中の初歩である操作方法を徹底的に頭と体に覚えさせくてはいけないのだ。
「何か言ったかいケビン?」
「いえ、大丈夫です。 次は油圧系のチェックを」
ケビンは上部ハッチから顔を出すリュネットに返事を返し、バスタブ位の広さしかないコックピットで計器類のチェックを進めていく。
「……」
遠くから聞こえる重厚な硬質の打突音。 その振動すら伝わってくる試合の激しさに、知らず知らず高揚させられていく自身の感性。
「……」
しかし、この戦いは、言わば代理試合だ。 だから、試合の雰囲気や巨大な甲冑を身に纏うことに高揚感を覚えてしまうのは不謹慎なこと……。 いや、高揚していると錯覚したいのかもしれない。
「……」
何かに意識を向けていなければ、体のどこかが勝手に震えてしまう。 それが武者震いだというのなら構わない。
もし、これが恐怖心からくる心拍数の上昇だとしたら――。
「……っ」
ケビンは上着の右ポケットから懐中時計を取り出し、耳に当てた。
チッ、チッ、チッ、チッ――。
「……ふぅ」
秒針の音に、自身の鼓動を同調させる。
屋根裏で時計を作っている時、心の内は小波一つ起つことはなく、ただもくもくと平静を保ちながら機械的に動き、無心で作業することが出来ていた。
この音はケビンにとって、気を落ち着け、平常心を持つただの機械へと変わる為の精神安定剤なんだ。
「……はぁ」
十秒とかからずケビンの心拍数は平常時のそれへと戻った。
まだ大会は始まったばかりだ。 ケビンに今必要なことは、少しでも早く、少しでも多く、この機体に慣れること。
今日、ケビンは絶対に――決して負けることは許されないのだから。
――大会の開始から幾刻。
新人大会のトーナメント試合は滞りなく進み、機士の誰かが怪我を負うような大きな事故も無く、将来有望な新人の中から新時代のホープが誕生した。 優勝した機士は表彰式で表彰台の最上段に上り、普段では考えられないほどの観客数から盛大な拍手で祝福され、逆に気圧されているかのように緊張した表情でそれに応えていた。
同時に、出場選手たちは皆、本日の目玉となる戦いを今日このコロシアムに集った観客達と同様に、内心では心待ちにしていた。
一通りの授与式が終わり、プログラムの大一番を目前にして、コロシアム各所のスピーカーから耳をつんざくような、キィン――というノイズが大音量で一瞬奔り、人々の意識は自然とそれに意識させられた。
『お集まり頂いた紳士淑女の皆さん、ならびに紳士でも淑女でもない皆様。 そして、今回会場に足を運ぶことかなわず、ラジオにてこの実況を聞いている大陸中の方々。 今日、このイグニカコロシアムにて、栄えある成績を収めた優秀な機士がまた一人誕生いたしました!! また、此度惜しくも表彰台へ上ることが叶わなかった将来有望な機士たちも、多くの視線が集まる中で突撃槍を手にし、勇ましく戦った経験は必ず各々の糧となることに自信を持っていただきたい。 なぜなら君達は、この場にいる多くの観客、この戦いを聞いている多くのリスナー、そして何よりも、今大会のために足を運んでくれた伝説の英雄にその雄姿を披露出来たのだから!! 君達は、生涯で二度とないその機会を得ることが出来た幸運を、栄誉であり誇りと思ってほしい!! これから様々な戦いを経験していくホープ諸君、君達は勇敢に、機士として正々堂々と戦った。 その有志を称える為、今度は彼が、伝説として名を残すに至った必然を披露する為に、遠方バーンウッドの地よりこのイグニカへと馳せ参じてくれた!! 表舞台から身を引き、人々の間にはただ逸話だけが残った。 それは決して誇張された伝記ではなく、眩いばかりの輝く真実。 少年少女達は眠りにつく前に、その勇猛な機士の物語を幾度も聞いたことでしょう。 その物語の主人公が今日、記録や伝聞でしか知らなかった人々の前に再び姿を現します。 このような機会はもう二度とないかもしれない。 だからこそ、再び後世へ語り継ぐために、決して目をそらさず、あなた方の瞼の裏に焼き付けてほしい!! ジョスト・エクス・マキナの、生ける伝説を!! ご紹介しましょう、機体を新たに、真の伝説を紡ぎだすジョスト・エクス・マキナの覇者――搭乗機、ヴァルムガルドを駆るバーンウッドの領主!!』
一瞬のタメがあった後、その名は発せられた。
『ギルバァァァァァトォォ、グゥゥゥゥレイドハイドォォォォォ!!』
コロシアム全体から響き渡った大歓声がイグニカ工業都市を包む。 それもそのはず、ラジオによって中継されているこの都市の各所でその興奮は爆発していた。 すなわち、イグニカの都市全体から歓声が上がっているといっても過言ではないのだ。
