第15話 報告

 コロシアムに来る時とは打って変わり、雨脚の強まりつつある帰り道は、ケビン一人となった。 本人としては、出来ることならギルバートに付き添いたかった。 だが、医療チームの搬送車は人数の関係上乗り込める余剰スペースが無かった為、断念せざるをえなかった。

 また、別件でリュネットより重要な役割を担ったことで、それは適わなかったのだ。


「はぁ……」


 その件を思い出し、ハンドルを握る腕がズシリと重くなった気がする。

 その重要な役割は、コロシアムの前でギルバートを乗せた救急車両をケビンがリュネットと共に見送った際、リュネットより直にもたらされたものだった。


「ケビン、恐らくヘムロックは最後の突撃槍でヴァルムガルドを完全停止させるつもりだったのでしょう。 ですが予想外の出来事が起きた……」


 静かに語る会長の推測は、なんとなくだがケビンにも理解できた。 


「ギルバートさんが機体を自陣グリッドまで戻らせたこと、ですね」


「そう。 たとえアクシデントではあっても、搭乗者が意識を失うか、死亡してしまった場合はその時点で決闘は終了し、動けなくなったサイドの敗北となる。 厳しいようですが、本来の馬上槍試合のルールにも沿う、不変の原則です。 しかし、ギルバートは生きて戻り、ヴァルムガルドも帰ってきた。 向こうがわざわざ私達のもとにまで様子を見に来たのも、動揺の表れです。 まぁ、そのお陰でうまいこと揺さぶり、再戦へと繋げることが出来たわけですが」


「そう、ですね」


「とはいえ、問題は山積しています。 まずはこの事をベルキスカ嬢にお伝えすることが先決でしょう。 何せ、彼女も当事者。 外野で事を運んだことをまず説明しなくてはなりません」


 なんとなくだが、ケビンはこの時点でリュネットが何を言わんとしているのかを察した。


「……もしかして、僕が?」


「事が事です。 複雑な事情を君が順序だてて説明できるか心配ではあるので、先に私がバーンウッドに戻って話してはおきます。 ですが、彼女の性格上、無茶をしないように押し留める役目が必要でしょう。 ギルバートがいない今、他に任せられる人間といえば君以外にいません」


「僕以外って……そんな役目、誰だって気が引けますよ」


 今回のことをどう説明すればいいのか自信が無かったk便からしたら、先に経緯を話しておいてくれるというのは、とても助かる申し出ではあった。

 それにしても、これではまるでベルカという荒波をくい止める防波堤に任命されたかのような言い方だ。 いくら不機嫌の時の彼女が恐ろしくても、少々言い過ぎではないだろうか。 彼女だって、そうそう感情優先で即刻行動に移すなんてことはないはずだ……。


「気が引けるか……。 その程度に思える君だから任せるんですよ。 普通の感性なら、閂を掛けて家に引きこもるか、隣町まで出かける用事を思いつくものです」


「そんな、怪物を相手にするみたいな……」


「……まぁ、君の前ではそうそう荒れた姿など見せなかったでしょう」


 ギルバートも似たようなことを言っていたが、それでもケビンには、ベルカが暴力的所業を行う姿はまったく想像することもできなかった。


「確かに見たことはないですけど、具体的にどうして怖いんですか?」


「ここにはいないレディの巷説を私の口から話すのは憚られます。 まぁ、彼女の為にも聞かないでおいてください。 最悪の場合、私に火の粉が飛びかねない」


「はぁ……」


 いまいち要領を得なかったが、リュネットがそう言うのならば、ここはそれで納得しておくしかない。


「ともかくです、 私はベルキスカ嬢に説明をした後、直ぐに此度の件に対する対策をカクラムの役員を集めて協議します。 拠点を置く町の一大事ともなれば私達商会にとっても他人事ではありませんから」


