第19話 工業都市イグニカ

「ケビン、もう直ぐ到着しますよ」


 疲れが溜まっていたのか、いつの間にか眠っていたケビンはリュネットの声で目覚めた。 時計を作っていた時にでさえめったに寝落ちすることはなかったから、余程だったのかもしれない。

 胸元から時計を出すと、バーンウッドからトレーラーを走らせて五時間程たっていた。


「すいません、ずっと運転してもらって」


「なに、ケビンの本番はこれからです。 むしろこの状況で仮眠を取っておいてくれた方が、こちらとしても助かるんですよ」


 凝り固まった体を伸ばして助手席から見るのは、緑の分厚い装甲板で出来た市壁。 さらにその向こうには、空を貫くようにそびえ立つ高層ビル郡が遠目からも見てとれる。


 ――工業都市イグニカ。 バーンウッドから南へ進んだところにある海沿いに面したイグニカは、この大陸において最大で随一の工業都市であり、またジョスト・エクス・マキナの公認開催地として名の知れた観光地でもある。 


 この都市の特徴としてもっとも代表的なのものが、隣接する火力発電所が産み出す膨大な電気の力。

 ケビン達の住むバーンウッドが蝋燭やガス灯等で生活しているのに対し、この都市は完成された電力管理システムによって電気の恩恵を受けている。 それは国中を見渡しても異例であり、他の都市とは生活レベル――文化レベルが頭一つ抜けている。 ほとんどバーンウッドから出ないケビンからしたら、ここは外国か、はたまた異世界かと錯覚を覚える位に見るものすべてが新鮮で、斬新だった。


「やっぱり、聞きかじっていた以上です。 圧倒されますね」 


「ここイグニカは他の都市と比べても異色ですからね。 誰が来たって、最初はケビンのような反応をするものですよ」


 市壁を抜けて視界に広がるのは、バーンウッドのような煉瓦調メインの建物とはうって代わり、鋼やセメントをベースとした固い印象の建造物。 さながら生い茂った森の木々のように隙間なく配置されているそれらが、上にも横にもどこまでも続いている。

 大通りや車道は舗装され、さらに高架橋には貨物列車まで走っている。


「これが、イグニカか……凄いな……本当に……」


 トレーラーを走らせ続けていると、やがて一際大きな建造物が見えてくる。 それこそが、今回行われるジョストの舞台、コロシアムであることはこの地が初めてのケビンでさえ容易に理解できた。

     

 パルヴェニーのコロシアムと外観にそう大きな違いは無いイグニカのコロシアムは、観客動員数の関係上、フィールド面積がパルヴェニーのそれよりも一.三倍ほど広い。

 そのコロシアムの機体搬入口が目前まで迫って来たときにトレーラーの窓を開けると、むせ返るような鉄やゴム、オイルの臭いが鼻をついた。 しかしそれが、ケビンに意識を切り替えさせる要因となった。


「私は委員会に出場登録を済ませてきます。 ケビンはトレーラーをパドックに回しておいてください」


 そう言って会長はトレーラーから降りてコロシアム正門の方へと向かい、それを遠目に見ながら助手席から運転席に乗り換え、目の前に続く搬入路を案内板を便りに進んでいく。

 本当であれば薄暗いはずのコロシアムのパドックは、管理された電力体制によって屋内であるにも関わらず昼間のような明るさを確保している。

 途中、コロシアムの案内スタッフに誘導され、指示された通りに所定のパドックへ向かい、指定されたエリアでトレーラーを停車させる。 次いで、随伴していたメカニッククルー達の乗ったトレーラーも到着し、すばやく降車した彼らは直ちに各々の持ち場へと着き、きびきびとした動きで作業を始めていく。 


「ふぅ……」


 ケビンは若干の緊張感を深呼吸で振り払い、運転席から降りる。 その時、忘れようもない声がかけられた。


「待っていたよ、ケビン君」


 初めて見たときと同じように従者を連れ、のうのうとケビンの前に現れた――決して忘れないその顔。


「ヘムロック、グルーバー……」


 その顔が視界に入った瞬間、緊張とは違うストレスがケビンの鼓動を早める。


「ちゃんと来てくれてよかった。 そうでなければ、せっかく用意した晴れの正式な初陣が台無しだ。 ……ふむ、機体はヴァルムガルドじゃなさそうだが、この機体はどうしたんだい?」


 来ないわけが無いだろ……と、喉元まで出かかった言葉を腹に収めるケビン。 その内心は穏やかとは程遠く、ヘムロックの一挙手一投足、話す言葉の一つ一つにすら苛立ってしまう。


「……僕達バーンウッドの奥の手だ。 安心してください。 決して期待を裏切るものじゃない」


「ほう、それは楽しみだ。 ところで、バーンウッド卿の容態はどうだい?」


「……知ってどうするんです?」


「おいおい、そう怖い顔をするなよ。 今日戦う相手のことを聞いただけじゃないか。 それに、ベルカ嬢と一緒になればあの方は私の義父ということにもなるのだから、気にかけるのは当然だろう」


「その義父になるかもしれない人を、お前は謀殺しようとしたんだぞ」


「またそれかい? 先日も言ったが、それは君たちの言い分だ。 あれは、事故だったんだ」


 今でも思い出せる、脳裏に焼きついたあの戦い。 ヴァルムガルドが貫かれた光景。

 絶対に、あれは事故なんかじゃない。


「……今日は、あの日のような事故を期待しないほうがいい」


 声は冷静を保てた。 だが、苛立ちは顔に出てしまっていたかもしれないと、ケビンは拳を握りしめる。


「もちろんだケビン君。 正々堂々と決着をつけよう。 その為に、とっておきの舞台を用意したんだから」と、その顔に余裕を貼り付けたまま踵を返し、ケビンの前から去っていった。