その喝采を受けとめながらコロシアムの東門より登場するのは、全高六メートルの甲冑を纏った巨像。 黒の素体色に生成り色とアイボリーホワイトの装甲版で構成された、機体色を限りなく本来の物に似せた、“ニア”・ヴァルムガルド。
――だが、いくら似せたところで、中身は全くの別物だ。 張りぼてで覆い尽くした虚構だと揶揄されても、否定できない。
観客席から遠めに見る人々には、ニア・ヴァルムガルドはどう映っているのか。 本来のヴァルムガルドを知る人ならば、随分とずんぐりとしたなと思うかもしれない。 だとしても、人々の前で最後にヴァルムガルドが稼動したのは数十年前だ。 故に、その間に改修が施されていたとしてもおかしな話ではないと思ってくれるだろう。
『さて、本日このようなスペシャルゲストをこの場に招くことができたのは、さる名家によるお力添えがあったことを皆様に知っておいて頂きたい』
続く司会者のアナウンスに、勢いをそのままに観客席から割れんばかりの拍手と賞賛の声が上がる。
司会者の隣にいたヘムロックの従者にマイクが渡され、声高々にスピーカーから口上が述べられた。
『この地より西方のキルベガン領の領主たるグルーバー家、その将来有望の嫡子である我が主は、その政治手腕から子爵の地位を得た貴族の中の貴族。 であるならば、本エキシビション立役者として、栄えある機士のデビュー戦は華々しいものであってしかるべきものであると、私は強く思います。 ですが、エキシビションのお相手を勤めさせていただくのは、大陸中でも知らぬ者のいないかの偉大な英雄。 ただでさえ実力差のあるこの試合に、既存モデルの機体ではお相手するのに失礼であるというもの。 よって、我が主の愛機はグルーバー家の抱えるドックにて特別に作らせたワンオフデザイン。 加えて、その右腕部はとあるシップより搬出されたユニットを独自に再調整した特別仕様!! これならば、伝説のバーンウッド卿だけでなく、本大会に注目する全ての人々を、決して退屈などさせないことでしょう!!』
従者は西門へ向けて手を仰ぎ、声を張り上げた。
『ご紹介いたしましょう!! 搭乗機、ディノニクス!! そして我が主にしてグルーバー家光明の風!! キルベガン子爵!! ヘムロォォォォック!! バァァァァァァキィィィン!!』
会場中が注目する西門から現れたのは、機体に比べてアンバランスなほど無骨な右腕を持った、忘れようもないイエローカラーのトライポッド。
二本の主脚と一本の副脚についたタイヤで土煙を巻き上げながら大勢の観客の前に姿を現した、文字通り、宿敵の機体。
ヘムロックはコロシアムに轟き響く歓声に右腕部を高々と掲げて答えている。
ケビンはその光景から目を離せずにいた。 それが興奮からくるのか、それとも怒りからなのか。 ――きっとその両方が入り混じったものが原因だろう。
ディノニクスの頭部――付け根と一体化した搭乗ハッチが開き、そこから出てきた搭乗服姿のヘムロックが観客達に向けて手を振り、歓声に応える。
ヘムロックが
「ご来場の皆様、私のような駆け出しの機士にまで拍手を頂けたこと、まことに嬉しく思います。 そして、エキシビションとはいえ、私にとって始めての公式試合にてお相手をして頂く相手が、かの大英雄であらせられるバーンウッド卿であるこの幸運! 既に引退され、公の場から退かれたあなたと闘える機会など、現在のみならず当時の機士でさえ垂涎の栄誉でありましょう。 それは、私一人ではとても抱えきれぬ栄誉でもあります。 なのでどうでしょう? 当時を懐かしみ、心躍らせる方々の為にも、そして、その勇士を見ることが適わなかった次世代の若者達の為にも――」
ヘムロックは大きく右手を振り上げ、詰め掛けた大観衆の方に視線を向けたまま、その手を対戦相手へと振り下ろした。
「ぜひ、英雄のご尊顔を拝見いたしたいと請願いたします。 私と共にこの幸運を享受するこのコロシアムにいる全ての方々も、きっとそれを望んでいるはずです。 どうか、バーンウッド卿のお姿を、この場にいる皆様に今再び、忘れえぬ栄光の具現を瞼に、記憶に、心に刻ませていただけないでしょうか!!」
ヘムロックの張り上げた声に、観客は追従するように拍手と大歓声をあげた。 その声援に向かって再び手を振ったヘムロックはニア・ヴァルムガルドへと視線を向ける。 その顔には笑顔が貼り付けてあったが、一枚剥がせば、間違いなくしたり顔が現れるはずだ。
ヘムロックはギルバートが戦える状態ではないことは分かっている。 つまり、ニア・ヴァルムガルドの機士が別人であろうと、確信にも近い予想を立てている。 というより、このコロシアムでケビンらのパドックに来ていた時から、分かっていたはずだ。 どこまでも抜け目がない男。
観客達を味方につけた今、ニア・ヴァルムガルドはコックピットハッチを開けざるをえなくなったわけだからだ。