 そう言って、会長は来たときに乗ってきた赤い乗用車に乗り込み、飛沫を巻き上げながら凄い速さでバーンウッドへと走っていった。


 天気は、ケビンの心象を映すかのようにどんよりとしたままだった――。


 トレーラーを走らせ続けてしばらくした後、損傷したヴァルムガルドと共にケビンは一人、グレイドハイド邸のガレージに到着し、エンジンを止めた。


「ふぅ……」


 これからのことを思い、沈み込みそうな気持ちを一息で切り替え、明かりの消えた館の入り口に向かって歩く。 正直、足取りは軽くない。

 ベルカには事のあらましとギルバートの容態を会長が伝えてくれているはずだった。


「とは言っても、改めて僕の口からベルカに説明する義務はあるだろうな。 何も出来なかったとはいえ、僕はギルバートさんの直ぐ近くにいたんだから。 しかし、こういった場合どう切り出せばいいのか……」


 まっとうな試合とは程遠い決闘。 ギルバートの大怪我。 大都会での再試合の約束……。  短時間に多くのことが起こりすぎて、自身でもまとまりがつかないというのが正直なところだった。


「まぁ、自分に相手のことを慮るだけの言葉選びが出来る器用さはないし、ありのままを口にするしか出来ないか」


 ――と、いつまでもグレイドハイド邸のドアを潜れず右往左往していたところへ、この館のたった一人の主、ベルカが姿を見せた。


「ケビンか?」


 彼女はいつもと変わらない洋装だったが、一つだけ余計なものを携えていた。

 女性が持つには大きい三十インチ位のアタッシュケース。

 その中身が何かまでは分からないが、彼女のまとっていた雰囲気から、それが穏やかな類の物でないことはおおよそ想像できた。


「……ただいま、ベルカ」


 気圧されてしまったケビンは思考が途切れ、当たり前で、当たり障りのない言葉を返した。


「ヘムロックは?」


 彼女の声色に、温度を感じられなかった。


「真っ直ぐイグニカに行くと言っていたよ。 たぶん試合当日まで動かないはずだ」


 奴はケビン達の前を去る時、領地には戻らずそのままイグニカに向かうと言っていた。 当日まで日がないことから、早めに現地入りして機体の調整をするのだろう。


「そうか」


 言葉を最後まで聞く前に、ベルカはケビンの横を通り過ぎようとしていた。


「ベルカ、ヘムロックの下に行くつもりか?」


 こうなるだろうという事は、少しは予想していた。 こうなって欲しくはないと、切に願ってもいた。

 ――彼女は、大儀の為に動くつもりだ。 もっと直球で言うなら、報復の為に。

 その気持ちは、ケビンも先刻に味わったものだからよく分かる。 そしてベルカなら、例えどんな障害が待ち受けていようと必ず目的を果たそうとするだろう。

 それが理解できる程度には、ケビンは彼女との付き合いも長い。


「ああ、やつにぴったりな花嫁衣裳を見せてやろうと思ってな」


 だから、ケビンはリュネットにこの配役を宛がわれたのだ。


「だ、駄目だベルカ」


「駄目? ケビン、何が駄目なんだ? 当地の主権に、云われない批評のもと土足で上がりこみ、あまつさえ決闘で卑劣な手段を用いて父を危篤にせしめた卑劣漢を討つことか?」


 彼女の声色は依然ストリングスのように美しかったが、そこには徐々にあふれ出し、秘匿しきれない憤怒が含まれていた。

 こんな彼女を見るのは初めてかもしれなかった。 押し留めてはいるのだろうが、流出してしまっている僅かな怒りの感情は近くにいる人間の肝を氷点下にまで持っていく雰囲気がある。 これが全て開放された時、その対称となった人間はどうなってしまうのか、考えるだに恐ろしい。