 ――正々堂々? どうしたらそんなふざけた台詞が吐けるのか。


「……はぁ」


 ケビンは溜まっていたうっぷんを吐き出し、気持ちを一度リセットする。 いつまでもヘムロックに構っている時間は無い。 自身もクルー達と同じように作業を始めようと頭を振っていたところで、背中を受付から戻ってきたリュネットがその肩を軽く叩いた。


「よく堪えましたね……どうしました?」


 どうやら今のやり取りを見られていたみたいだ。 そして、肩を落とした僕の後姿も。


「その、先に理性が働いてしまった自分に腹が立つんです。 本当は、なりふり構わずあいつをぶん殴ってやりたかった」


「気持ちは分からなくもありません。 ですが今はしっかり仕事をこなした君の理性に感謝しなければ。 我々の戦いは、こんなバックヤードじゃない。 晴れ晴れとしたコロシアムのど真ん中で、奴の膝と顔を土につける事が、本当の意味で決着をつけることになるのです」


「……はい」


 もっともな話だった。 常識で考えても、そんな暴挙に出たところで事態が好転するどころか最悪の結果にしかならないことはケビンにみお解っている。 しかし、だからこそそれが、本当に歯がゆい。


「まぁ、直ぐに気持ちは切り替わらないでしょうが……。 そうだ、これを見てください。 本戦の対戦表です」


 リュネットは手にしていた本大会の対戦カードの書かれた用紙を僕の目の前で開いた。

 ケビンは、それを見て若干言葉を詰まらせた。


「……え、どういうことですか?」


 そこには、ギルバートの名前も、ヘムロックの名前も無かった。 変わりに、エキシビションマッチという枠に、二人の名前があった。


「驚きましたか? まぁ、私も幾分驚きましたが、当然といいますか、必然の待遇ですよ。 観衆の前に姿を現すのは、あのギルバート・グレイドハイド。 キルベガン子爵が裏で手を回していることは解っていましたが、こういうことだったとは」


 ヘムロックの言っていたとっておきの舞台とは、こういう意味だったのだ。 確かに、どうやって互いがぶつかるマッチメイクを用意するのかと思っていたケビンだったが、なるほど得心がいった。


「彼は契約上、直接こちらと戦い、勝利する必要がある。 ですが、そうなる前にどちらかが敗退してしまう可能性だって本来ならあるわけです。 であるならば、互いが確実に無傷で戦える機会を設ける必要がある。 つまり初戦であたるか、別枠でやりあうしかないわけです」


「だから、エキシビションマッチですか」


「彼の虚栄心は筋金入りです。 であれば、決着の場は決勝でなければ気がすまないはず。 もしくは、それ以外の晴れ舞台。 それには、エキシビションはうってつけなんですよ」


「でも会長、グルーバー家が名のある貴族だって言っても、良く今回のエキシビションの案件が通りましたね」


 ケビンはこういう対戦表の部分は、大会を行ううえでもっとも公平性が保たれるべきものと思っていた。 しかし、確実にこのマッチメイクには恣意的なものが介入している。

 それともそれは勝手な思い込みで、“一番動かすことが出来る部分”なのだろうか?


「それは、今大会が新人戦であることにも関係していると言えるでしょう」


「……どういうことですか?」


「今回の大会は、機士になってから三ヶ月以内の者達が行うものです。  イグニカだけでなく、様々な会場で毎年行われているものではありますが、売りとなるものが文字通り新人の試合というくらいで、大会運営を行うイグニカ的には、会場の広さの割りに客入りもまばらで、興業的にはあまりおいしい試合ではないのです」


 それを聞いて、ケビンはピンときた。


「……なるほど、そこでギルバートさんですか」


「ええ。 実は今回の新人戦は、ギルバートの名前が本大会に並んだ瞬間、チケットは即完売したそうです。 ですが、キルベガン子爵は新人でも、ギルバートはそうではない。 私の推測ですが、そのギルバートを引っ張り出せた立役者であるキルベガン子爵が、エキシビション枠を特別に用意させることを条件にギルバートの参加を運営側と交渉したのでしょう。 そしてエキシビションの相手が交渉人であり、新人のキルベガン子爵というのは破格ではありますが、納得の待遇です。 何せ、その条件を飲まなかったら、確約ともいえる大きな興行収入を逃すことになりますからね」


「なるほど……。 まぁ、余計な損耗を考えずにキルベガン子爵と闘えるというなら、それに越したことはありません」


「ええ、まさかこんなことになるとは思ってもいませんでしたが、これで奴との勝負に集中できます」


 残された時間を、ヘムロックを打倒することだけに専念できる。

 自身はただでさえ経験が浅いどころか、機士としてのライセンスすら持っていないド素人。 許された時間は戦いの考察と操縦方法の復習に出来る限り使いたいと思っていたところだから、


「ええ、その意気です。 では私は、メカニックを集めて機体の最終チェックを始めます。 ケビンもこっちにきて、最初だけ手伝ってください」

「はい。 それじゃあ皆さん、間接部の固定器具トラベリングロック固定器具からはずしていきましょう!!」


 勇ましいメカニッククルー達の返事が周囲に響き、ケビン達バーンウッド陣営の士気が高まる。 闘いに向けて万全の体制を整える為に、各々が任されたポジションで最後の整備、調整を開始した。


 ――今度ばかりは、工作員の介入は確認されなかった。

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