「……いや、違うか」
今ここに至って、ヘムロックも必死なのだ。 勝利するという執念においては、数日前から何一つ変わっていない。 むしろ一段と強めていることだろう。
ならば、なりふりなど構っていられず、取れる策は全て使っていくのは常道だと言える。
静止していたニア・ヴァルムガルドの脚部が一歩を踏み出す。 ディーゼルエンジンの振動を纏いながらコロシアムの中央へと進んでいくその機体を数多の視線が追っていく。
そして、ディノニクスの真横で、本大会の優勝者や都市の最高責任者が集うコロシアム北側のVIP席に機体正面を向けた後に、頭部ユニットと一体化したハッチが開いた。
「……何っ!?」
そのヘムロックの驚きは誰の耳にも入らなかった。
なにせ、大歓声を向ける全ての人々の関心は、ヘルメットを外し、全方位に向け手を高々と上げ、凛々しく、風格を感じさせる表情で応える搭乗者――正真正銘ギルバート・グレイドハイド本人に釘付けだったからだ。
「馬鹿な……。 あの怪我で、どうして……」
その驚きに、ギルバートは首だけをヘムロックに向けて答えた。
「私が戦えなくなったというのは、そちらの早とちりだ。 期待に添えなくて悪かったな」
それを聞いたヘムロックは、東門の真上を目を細めながら睨み付ける。
そこでようやく、ヘムロックとケビンは視線を交差させるに至った。
「……いや、そんなはずはない。 あなたは今、そうやって立っているだけで精一杯なはずだ。 他の観客達は気づかないでしょうが、これだけ近ければ、あなたの体がどんな状況なのか、私には分かってしまいますよ」
「……ふ、流石に、目ざといな」
ギルバートは僅かに額から流れ落ちてきた汗を震える左手でぬぐった。 その汗には僅かばかりの朱が混じっている。
「やはりあなたには畏敬と尊敬の念が尽きませんよ。 この戦いにおける思いは、私と同等かそれ以上のようだ」
「当然だ。 私の未熟さが招いてしまったこの状況で、死に体が出来ることがあるとすれば、此度の決闘を必ず行えるように運ばせる事。 私の傷病などで戦いを憂慮する余地は一つたりとて無い」
「流石はバーンウッド卿だ。 その体でそこまで言い切ってみせるのであれば、私からはもう何も言いません。 この後の戦いで真正面からあなたの友人を打倒して見せましょう。 その時、あなたの築き上げてきたあらゆるものが私のものとなる」
「……あぁ。 その時は君の言う通り、確かに全てを失うだろう――」
突然、コロシアムの四方に設置された灯ってすらいない夜間照明が弾け、しかも爆竹の如く連鎖するように破裂した。
『皆様!! ただいま機材トラブルが発生しておりますが、皆様の被害へと繋がる事態ではございません!! どうか落ち着いて、その場での待機をお願いいたします。 混雑した中で無理に動かれますと、他のお客様との接触で大きな怪我へと繋がる恐れがあります!!』
大混乱による二次災害を防ぐ為にアナウンスが大音響で入る。
ざわめく観客達を遠目に眺めながら、ヘムロックは隣に佇む英雄に声をかける。
「これは、あなたの脚本ですか、バーンウッド卿?」
「さて、どうかな」
『これより原因を究明する為、エキシビションマッチを始める前に、しばしの休憩を挟ませていただきます!! バーンウッド卿、キルベガン卿に置かれましては、一度パドックへとお戻りになり、御指示をお待ちください!!』
場内アナウンスをしり目に二人はしばし互いの顔を見やり、ほとんど同時にコックピットへと戻り、機体を反転させた。
ギルバートはコックピット内で真正面を見据え、掠れる視力の先、東門の上に見える青年を捕らえる。 自身が期待をよせる青年は、機士としての搭乗経験は無に等しく、機体に関しても未知な部分が多く、テストも碌にしていないコイツの信頼性はお世辞にも高いとはいえない。 片やヘムロックは一度実戦を経験し、メンタルコントロールは磐石だろう。 搭乗機であるディノニクスの性能も、一度手合わせしたときから相当なスペックを持った機体だという事は分かっている。
加えて、三日前には無かった新調された右腕ユニット。 言うなれば、ヘムロックはストレートフラッシュが揃っており、こちらは開けてもいない五枚のカード。 状況は、決して良いとは言えない。
だが、それでも――。
「BETするには、彼は悪くないカードだ」
ギルバートの胸中、この後行われる戦いにおいて、不安は一切なかった。 もう、この勝負は自分の手を離れた。 後は家族に全てを任せるのみだ。
ギルバートは既に力の入らない四肢にこれが最後とばかりに力を込めて、自陣へとニア・ヴァルムガルドを進めていった。
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