「――っ」


 だが、ならばこそ一層、ケビンは冷静に彼女と向き合わなくてはならない。 いつまでも情けない考えを抱いたままでは駄なのだ。

 ここはベルカと、バーンウッドにとっての分推量なのだから。


「君が今出て行くことがだよ。 ヘムロックを打倒することに関しては、まったく異論はないさ。 でも、今は駄目だ」


「なら、いつになったら奴の息の根を止めることが出来る?」


「……僕は、復讐という行為に関しては肯定的だ。 それで前に進めるのなら、やる価値は十分にある。 少なくとも、頭に血が上っていたあの時、あの瞬間においては、リュネット会長はともかく、僕は復讐をする為に再試合を取り付けたといっても、過言じゃない。 その件で、君に了承を取らなかったのは、すまないと思ってる」


「それはいい。 私でも、奴を公的に葬れるのなら迷うことなく試合に応じる。 だが、私はこうしている間にも……父が生死をさまよっている間にも、奴が安穏と生きていることに絶えられない。 あいつは、私が殺す」


「ベルカ」


「まさか、ケビンは私がヘムロックに後れを取ると思っているのか?」


「思わない。 だけど、危険なことに変わりはない。 君の身を案じている思いは本物だ」


 彼女はたくましい女性だ。 それは性根だけじゃなく、身体的にもそこいらの男性では太刀打ちできないほど武芸に秀でている。 それも、偉大な父から教授されたものだけじゃなく、自ら進んで強剛であろうと研鑽を積んだ結果だ。 その行動力は、決して無鉄砲から来るものではなく、確かな自信に裏打ちされたが故のものだ。


「そうか……。 なら、安心してここで待っていろ。 そう時間は掛からないだろう」


「ベルカ!!」


「……まだ何かあるのか?」


「僕の話を聞いていたか? 今は駄目だって言ったろ」


「私の話は聞いていたか? 今じゃなければ駄目なんだ。 それが私であり、グレイドハイドなんだ。 ここで何もしなかったら、バーンウッドの領主という信頼は落ち、格言もただの風説に成り下がる。 今それを払拭することが出来るのは、ただ一人残った私だけだ」


 彼女の覚悟は本物だ。 だが、そんなものは初めから分かっている。 きっとここで彼女を行かせたら、どんな手を使ってでも確実にヘムロックを殺すだろう。 それはきっと間違いない。 その先に自分の生死がかかっていようと関係ない。 もとい、損得勘定に自分の命は入っていないのだ。

 しかし、事はそれだけには止まらないことが問題だ。


「……今は駄目だといった理由は、君自身が今言ったよ」


「何?」


「君がグレイドハイドだから、行かせる訳には行かないんだ」


 なぜならそれは、最悪の場合バーンウッドが動いてしまうからだ。

 街の人々は領主に親しみを持ち、信頼もしている。 今ベルカが動き、事がさらに大きくなれば、バーンウッドの群集心理は最悪の場合、グルーバー家、さらにはキルベガン領に向けて暴走してしまう。 そうなったが最後、誰も止められない。 結果は誰一人望まないものになるだろう。

 彼らの領主はグレイドハイド。 親愛なる家族への侮辱は決して許さないという心理は、良くも悪くも領民全体にも広がっている。

 それに、彼女は事を穏便に済ませるような算段で赴くわけではない。 彼女の目的は、キルベガン子爵の殺害。 事が済むころには政治的な問題へと発展することは想像に容易い。 最悪の場合バーンウッドとキルベガンの紛争さえも起こりかねない。

 だが、それを彼女に言ったところで考えは変わらないだろう。 こんな時に正論や論理など何の役にも立たない。

 ――となれば、ケビンはあの人の力を借りるしかない。


「ギルバートさんは僕に言ったんだ、うわ言でも戯言でも、虚言だったのかもしれないけど、いやこの際何だっていい。 僕は頼まれたんだ。 ベルカのことを頼むって。 僕はそれを受けた。 頼まれた以上、必ず果たす」


 彼女の父、ギルバートの名を出すしか、浅慮なケビンには思いつかない。


「勝手にしろ。 私は私で、ヘムロックの首を取る」


「今そんな目立った真似をしたら、例え目的を果たしても、君のお父さんが護ろうとしたものが失われてしまう。 絶対にそんなことはさせない」

「……父が、護ろうとしたもの?」


「行われた決闘の趣旨を思い出してよベルカ。 ギルバートさんはバーンウッドの為、何よりもベルカ、君の為に決闘を行ったんじゃないか」

「その結果が、父をあのような目に至らしめた」


「だから君が復讐をしようというのは分かってる。 だけど今は、今だけはこらえてくれ」


「……もういいケビン、そこを――」と話が平行線を辿ることに苛立ちを募らせたベルカは顔を伏せ、歩み始めようとする。 だが……。


「――今はどうか、ギルバートさんが繋いだこの機を無碍にしないで欲しい!!」


 そのまま歩みだそうとしたベルカに、感情的になってしまったケビンの言葉が少しでも届いたのか、先ほどより見開いた目で、彼女はケビンのことを見ていた。


「……僕は、命を救ってくれたグレイドハイドの為に、体を張ることに躊躇はない。 なら、無茶をする時、それこそ突撃する時は一緒だ。 君が向かう先に、僕が槍となってどこへでも一緒に駆け抜ける。 だけど、今じゃない。 それは、満身創痍でありながらも、僕達に希望を託したギルバートさんに対する裏切りだ。 グレイドハイドの格言が家族愛に根ざしたものなら、それは絶対に許されないことのはずだ。 そうだろ、ベルカ」


「それは……」


 ずるい言い方かもしれない。 だけど、彼女を行かせたくないということに関して、ケビンはこれ以上ないくらい本気だった。


「ギルバートさんが信じて託してくれた僕達を、今はどうか信じて欲しい」


「ケビン……」


「ベルカ、グレイドハイド家の格言が家族愛なら、ただ一人の、オーティアの格言は、約束を形にすることだ。 僕はこの格言だけは、時計作りを始めた時から破ったことはない。 僕はギルバートさんと確かに約束を交わした。 だから僕には、この領地と、君を護る必然性がある。 これだけは、僕にだって譲れない」


 ギルバートが意識を失う間際、ケビンは声には出さなかった。 だけど、確かに伝わったはずだ。 ケビンはその意をこめて、彼の手を強く握り返したんのだから。


「……それを出されたら、私も無理にここを離れるわけに行かないじゃないか」


「ベルカ……」


「もういい。 父がお前に託したというなら、ここは私が大人しく引こう」


「ありがとう。 これで僕の面目もギルバートさんに保たれるよ」


 ベルカから感じていたひりついた空気が和らぎ、緊張して固まっていたケビンの肩の力がどっと抜ける。 こんな役割、もう二度とごめんだ――。


「だがなケビン。 もし次の決闘で負けたら、本当に私に付き合うのか?」


「あ、うん……」


 もちろんケビンもリュネットも、負けるつもりなどもうとうない。 もし負けるようなことになったら――。

 バーンウッドを救うことは無理でも、ベルカを攫ってこの地を離れるか? それなら、多少なりともグレイドハイド家の体裁が保てるだろう。 何せその場合、悪と評されるのは領主の令嬢を誘拐した自分だけだ。 少なくとも、ベルカの嫁入りはそれで阻止できる……と、ケビンは割と本気で思考を巡らせる だが――。


「――もちろんさ。 言ったろ、僕は君の槍だって」と、少し後ろ向きな考えを振り切り、淀みなく答えられた。


「……ケビンはもう少し頭の回る奴だと思っていたんだが」


「え?」


「カードはやらない方がいいって話だ。 考えてることが分かりやす過ぎる。 でも、ありがとう」


 どうやら、付き合いの長い人には、簡単に看破される程度には表情に出やすかったようだ。

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